こわがりピチュー



「うわああああん!」
 ピチューは、火がついたように泣き出した。その大きな泣き声で、周りにいたポケモンたちは心臓が破裂するほど驚いて飛び上がった。
「な、なんじゃ?」
 ヨルノズクは、思わず一番高いところへ飛び上がっていた。止まり木から、下を見下ろすと、隅っこにいたピチューが大きな涙をボロボロこぼしながらピーピー泣き出していたところだった。
 毎年の夏恒例の、ヨルノズクによる、怪談。渓谷のポケモンたちが、涼しさを味わいに聞きに集まる。が、ヨルノズクの話はあまりにも怖いので、脱落者が何匹も出る。最後まで聞いた者も、その夜は一人では眠れなくなる。それでも毎年この怪談を聞きにたくさんのポケモンがやってくる。怖いもの見たさ(いや聞きたさというべきか)であろう。
 ピーピー泣いて「もう帰りたい」とだだをこねている幼いピチューは、隣に座っているピカチュウにあやされてやっと泣き止んだ。同時に、周りの皆はホッと息を吐いた。真剣に聞いているときのサプライズは遠慮してもらいたいものだ。実際、怪談を聞いている途中に怖さのあまり泣く者も結構いるのだが、いつもはシクシク泣く程度。だが、これほどの大声で泣かれるのは初めてだった。しかも、まだそれほど怖くないところ。これから盛り上がるというとき。
「ぐすん。ごめんなしゃいでチュ……」
 目に涙が浮かんだまま、ピチューはぺこりと頭を下げた。皆、特に咎めはしなかった。別に帰りたいなら帰っても構わないのだ。こんな小さな子が最後まで話を聞けるとは、誰も思っていない。
「こほん。よいかな。では続きじゃぞ」
 ヨルノズクは、止まり木から降りてきて、焚き火前に置かれた専用の石の台に乗る。ぶるっと翼を震わせてから、話を再開した。
「まず、森の奥から奇妙な声が聞こえてきた。そこまでは話したな? そこでじゃ、わしはその奇妙な声の正体をつきとめんがために、奥へ進んでいったわけじゃよ。ゆ〜っくり、ゆ〜っくり、翼を使わず、足で歩いていってな。奇妙な声は徐々に徐々に、大きくなってきた。そして――」
 数分後、渓谷中に悲鳴が響いた。今度はピチューだけの悲鳴ではなく、話を聞いていた皆のそれだった。

 怪談話が終わってから。
「わああああん! ママ、いっしょに寝て!」
 兄弟のなかでも一番幼いピチューは、わんわん泣きながら、母親にしがみついている。怪談話の途中で突然泣き出したピチューだ。
「だから言ったでしょう、眠れなくなるから止めておきなさいって」
 尻尾がハートマークの形になっている母親のピカチュウ。他のピチューたちは大人しく巣穴で留守番をしていた。といっても、巣のわらで笛を作って遊んでいたので、大人しくしていたとは言えないのだが。兄たちはヨルノズクの話を一度聞くと、その怖さに耐え切れず、「もっと大きくなったら聞きにいく!」と母と約束した。が、末っ子のピチューは怪談を聞いたのはこれが初めて。兄たちが口を酸っぱくして「止めろ」と言ったものの、「どうしても聞きたい!」と、反対を押し切って母の手を引っ張って怪談を聞きに行ったのだった。その結果、
「どうしても、一人じゃ眠れないんでチュ! いっしょに寝て!」
 あまりにもピーピーやかましく泣き喚くので、母だけでなく、兄たちも皆、一緒に寝ることになった。
「わかったから、一緒に寝ようね」
「うん。怖いでチュ……」
 夜中を過ぎる頃。ピチュー兄弟は、皆、寝静まった。末っ子ピチューは、母親にしがみつくようにして眠っている。が、実は目を閉じているだけだった。
 眠れない。ヨルノズクの話が頭の中で何度も何度もこだましている。特に、ヨルノズクがお化けと遭遇したシーンが、あまりにも恐ろしかった。幽霊なんていない、そう頭の中で言い聞かせられる年齢ではない。
 寝息の中、やがて末っ子ピチューは母を揺すり起こした。
「ママあ、おトイレ……」

 トイレは巣穴から二メートルほど離れたところにある。末っ子ピチューは、母親の手を握りながら必死でトイレを我慢しつつ、歩いていた。トイレはゆっくり距離を縮めつつあるが、ピチューにはそのトイレまでの距離が恐ろしく長く感じた。
「ホラ、おトイレよ。寝る前にお水飲んじゃ駄目って、何回も言っているでしょう」
「だって、暑くて喉が渇くんでチュ。ママ、帰っちゃやだ」
「帰りませんよ。さ、早く済ませなさい」
 末っ子ピチューは、後ろにいる母親が帰りはしないかと三秒に一回後ろを振り返りながら、トイレを済ませた。
「おわったでチュ」
「よかったわね。じゃ、手を洗って帰りましょう」
 サラサラ流れる細い川で手を洗う。それから末っ子ピチューは母親の手を握って、巣穴までの道を歩き出す。
 何か出やしないかとビクビクしながら歩いていくと、

「いよう!」

 突然の大声に、末っ子ピチューは驚いた拍子に放電してしまった。辺りを弱弱しい電流が流れる。元々体内にはそんなにたくさんの電気を溜める事が出来ないので、放電したとしてもダメージは少ない。ビリッと来る程度だ。
「ママ、ママ! おばけ!」
「何を言ってるんです。ゴースさんよ」
 ピカチュウの言葉に応える様に、ピチューの近くからゴースが姿を現した。
「いよう、オレさまみたいに、あんたら夜のお散歩かい?」
「いえね、そうじゃないの。この子、物知り博士の怪談話を聞きたいってわがままを言うから仕方なく連れて行ったけど、怖くてトイレに行けなくなっちゃったのよ」
「お、その歳で物知り博士の怪談話を聞いたのかい? スゲー度胸あるなあ、チビ」
 ゴースはおかしそうにケラケラ笑っている。ピチューは、目に涙を浮かべたまま、ピカチュウの後ろにいる。
「でも、おめーにはまだ早かったなあ。物知り博士の怪談は、オレらでもこわく感じるんだぜ?」
「よ、よくわかったでチュ」
 実際に聞いたのだから、ゴースの言葉は理解できる。ピチューはヨルノズクの話を思い出して、ブルブル震えてしまった。さっきすませたトイレにまた行きたくなってしまうほど、怖くなった。
「うわああああああん!」
 恐怖がまたよみがえり、ピチューは泣き出した。突然泣き出したピチューをなだめるのに、ピカチュウとゴースは一時間も費やしてしまった。
 ようやく巣穴に戻ってきた親子は、やっと眠りについた。末っ子ピチューは母親の傍にひっついて離れようとしなかった。
 一時間後。
「うわああああん!」
 ヨルノズクの怪談に出てきた幽霊に追いかけられる夢を見て、末っ子ピチューは泣きながら目を覚ましてしまった。同時に、母親と兄弟たちも。

 その夜は、誰一人として眠れなかった。末っ子ピチューが何度も何度も泣き喚いたのだから。