第1章 part1
小さな部屋がある。
窓もドアもない小部屋であり、中は闇に閉ざされている。
その部屋の中に誰かがいるらしい。息遣いと気配からして、複数いるらしい。
キィ。
壁の一部が開いて、そこから光が差し込んでくる。差し込んできた光は、部屋の中を照らした。部屋の中は寝台が三つあるだけで、他に家具はなく、その寝台には四、五歳と思しい子供たちが座っている。子供たちはそれぞれ灰色の服を着て、手足に枷をつけられている。その枷には、番号が記されていた。それぞれ、544、680、1090と記されて、バーコードが側に刻まれている。そして首には首枷もつけられていたが、その首枷にもバーコードが刻まれているのが見えた。
「出てこい」
部屋の外から声がする。それと同時に、子供たちの足枷が自動的に外れた。子供たちは寝台から降りて、のろのろと足を引きずるようにして部屋の外へ出た。
部屋の外には通路が伸びており、いくつもの閉じられたドアが見えている。そして、その通路には、いかにも研究員らしい白衣姿の男が二人、立っていた。
「お前たちを、外へ出すことが決まった」
子供達は、男の言葉を聞いて、目を丸くした。そして、互いに顔を見合わせる。その顔には一種の喜びのようなものと驚きのようなものとが交じり合っていた。
男は言った。
「試験期間を五年おいて様子を見る。その間に暴走など起こしたならば、すぐにでもここへ連れ戻させるからな。……連れ戻されれば、どうなるか分かっているだろう?」
その言葉に、子供達はびくっと体を縮める。
「さあ、連れて行け」
どこからか、黒服に身を包んだガードマンらしい屈強な男たちが何人か現れて、それぞれ子供たちを連れて行く。子供達は、嬉しいのか怖がっているのか、どちらともとれない表情を顔に浮かべたまま、大人しく歩いていった。
未だに見たことのない、外の世界へ向かって。
十の地区に分かれた《都市》の一角、第五地区。千人ほどの人口を抱える場所で、一区画につき十万単位の人口を抱える《都市》の中ではとても小さなところであり、立ち入り禁止区域として指定されている場所である。
この町は、路地裏と言ってよいほどに薄汚れており、表通りを除くと、裏通りはまるで編み目のように複雑に入り組んでいる。生活環境は、他の地区にある貧困層のスラム街に比べればずいぶんとマシといったところで、住み慣れればそれなりに快適な町である。
この町に住んでいるのは、能力者と呼ばれる者たちである。彼らは変わった体質と能力を備えていることから、そう呼ばれているのだ。能力者たちは、《都市》の法律によって他の区へ出ることを禁じられているが、同時に他の区の人間がこの町へ入ることも禁じられている。閉ざされた環境の中で、能力者たちは生活しているのである。
出入り禁止とされているこの区域だが、この区域に日夜出没する謎めいた連中が存在する。能力者を捕えようとする謎の団体で、能力者達からは、《捕獲屋》と呼ばれる。全身を黒尽くめの衣装で覆い、顔にはのっぺらぼうの白い仮面をつけた、不気味な姿をした連中である。《捕獲屋》は、特に珍しい能力を持つ能力者を狙って、日夜地区内に出没する。だが実際には、大半の《捕獲屋》が返り討ちにあうことが多く、第五地区の路地裏に、捕獲用の道具や武器を手にしたままで息絶えた《捕獲屋》たちが転がっていることは珍しいことではない。
《捕獲屋》の正確な目的とその正体は不明だが、この第五地区の住人たちは《捕獲屋》に狙われていることもあって、異常なまでに防衛本能が研ぎ澄まされており、それぞれ身を守る術を身につけて暮らしていたのである。
ある早朝。
区で一番応募の多い職業は清掃員である。やることは地区の掃除であるが、ただのごみの始末ではない。もちろんごみの始末も行うが、主な掃除は、能力者に倒された《捕獲屋》の死体の後始末である。
とある清掃員は、路地裏で《捕獲屋》の死体を見つけた。十人近い人数で、ネットやら麻酔銃やらを装備していたが、いずれも急所を正確に討たれていた。
「やれやれ、派手にやってくれたもんだ」
分解薬をまきちらすと、《捕獲屋》の死体は血痕も武器もすべて、跡形もなく消滅した。
そこに残された獣の足跡も含めて。
「ふあ〜あ、眠〜」
朝の七時頃、彼は欠伸しながら歩いていた。着古した革ジャケットに同じ位はき古したズボン、スニーカーというかなりラフな格好である。薄汚れた路地を横切り、商店街を抜け、さらに坂道を登っていくと、二階建てのおんぼろアパートの群れが見えてくる。この地区ではアパート住まいが多い。一戸建てなどほとんどない。
「よー、朝帰りかい?」
年の頃は六十代を越えたらしい、わりと痩せた小男がアパートの管理室のドアを開けて、姿を見せる。このアパートの管理人だろう。彼は、小男に言った。
