9:エイプリル
エイプリル。
今回の火星探査任務の、隊員として選ばれた、宇宙地質学の助手。この小隊の紅一点。
「ほんとに、急な話だったのよ。でも、あなたと一緒と聞いて、引き受けたの」
帰納の丘で、火星の夕焼けに照らされながら、彼女は言った。夕日のせいか、彼女の頬が少し赤く見える。
「ああ、火星の夕日ね。地球の夕日って、もっと綺麗よね」
エイプリルは言った。
「こんなところでクリスマスを迎えるなんてね……」
どこか寂しそうに微笑んだ。
「私、ヌーンの思い出に引きずり込まれてしまったみたい――」
再会したとき、不安と恐怖の残るエイプリルの顔。鏡の欠片を握り締める彼女の顔は、まだ少し青ざめていた。
何度か彼女の顔は見たことがある。あまり外を見ないから、大抵、人の顔も名前も覚えていないが、なぜか彼女の名前も顔も、しっかりと頭の中に残っている。
彼女は一体『誰』なのだろうか。
火星に来てから、クルーは皆バラバラになってしまったようだ。記憶の谷、町長屋敷、メルヘン村……。ヌーンは瓶詰めで、ロケットの中に落ちていた。瓶詰めの彼は、何だか幸せそうだった。タトラーはメルヘン村で不気味な道しるべとなっている。この二人だけはかろうじて存在を確認できるとはいえ、完全に火星の中に呑み込まれてしまった様だった。
そして、エイプリルはまたどこかへ消えてしまった。
T字路に立つ、不思議な扉。その中を見ると、全てが歪んだ真っ白な部屋がある。最初に火星に降り立ったときに見たモノ。家具が歪み、床や壁にめり込んでいる。綺麗で、眩しくて、冷たくて、まるでガラスか氷の中にいるような、奇妙な部屋。
アガタに鑑定してもらった、銀のカプセル。アガタは、そのカプセルから白い部屋を見ていたようだ。そして、その白い部屋の中にエイプリルがいたらしい。僕が直接聞いたわけではなく、単に言葉が耳に入ってきただけなので、あまり詳しく憶えていない。あの部屋の詳細まではわからないが、あの銀のカプセルは、昔エイプリルと共にあったものらしい。
オリンピア2号というロボット。
この火星にずっといるらしい。ああだこうだとつまらない話をして、あの三人組に呆れられたり喧嘩を売ったりしている。無駄話に付き合わされる三人組の反応を聞くのは面白かったが、オリンピア2号は別の言葉も口にした。
『エイプリル、ダメよ。それは家事ロボットよ。手が汚れるから、触っちゃ駄目』
オリンピア2号は、なぜこの言葉が記憶に入っているのか知らないという。壊れかけてメモリーがとんだ、というわけではない。
エイプリルは地球の出身のはず。だが、火星にずっといるはずのオリンピア2号のメモリーに彼女の名前が入っていた。
エイプリル、君は、何者なんだ?
そして、帰納の丘の上に、彼女はぽつんと立っていた。
「エイプリル、君は誰なんだ。答えてくれ!」
彼女は僕の言葉に応ぜず、一陣の風に巻き上げられる砂ぼこりと共に、消えていった――。