夜の冒険
また怒られた。
原因はわかっている。
また、お漏らしをしてしまったからだ。
寝る前に水を飲んではいけないと、あれほど自分に言い聞かせていたのに、喉がかわくと、まよわず川へ水を飲みに行ってしまう。そして、朝までぐっすり寝ているうちに、巣穴のわらがぐっしょり。
「き、今日こそ行くんでチュ」
ピチューは、びくびくしながら、巣穴を出た。
時刻は真夜中を過ぎた頃。満月は出ているものの、林の中まで光は十分に届かず、周りの木々や石の形を判別するのがやっと。夜風が出て辺りは冷え込み、木々の隙間をすり抜けていく際にヒョオヒョオと音を立てる。
「い、行くんでチュ」
ピチューはびくびくしたまま、巣穴の側に立った。夜中にトイレへ行きたくなって眼が覚めたのだ。今までは外へ出るのが怖かったのでそのまま我慢して寝ていた。そしてお漏らしをしてしまい、怒られていた。
だが、今夜という今夜は、何としてもトイレへ行くと決めていた。そして、寝る前に水を飲んでしまったので、夜中にトイレへ行きたくなり、怖いのを我慢して巣穴から出てきたというわけである。
ピチューの目の前には、薄暗い闇と、林が広がっていた。いつもならば、小高い丘へ通ずる散歩道なのだが、闇と風が支配する現在は、ピチューにとってはとてもおそろしい場所だった。前方はほとんど何も見えず、かえって誰かが隠れているかのような錯覚をおぼえる。風が林の木々の隙間を抜けて不気味な音を発し、誰かがピチューをせせら笑っているかのように聞こえてくる。
「こ、こわいでチュ……」
ピチューはぶるっと震えた。トイレへ行くために外へ出てきたのだ、今更戻るわけにも行かない。だが、まだピチューは幼いのだ。一人で夜中にトイレへ行くなど、大冒険にも等しいのだ。
強い風が吹いてきて、顔に何かが当たる。思わずキャッと悲鳴を上げ、ピンクの頬袋から電気ショックをはなった。バリバリと弱い電気が、顔に張り付いた何かに当たり、何かは落ちた。見てみると、ただの大きな木の葉だった。
「な〜んだ。びっくりしたでチュ」
正体が葉だとわかって安堵するピチュー。そしてトイレへいくために、巣穴から、少しずつ少しずつ離れて歩き始める。月の光が徐々に差し込んで辺りを照らしてくれる。その光に勇気付けられ、時折巣穴を振り返りながらも、ピチューは少しずつ歩いていった。
「トイレでチュ」
目当ての場所へとたどり着いた。
月が、雲に隠された。同時に林の中が一気に暗くなり、また夜風が強く吹き付けてきた。さあトイレだと意気込んだはずのピチューは、怖くなった。光が失われて、不気味な音があたりに響いてくる。
「ヨー」
なにか甲高い声が背後から聞こえてきた。
仰天したピチューは走った。だが何かにつまずいて転び、草地の上に投げ出される。何かがすぐ側まで迫ってくるのが分かる。
「たチュけてーっ!」
泣き出したピチューの頬袋から、体内にためている電気がありったけ放出された。十万ボルトには遠いが、それでも相手をショックで気絶させるくらいなら可能な電圧である。電流は辺りの木々を伝い、葉を落とし、音を震わせた。
「ギャッ」
背中から声。ピチューは泣きべそをかきながら、ぱっと後ろを振り返る。
「なにすんだよう、あいさつしただけなのに」
ムウマがいた。先ほどの電流でダメージをうけたのか、体からパリパリとわずかに静電気を走らせている。
「な、なにって……」
ピチューは最後までいう事が出来ず、火がついたように泣き出してしまった。ムウマは相手に突然泣かれたので、慌てた。
「な、泣くなよお、オイラがなにしたんだよう……」
あれこれ言って、ムウマはやっとピチューをなだめることに成功した。泣き止んだピチューは、べそをかいたままだったが、何かをいう事は出来た。
「こわかったの……」
ピチューは、ムウマの声に驚いて逃げただけだった。
「わかったよわかったよ、声かけたオイラが悪かったよ」
ムウマはなおもピチューをなだめてやりながら、ピチューを巣穴まで送ってやった。
「んじゃな」
ムウマが去った後、ピチューは巣穴に転げ込んだ。そして、母親の側まで転がると、ぴったりと寄り添うようにして、眠りに就いた。
翌朝。
また怒られた。
結局ムウマに驚いたためにトイレをしにいった事を忘れてしまい、巣穴のわらがぐっしょりと濡れていたのである。
「もう怖いのはイヤでチュー!」
おもらしした寝床のわらを目の前にしたピチューの泣き声が、ポケモン渓谷にこだました。