「あいつらの相手してたら、朝になっちまったんだよ。まさかあんな大勢でくるとは思わなかったからな」
彼はジャケットのポケットからクシャクシャの封筒を取り出し、小男に投げ渡す。小男は上手にキャッチした。チャリン、と金属の触れ合うような音がする。
「それ、今月の家賃」
彼はそれだけ言って、二階のベランダまで、驚くべき跳躍力でもって跳びあがる。これが能力者の標準的な身体能力だ。上手くベランダの柵に着地すると、08と書かれたドアを開け、中に入って閉めた。
やがて、ドアの向こうから、眠りに就いたことを示す寝息が聞こえてきた。
区の隅にある小さな路上駐車場。不思議なことに、駐車場や駐輪場はあるのに、車は一台もない。この地区には、他の区から物資を運んでくる大型トラック以外に、乗り物はないのである。元々車はあったのだが、車内にも《捕獲屋》が潜んでいるケースがあったため、車の需要はなくなり、代わりに自転車やバイクが用いられるようになった。そのため車の姿はないのである。
表通りへ通じているこの狭い場所だが、誰もいなかったり、誰かが近道しようとして裏通りを通ろうとすると、途端に《捕獲屋》が姿を現す。昼間でも危険な場所である。
その駐車場へ駆け込んできた彼女は、駐車場の壁を背に振り返り、追っ手の数を素早く数える。四人。だが他にも潜んでいるかもしれない。
(冗談じゃないわよ、お店行こうと思ってたのに、とんだ回り道じゃないのよ!)
《捕獲屋》たちはじりじりと彼女を追い詰める。彼女はコンクリートの壁に背中が当たるまで後ずさりした。仮面の下で、《捕獲屋》たちの目が、彼女を追い詰めたことを確信し、ギラリと光る。
彼女は大きく息を吸い込んだ。
数秒後、彼女は悠々と駐車場を出て行った。《捕獲屋》たちは皆、一人残らず、耳から血を流しながら事切れていた。
駐車場の後ろに生えているカエデの木から、事切れた《捕獲屋》が枝から落ちた。
病院の裏にある小さな寮。《捕獲屋》がその寮の周辺に潜んでいた。もちろん、堂々と姿を現すことがあるのだが、それは相手を追い詰めたときか、相手がたった一人だけしかいないときに限られる。そしてこの場合は後者であった。
《捕獲屋》たちは、病院に向かおうとする彼を素早く取り囲んだ。彼は慌てもせず、《捕獲屋》を一瞥する。ざっと五人。
《捕獲屋》のうち二人が麻酔銃をかまえ、残りの三人はネットやら毒塗りのナイフやらを手に握り締め、じりじりと距離を縮めてくる。
彼は、はめている手袋を片方外し、持っている鞄の金属取っ手に触れた。
数秒後、彼は、高さ五メートルもの寮の塀を軽々と跳び越え、病院へ向かった。《捕獲屋》たちはというと、それぞれ、槍のように鋭利なもので喉や胸などの急所を一突きにされ、事切れていた。
「あーっ、寝坊したあ!」
枕もとの目覚まし時計を見るなり、彼は大声を上げた。時計の針は十時五十分を指している。アラームは九時半にセットされていたが、用を成さなかったようだ。もっとも、彼が時間通りに起きられた例など一度もないのだが。
彼は徹夜明けで家に帰るなり、服を着たまま寝てしまい、そのまま寝過ごしたようである。
彼はベッドから飛び起き、乱暴にジャケットを引っつかんで着る。つっかけるようにスニーカーをはくと、ドアを勢いよく開けて外へ出る。
「おお、もう起きたのか。いちんち寝てるかと思ってたぞ」
階下の植木鉢に水をやっていた管理人が、彼に声をかけた。彼はスニーカーをはきなおすと、言い返す。
「もう寝てられねえんだよ!」
そして、わずかに体に力を込めると、彼の体が変化し始めた。総身から獣の体毛が伸び、長い尾が現れる。顔は長くなり、口が大きく裂けてくる。四肢は地に着き、手足が縮む。
わずか数秒で、その姿は一匹の狼となっていた。狼はベランダから飛び降り、地をけって、あっというまに道を駆けていった。
この能力者の名はアーネスト。能力は見ての通り、変身系である。この能力は自身の体を他の生き物に変えるものであり、区内では非常にポピュラーな能力である。変身できるのは一種類の動物のみで、それも人ごとに種類が異なる。
狼は路地を横切り、工事中の大穴を飛び越し、裏道を走る。人にぶつかることなく走っているのは、変身系の能力者専用の獣道を走っているからである。
細い獣道を通り過ぎると、そこには広い駐車場があった。狼はそこで、人間の姿に戻る。アーネストは息を切らしながら、時計を探した。駐車場の外にある時計は、十一時十五分を指していた。
「ま、間に合った、か……?」
目的の場所はここらしい。駐車場の側には、古ぼけた病院がある。
急に、アーネストは身構えた。
《捕獲屋》の気配。
