絵描き



 ドーブルの尻尾の先は、筆になっている。その尻尾の先を使って、ものに絵を描くことができる。
 町外れの空き家に住み着いているドーブルは、空き家の壁という壁を、自分の尻尾を使って絵を描いていた。絵と言っても美術品というわけではなく、子供の落書きとしか見えないような絵である。それでもドーブルが絵を描くのは、単に描く事が好きだからだ。
 町の住人は、空き家の壁に絵を描きまくるドーブルの行動を別に咎めはしなかった。誰もすまない空き家なのだし、ドーブルがキャンバス代わりに使っているのがその空き家だけなのだから、実害はないのだ。
 町の子供達も、ドーブルと一緒に絵を描こうとする。子供達は道路にチョークで円や三角を描くが、車道に出ようとしたり他の建物に描こうとすると、ドーブルが止める。描いても良い場所と悪い場所をちゃんと知っているのだ。

 ある日、ドーブルが子供達と一緒に壁に絵を描いているところへ、少し毛の薄汚れたイーブイが通りかかる。誰かに世話されているわけではない。町の人たちが餌をくれるので食事には困っていないが、住む場所は裏通りの空き地。いうならば野良だ。
 イーブイは、ドーブルに聞いた。ドーブルは、壁に青い色の筋をいくつか描いていたところである。
「何してるの?」
「見りゃ分かるでしょ、絵を描いてるの」
「何の絵を描いてるの?」
「何でもないよ。描きたいから、とにかく描いているだけ。意味なんかないさ」
「そうなの」
 イーブイは、子供達と一緒に絵を描くドーブルを眺める。ドーブルは無表情だが、尻尾を動かしているところから見て、絵を描くことを楽しんでいるのだろう。筋を描いた後はぐるっと円を描いて、その円の中を塗りつぶし始めた。
 イーブイは、ふさふさした自分の尻尾と、ドーブルの尻尾を比べる。おなじくらいふさふさしているはずなのだが、自分の尻尾は短すぎた。ぶんぶん振っても、壁に絵をかけるほど長くはない。せいぜい、地面を掃くための箒くらいにしかならないだろう。
 子供達は絵描きに夢中でイーブイに気がついていない。子供達の傍らには、絵の具の入った小さなバケツがいくつか置いてあった。
「やってみようか」
 イーブイはとりあえず、赤い絵の具のなみなみと満たされたバケツの中に尻尾を浸す。そして、先が赤くなった尻尾を壁に押し付けてみた。ベチャっと赤いしみが壁についた。
「ありゃま」
 イーブイは、そのしみを見て思わず声を上げる。
「これじゃあ、ただのしみだよ……」
 が、気にすることなく壁に尻尾を押し付けたり、先端で壁をなでたりしてみた。しばらくそうしていると、赤い筋や赤いしみがたくさん壁につけられた。
「これでも絵っていうのかなー」
 また赤い絵の具のバケツに尻尾を浸していると、ドーブルが見た。
「絵っていうと思うよ。人間の基準で言うと落書きだけど」
「落書きねえ」
「でも楽しんで描いていれば、それでいいんじゃないの? 絵の美醜なんて、人間が勝手に決めるものなんだし、美醜を決められるほど真剣に絵を描いているわけじゃないんだし」
 ドーブルはそう言って、道路に出ようとする子供を追いかけていった。空き家は車道から少し離れた所にあるのだが、それでも車が来ると危ないのだ。
 イーブイは尻尾をバケツから離して、また壁の隅っこに尻尾を押し付ける。円をかけないかと尻尾を回してみたのだが、絵の具を吸って重くなってしまった尻尾を回すのは一苦労だった。それでも何とか尻尾を回し終え、見てみると、非常にいびつな円であった。
「でも、一応かけたよね」
 尻尾を押し付けて、いびつな円の中をぐりぐりと塗りつぶす。隣に、ドーブルの描いた青い円がある。綺麗な円形だ。
「ちえっ……」
 少し悔しかった。絵は楽しんで描けばいいとはいえ、やはり自分の隣に上手な絵が描かれているとどうしても比べたくなってしまう。
 ドーブルが、子供をつれて戻ってきた。そして、イーブイが、ぐりぐりと、縁からはみ出しながらも塗りつぶしている円を見る。
「なかなか上手じゃないか」
「変な褒め方は止めろよ」
「変って、何が? それ花模様でしょう?」
 イーブイは顎が外れた。円を描いたつもりなのに、花模様とは……。
「こ、これ、円のつもりなのに……」
 しかしドーブルは聞いていなかった。また尾でもって、壁に筋を描き始める。イーブイは何か言ってやろうかと牙を剥くが、やめてしまった。ドーブルは子供達と一緒に絵を描いている。子供達は楽しそうに絵を描いていた。
「まあ、いいか」
 イーブイはまたバケツの中に尾を浸し、壁にべチャッと尻尾を押し付け、ぐりぐりと壁を塗り始めた。