7:ヴァニティフェイス
ヴァニティフェイス。
地球では、タブーとされている人間の顔。だが、この火星では法律など無いのだ。顔が欲しいと思えば、手に入れられる。
整形屋リャンハウスによって作り出される、人間の顔。犬の顔とは全く違う。ビジュアル系の人間ならば、誰でもあこがれる。永遠に変わることの無い、その美しい顔を手に入れたいと願う。
ビジュアル系の人格・ヨランダもその一人だ。アニマル系・サイコ系の二人は人間の顔になど興味は無い。他の事にしか興味を示していない。彼女とは、この点では意見が全く一致しないが、ヨランダは特に気にしない。あの二人に干渉して欲しくない。
「きれいな顔ね」
思い出しては、彼女は笑む。ぼんやりとだが覚えている、このコロニー唯一の美少年・コスマスの顔。綺麗な人間の顔。整形が上手くいっている事を示している。コロニーで見かける住人のうち、何人かは整形している。しかしいずれもコスマスには遠く及ばない。
コスマスはこのコロニーでいちばん、綺麗な顔を持つ子供。
「あの顔が欲しい……。変わることの無い、綺麗な顔」
エイプリルのように、犬顔のままでもキレイな顔は稀だ。基本的に、犬顔は、醜い。だから、綺麗な人間の顔が欲しい。
人間の顔になったら、アタシはどんな顔になっているだろうか。ヨランダは思った。コスマスのように綺麗な顔になっているだろうか。それとも、そこらへんのコロニーの住人のように、どこか失敗したような奇妙な顔になっているだろうか。わからない。実際に整形してみなければ、わからない。
コスマスのように綺麗な顔。あの二人は、コスマスにあまり興味を示していない。アーネストはコスマスのことなどどうでもよさそうだった。あの男の頭の中にあるのは、今はもう存在しないはずの妹の事だけ。人格の監視役であり、同時に宇宙の生き字引でもあるスペーサーは、あの人間の顔は確かに綺麗だが、どこか違和感があると言っていた。元々人間の顔は、作られる顔なのだから、違和感があって当たり前だ。だがその違和感さえ除けば、あの綺麗な人間の顔になれる。
完璧な、傷一つ無い、綺麗な人間の顔。
「何一人でニヤついてんだ?」
背後から声。ヨランダは思わずぎくりとした。
アーネストが、珍奇な生き物でもみるような目つきで、彼女を見ている。ヨランダは思わず、怒鳴った。
「何でもないわよ! あっち行ってて!」
へいへい、とアーネストは適当に返事して、彼女に背を向けた。
ヨランダはまた考え事にふける。
あの整形屋のフェイは、何と言っていただろうか。整形は心を綺麗にする、と聞こえた。顔が綺麗になれば心も綺麗になれる、そういうことだろうか。
汚れたガラス玉は、ちゃんと磨けばピカピカになる。原石は、ちゃんと加工して磨き上げる事で美しい宝石に変身する。犬顔も、整形すれば綺麗な人間の顔になれるはず。あの様子からすると、コスマスは何度か整形を重ねているようだ。
もちろん、一度の整形で綺麗な人間の顔になれるとは思わない。もっと綺麗になりたいと願い続けなければ、あれほどの綺麗な顔は得られないかもしれない。
そして何より、
「審判を切り抜けるには、人間の顔を手に入れるしかないじゃない」
この星に来たときから、期待していた。他の二人は整形などどうでもよさそうだったが、自分だけは違う。他の二人が審判をどう考えているかは知ったことではない。
審判を切り抜ける方法がある。フェイも言っている。人間の顔を得れば、審判を切り抜けられるのだと。アガタは否定的だったが、ヨランダはフェイの言葉を肯定する。
かつて人間は、火星人に己の顔を渡して、代わりに犬の顔を選んだ。あの時に人間が火星人に顔を渡さなかったならば、今頃人類の顔は、コスマスのように美しい顔を持ち続けていたはずだ。
「この世界に完璧は存在しない、か」
呟きが耳に入る。
またスペーサーが何か呟いている。ヨランダの方を見ていない。時々、過去の言葉を思い返しては自分で勝手に考えこんで、自分の世界に閉じこもる事も多い。その時は、誰の話も耳に入らないようだ。
「完璧なら、ちゃんとあるわよ」
ヨランダは呟いた。
コスマスのような顔。あれこそが、彼女にとっての完璧と言ってもいい。実際、コスマスは美しい。
「でも……」
思う。
「コスマスよりも、もっと美しくなれるかもしれないわね」
「ひょひょひょ。ヨランダ、どこへ行く。欲がお前を滅ぼすぞ」
どこかで、スピリットマンの笑い声が聞こえた気がした。