しかも分散しているため、場所を特定しにくい。
駐車場の一角から、突如、棒が飛来する。それは途中でバラバラといくつものパーツに分かれて広がり、巨大なネットとなる。側転でひょいとかわすアーネストだが、走ってきた疲れのため、動きの切れは鈍くなっている。それを狙ったかのように、《捕獲屋》が四方八方からナイフを手に襲い掛かってきた。鈍い光沢を放つナイフから、かすかに薬品のにおいがする。毒が塗られているのである。かすり傷をつけられでもしたら、即座に体内に毒がまわる。四肢の麻痺が起き、抵抗することが出来なくなる。こういう毒を使う場合、その対象となるのが変身系の能力者だと決まっている。変身系の能力者は気性が荒く、捕えるのに最もてこずるためである。
疲れていた上に多勢に無勢であったが、アーネストは《捕獲屋》を一人残らず、容赦なく地べたに叩きつけた。《捕獲屋》は数を頼みにしたせいか、その腕前は三流だったのだ。身を守る技術を持つ能力者にとっては、アマチュアの《捕獲屋》を倒すことは赤子の手をひねるのと同じくらい容易いことだった。《捕獲屋》たちはいずれも体術で叩きのめされ、皮肉にも自分たちの所持しているナイフでとどめを刺されることになった。
「アー、疲れた」
アーネストがそこを離れようとすると、背後から何かを突き刺す音が聞こえ、続いてギャアと断末魔の悲鳴が上がった。とっさに振り向くと、駐車場の樹上から、麻酔銃を持った《捕獲屋》がおちてくるのが見えた。おそらく、先ほどの乱闘で疲れきったアーネストを撃つつもりだったのだろう。アーネストはほっとすると共に、もしさっきの麻酔銃で撃たれていたら、と想像してぞっとした。
落ちてゆく《捕獲屋》の体に、金属の槍が生えている。その槍をたどってみると、
「駐車場で何をやっている」
上から不機嫌な声が聞こえてきた。息を切らしながら、アーネストは声の聞こえた方を見た。
「あ」
三階の窓の一つが開かれており、そこから顔を出しているのは、一人の医師。片手で窓枠に触れているが、その窓枠はまるで水あめのごとく伸びてグニャリと曲がり、槍のごとく先端が鋭く尖って、《捕獲屋》の体を貫いていた。
この医師は、干渉系の能力者である。手で触れた特定のものに干渉し、自在に変形させる能力である。この医師は、金属に対して干渉可能であるようだ。先ほど《捕獲屋》を貫いたのは、干渉によって窓枠を槍のごとく変形させた一撃だったのである。
能力の中では珍しいものだが、この能力には欠点がある。それは、手で触れてしまうとその時点で対象を変形させる恐れがあるため、普段から手袋をはめておくか、干渉可能な物体を身の回りから遠ざける必要がある事である。
アーネストは、三階まで、その驚くべき跳躍力でもって――しつこいようだが、これが能力者の標準的な身体能力である――飛び上がった。三階の窓のすぐ前にあるフェンスに上手くしがみつく。その姿勢は懸垂を思わせた。
「何をやってるって、お前が呼び出したんだろ。十一時半までにここへ来いって」
「……病院に一番縁のある奴をわざわざ呼び出すものか。それに、昨夜は当直でずっと部屋を空けていた。おおかた、《捕獲屋》の偽造メールで呼び出されたんだろう。全く、仮眠を取ろうと思ったのに、眠れやしない」
医師はそういって、手袋をはめる。変形した窓枠は元の形に戻る。
眠そうな顔をした医師の部屋に、逆上がりの要領で体を回転させたアーネストはひょいと飛び込んだ。きちんと片付けられた部屋の中で、ベッドだけ布団が跳ね除けられたまま。これから仮眠を取ろうとしていたのだろう。あるいは起きたばかりなのか。
「で、寝ようとしたわけかよ」
アーネストは、医師に言った。本当ならば、彼より頭半分ほどしか身長差がないが、この医師は猫背のため、実際の身長より背が低く見える。
「そうだ、文句があるか」
この医師の格好は、アーネストにおとらずラフなものである。白衣の下には、動きやすさを重視した素材の、暗色の服とズボン、スニーカー。干渉系の能力を持つために、特に《捕獲屋》に狙われやすいので、動きやすさを重要視した服装になるのは当然である。
「ついでだから一眠りさせてくんねーか? 俺だって寝不足なんだからよ」
「お断りだ」
医師はそういって、プラスチックのクリップボードを持って、欠伸をかみ殺しながら部屋を出て行った。
「出てったってことは、部屋を使わないってことだよな。ってことは、俺が寝てもいいってことだよな」
ドアが閉まったあと、アーネストは屁理屈を言って、ジャケットを脱ぎ、ベッドに寝転がった。
十秒も経たないうちに、ベッドから寝息が聞こえてきた。
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