遠吠え特訓



 ウォォォォーン!

 ポケモン渓谷に、グラエナの遠吠えが響いた。
 ポケモンたちはその声を聞いて、ぶるっと身を震わせる。グラエナの遠吠えは遠くで聞いても迫力がある。
「あー、あー、うん。今日も喉の調子がいいな」
 朝の発声練習を終えて、グラエナは満足そうに尻尾を振りながら、崖から降りていった。

 グラエナが崖から降りて渓谷に立つと同時に、近くの茂みの中から、ガーディとポチエナが飛び出してきた。ガーディが石につまずいて転び、すぐ後ろを走っているポチエナがガーディに追突して団子になり、ごろごろと転がって、グラエナの手前でやっと止まる。岩技の『転がる』の練習でもしていたのかと思わせる。それでも、互いに身を振りほどいて団子から抜け出し、息を切らして、グラエナの正面に座り込んだ。
「あ、あのっ」
 驚くべき登場の後で、落ち着きを取り戻し、まず口を開いたのはガーディである。つづいてポチエナが口を開く。
「ボクたちを、弟子にしてください!」
 次に驚いたのはグラエナのほうだった。
「弟子だって?」
「ハイ!」
 ガーディとポチエナは同時に言った。
「毎朝、遠吠えを聞いてます。どうやったらあんなに迫力のある声が出せるんですか?」
「あの遠吠えを、ボクたちも出来るようになりたいんです!」
 二匹の表情は真剣そのものだった。憧れでこんな事を言っているのだろうと思ったグラエナは、とりあえず二匹に吠えさせてみる。二匹は精一杯吠えたつもりなのだろうが、はたから聞くとただキャンキャンとじゃれて鳴いている様にしか聞こえなかった。それもそのはず。まだガーディとポチエナは子供なのだ。体の十分に成長していないこの二匹が、グラエナのような響きのある声を出せるはずはない。ガーディがウィンディに、ポチエナがグラエナに進化しなければ、現在のグラエナのような遠吠えが出来るはずがない。
 グラエナはこの事を二匹に説明してやったが、二匹は聞かない。どうしても遠吠えを習得してやるつもりらしかった。
「お願いしますっ、遠吠えを教えてくださいっ!」
 その動機が、純粋な憧れからであることは確かである。グラエナは、まあそのうち彼らの方から止めようとするだろうと思い、弟子入りを許した。

 まずガーディとポチエナに、崖の上に立ってもらい、吠えさせた。風が彼らの吠え声を乗せて、谷にまで下りていく。だが、どう聞いても、キャンキャンとしか聞こえなかった。
「もっと腹の底から声をだすんだ!」
 グラエナが崖下から怒鳴ると、崖の上の二匹はまた鳴き始める。
 その日は一日中、崖から子犬の鳴き声が聞こえていた。夕方を迎える頃には二匹とも声が嗄れて疲れてしまい、グラエナが一匹ずつ首根っこをくわえて崖下まで下ろしてやらなければならなかった。
 崖下の、こんこんと湧き出る小さな泉に顔を突っ込んで水を飲む二匹。声が嗄れているのと、一日吠え続けたので喉がからからになっていた。だが二匹そろって諦める気はないらしく、声が嗄れていてもグラエナの朝の遠吠えに付き合って一緒に吠えた。やはりそこからはキャンキャンという可愛らしい声しか出てこないが。
 それでも、ガーディとポチエナはがんばって毎日吠えた。けなげにキャンキャンと吠え続ける二匹を見て、グラエナは少し気の毒に思うと同時に、この二匹の吠え方が少しずつグラエナのそれに近づいているのに気づいた。最初はただ可愛らしくキャンキャンとじゃれたような鳴き方をしていたが、日がたつにつれ、キャウンキャウンと伸ばすような調子の鳴き方に変わってきたのである。進歩しているという事だろうか。
 遠吠えの特訓を始めてから二週間後。ガーディとポチエナは、最初の頃とはうって変わって、進化前の姿であるにもかかわらずそれなりに迫力のある吠え方が出来るようになっていた。
 だが、彼らがどれほどがんばろうと、進化前の今の姿は子犬なのだから、これ以上は伸びない。グラエナはそれを知っていたので、彼らが朝の遠吠えに付き合って吠えた後、朝日を背にして、二匹に言い聞かせた。
「お前たちはよくがんばったな。最初の頃と比べると、かなり進歩した。これ以上俺が教えることはなくなってしまった、お前たちがこれほど進歩するとは思わなかったからな。この鳴き方なら、合格だ」
 その言葉を、二匹は目を丸くして聞いていた。そしてグラエナの言葉の意味を時間をかけて理解した。
 二匹は飛び上がって大喜びした。
「やったー! これでいちにんまえだー!」
「ありがとーございましたー!」
 グラエナに礼をいい、二匹は転がるようにして、崖からゆっくりと降りていった。
(そういえば昔も、あんなことがあったなあ)
 幼い頃、鍛えられた体のゴーリキーにあこがれて、自分も体を鍛えようと崖の上から下まで何度も往復して脚力をつけていたことを、グラエナは思い出した。子供の持つ純粋な憧れの気持ちがあったからこそ、あんな無茶が出来たのだろう。今思えば、一歩足を踏み外せばまっさかさまに転げ落ちてしまう危険な崖を走って上り下りすることは、命知らずのすることに他ならないというのに。
 駆けていったガーディとポチエナの後姿を見て、懐かしさがこみ上げてくるのを感じた。それからグラエナは、落ち着いて崖を降りていった。

 数日後、森を歩いていたグラエナは、あの二匹・ガーディとポチエナの姿を発見した。だがまるでタネボーのように、ごろごろと地面を転がっている。目を回しながらそれでも何度も転がっていく二匹の側で、イシツブテが見ている。
(たしかあいつは、渓谷で一番転がるのが上手いとか自慢していたな)
 茂みの陰からグラエナが見ていると、イシツブテが「よし! 止め!」と元気よく言った。やがて二匹は息を切らしながら転がるのをやめた。
「これだけ転がれれば、十分だ! これでお前たちに教えることはもうないぞ」
 すると、ガーディとポチエナはキャンキャンと嬉しそうに鳴いた。
「やったー! これでいちにんまえだー!」
「ありがとーございましたー!」
 ごろごろとまた転がりながら去っていく子犬二匹を見て、茂みからずっと見ていたグラエナは、開いた口がふさがらなかった。
「そうか、あいつらは、単にミーハーなだけなんだな……」
 何のために遠吠えを教えたんだろう。
 やるせなくなったグラエナは、とぼとぼと自分の住まいへ帰っていったのだった。