都市伝説



 この町には、都市伝説がある。
 都市伝説といえば、噂に尾ひれがついたものである。噂は噂でも、町中に広く知れ渡っており、誰一人知らぬものはいない。だがその正体を確かめたものはいない。あくまで噂として知られている。
 この町のどこかに、幻のポケモンが住んでいる。
 それが、この町の都市伝説だった。

 ある夏の日。風はあまりなく、蒸し暑い夜だった。
 ねぐらでは暑くて眠れないので、外の風に当たろうと、ピチューはダンボールの箱の外に出てきた。本当は、廃ビルの裏手にある制御室が寝床なのだが、夏の間は室内では暑いので、ビルの入り口付近にあるダンボールの箱の中で寝ている。
 外へ出た。
 あまり風が吹いていない。
「あついなあ。水でも被ろうかな」
 近くの公園へ行き、そこで精一杯背伸びをして、水道の蛇口をひねる。蛇口からぬるい水があふれてきたが、しばらくすると冷たくなった。ピチューはしばらく冷たい水を浴びていたが、体が冷えてきたので、蛇口をひねって水を止めた。
 ブルブルと体を震わせて水気を切る。
「また暑くなったら、水被りに来よう」
 ピチューはまたダンボール箱の寝床へ戻ろうとする。すると、公園を照らす街灯の一つに、見覚えのない影が映っているのが見えた。
(なんだろう……?)
 眩しいのを我慢して、街灯のてっぺんに目をやる。
「あれ?」
 街灯のてっぺんに、誰かが乗っている。影の形は人間のそれではない。ポケモンである。だが、全く見たことのないポケモンだ。太くて長い尾、白い体、知性を宿す鋭い目を持っている。だがその目の奥にはどこか寂しげな光があった。
 ピチューがじっと見ていると、その影の主は、ピチューに気がついた。振り向く。
「今宵は、暑いな……」
 話しかけてきた。ピチューは、しかしながら聞いていない。そのポケモンに目を奪われたままだったのだから。
 街灯の上に立ったまま、そのポケモンは言った。
「どうやら今宵は、曇りのようだ」
 言ったというよりも、むしろテレパシーといったほうが正しかった。頭の中に言葉が響いてきたのだ。
 ピチューは頭の中に声が響いて、初めて、相手が自分に話しかけてきたと知った。
「え、曇りなの?」
 空を見渡す。星も月も見えない。どうやら本当に曇りのようだ。この分だと、明日は雨かもしれない。しかもこの湿気。
 街灯の上のポケモンは、言った。ピチューは、首を上に向けるのに疲れ、一旦座り込んだ。街灯の上のポケモンは、ピチューに目を向けなおす。
「この時期、雨は冷たくはない。しかし、私の心の中は、いつも冷たいな……。埋まる事のない空白が、心の中に隙間風を吹かせる」
 ピチューは相手が何を言っているのか、よく分からなかった。しかしながら、相手が何か困っているのだろうと考えた。
「何か、困ってるの?」
「困っている?」
「だって、元気なさそうだから」
 ピチューの言葉に、相手はかすかに笑ったようだった。
「元気がない、か……」
「何がおかしいの、ボクなにか変なこと言った?」
 ピチューは、慌てた。どうも笑っているらしい相手の反応を見て、自分が何か変なことを言ってしまったから笑ったのだと考えたのである。しかし相手は言った。
「お前の言う通りかもしれんな。この都市の中では、私の存在が既に噂として広まっているようだ。だが、誰も私の姿は見ない。お前の言うところの、元気がない、とはそれが原因なのかもしれないな。知られる事を恐れてはいる、だが私はここにいる事を誰かに知ってほしい。相反する感情が、私をそうさせてしまったのかもしれない」
「じゃあ、どうしたいの?」
 ピチューは尻尾を振る。相手はしばらく返答しなかった。
「わからない」
 やっときた返答にピチューは目を丸くした。
「わからないって……どうして」
「自分がどうしたいのか、気持ちの整理がつかない。だからわからない」
 ピチューは混乱したが、やがて自分なりに整理をつけた。それに、眠くなってきた。
「そっか。じゃあ、答えが出るまで徹底的に悩んでみたらどうかな? そしたら良い方法が浮かぶかもしれないよ」
「そうだな……」
 ポケモンはそう言って、ピチューに背を向けた。ピチューは、もう相手が話を打ち切ったものと考え、
「おやすみー」
 自分も背を向けて、寝に行った。
 ピチューがいなくなった頃、街灯の上に立っていたポケモンは、長い紫の尾を振って、どこかへテレポートした。

 後日、雨宿りのために入った果物屋の軒下で、売り物にならないからと貰った傷のあるリンゴを齧りながら、ピチューは、この都市の伝説のことを思い出していた。
「幻のポケモンがこの都市にいる、かあ。じゃあ、あれが幻の……?」
 あのシルエットを思い出す。見たことのない、寂しそうなポケモン。

(私は、ここにいる……)

 誰かの声が聞こえ、ピチューは周りを見回した。だが、果物屋の軒下には、果物屋の主人と客と通行人以外に誰もいない。ピチューに誰も話しかけていない。ピチューは首をかしげたが、あの頭の中に響く声で、分かった。
 あのポケモンが、話しかけてきたのだ。
「うん、ボクは知ってるよ」
 ピチューはにっこり笑い、リンゴをまた一口齧った。