10:鏡



「お前の心が見えるようにしてやろう、さあ、マインドスコープだ」

 スピリットマンと名乗った、UFOに乗った奇妙な男がくれた、目の形をした不思議なミラー。心が見えるというのがどういう意味なのかわからなかった。そもそも心と言うものが目に見えないものであることは誰でも知ってのとおり。
 だが、スピリットマンの言葉の意味はすぐにわかった。このミラーは、確かに心の内部を他の形で視覚化させている。この火星に満たされた三種類の悪意。その悪意にどれだけ感応しているのかを、このミラーは示している。何も感応していないならば、グレー。力悪に感応したならば赤。知悪に感応したならば青。欲悪に感応したならば黄色。だが、鏡の間で鏡に手を触れた後、意識が戻ってくると、ミラーの色は元のグレーになっている。
 不思議な事に気がついた。
 同じ種類のオーラに感応するたびに、ミラーの色は濃くなる。そして、だいぶ濃くなってくると、誰かの顔がそのミラーの中に映し出される。しかし、別の悪に感応して色が薄くなると、その顔は消える。見たところ、三人の男女のようだが、その顔の主の名前を知らないし、会ったこともない。

――それは当然だな。

 ミラーの色が青くなると同時に表れる顔。頭は良さそうだが、どこか冷たさのある男の顔だ。それと同時に、頭の中でいつもの声が響く。昔から聞こえてきている声だ。

――君は我々を知らないだろうが、我々は君を知っている、昔から。

 頭は良さそうだが人を見下すような口調は、頭の中で聞こえる複数の声のうちのひとつ。独り言を呟くときもあるし、こちらにあれこれ命令を飛ばすこともある。ある意味で一番口数の多い声だ。
 このミラーに映る男は、あの声の主なのだろうか?

――疑わしいのか? まあ仕方あるまい。

 声は言った。あきらめのあるような、少し脱力した声だ。だが、すぐに、

――そうだな。他の二人が寝ている今なら大丈夫だな。鏡の間へ行ってくれ。

 何かを思いついたようだ。声に命令されるのもいつもの事だ。特に逆らう事無く素直に鏡の間へ行く。逆らってもいいのだが、後で長い事頭の中で説教が垂れ流されるため、基本的にはしたがっている。
 鏡の間につくと、そこにはいつものように自分ひとりが映っている。他の誰も映っていない。頭の中の声は、この鏡に何の用があるというのだろうか。

――もう少し、左に寄ってくれ。

 左側には、大きな亀裂が走っている。その亀裂に何の用があるのかわからないが、とにかく寄ってみる。鏡に走る亀裂で、こちらの姿が分断されて見える。
「!」
 亀裂で分断されている側の、鏡に映っているものが変化する。その場所に映るのは、いつもの自分ではない。青い髪の、知的で落ち着きがあるが、どこか冷たさのある猫背の男だ。
 見ただけで、すぐわかった。ミラーが青くなった時に現れる、あの男の顔だ。

――この形で君に会うのは初めてだな。

 鏡の中に映る男が喋るのと同時に、頭の中にいつもの声が響く。

――怪訝な顔をしているな。まあ、当たり前だろうな。地球にいる間、君は、我々の存在を知らなかったはずだ。声だけは届いていたから、別の形では知っているかもしれないが、こうやって直接顔をあわせるまでは、声の正体を知らなかっただろう?

 その通り。頭の中で聞こえてくる声は三つ。そのうちの一つが、今、目の前にしている男のものらしい。
 彼らの声が聞こえ始めたのはいつごろだったろう。もっと昔からのような気がする。思い出せる限りでは、最初は一つの声が、聞こえてきた。次に二つになった。さらに時間が経つと三つになり、一時は四つになったが、三つに減った。そして今に至っている。
 鏡の中の男は、こちらをじっと見つめている。しばらく沈黙が流れる。
 先に口を開いたのは、鏡の中の男だった。

――しかし、不思議なものだな。こんな形で互いの顔を見ることになるとは。これから先ずっと、我々の顔を見る事なく、君は一生を終えるだろうと考えていたのだが……どうやら火星はこんな形で我々を会わせてくれたようだ。全く、非常識な事ばかり起こるな、この星は。

 相手がポーカーフェイスのため、皮肉を言われたのか、それとも純粋に喜んでいるのか、相手の表情からは読み取れない。こちらの表情の変化に気づいてか、相手は少し目を丸くする。

――ん? 何を不思議がるんだ? まあいい。とにかく、

 鏡の中の男は軽く咳払いする。怒っているのか、無視することにしたのかはわからない。
 鏡の中の男が動く。映っている片手が、鏡に触れる。だが、こちらは何もしていない。

――少し長居をしたな。あの二人が目を覚ました。もう戻らねば。

 目の前が真っ白になり、続いて、景色が見えてくる。後は、いつもどおり、目の前に鏡がある。
 マインドスコープは、グレー。混じりけのないモノクロ。あの男の顔はない。目の前の鏡の中に移っているのも、自分ひとり。ひび割れた部分にも自分の顔。あの男の姿はない。

――必要な時、我々を『呼んで』くれ。

 頭の中で、あの男の声が響いた。