最初の出遭い



 秋の終わり。
「ここが、ポケモン渓谷……広い所でチャマ」
 小さなポッチャマは、目の前に広がる大きな渓谷を見て、思わず驚きの声をあげた。見渡す限り、紅葉の世界。まだ枝に残っている赤と黄色の葉が、朝日を浴びて美しく輝いている。
「冬になる前に来られてよかったでチャマ。銀世界を見るのもいいけど、やっぱり皆の冬眠前に挨拶するのが礼儀と言うものでチャマ! チャマのともだち、たくさん作るでチャマ!」
 ポッチャマは、ポケモン渓谷に向かって、なだらかな丘を下っていった。

「ホントに広いところでチャマ! 結構歩いてるのに、全然ほかのポケモンたちが見当たらないでチャマ!」
 歩き疲れたポッチャマは、どっこらしょと、平たい石に腰かけた。頭の上のブリーの木の枝から木の実がひとつ落ちてきたので、頭の上でつぶれる前にうまくキャッチし、食べる。
「うーん、デリシャスでチャマ!」
 一休みしてから、また歩き出す。だが、行けども行けどもポケモンには出会えなかった。
「全然会えないでチャマ! 一体全体、どこにいるんでチャマ? まさかもう冬眠しちゃったとか、そんなことありえるチャマ? それともここにはポケモンなんて住んでいないチャマ?」
 太陽が南の空へ昇るころ、ポッチャマはくたびれて、モモンの木の根元に座った。甘い香りのモモンの実を、水鉄砲で落とす。一個は受け止めそこなって自分の頭の上で割れてしまい、自分の頭に甘い香りと果汁が広がった。だが二回目は成功した。とても甘い実だったので、腹が膨れるまで食べてしまった。
 一休みしてからまた歩き出す。
「あ」
 急に、ポッチャマは立ち止まった。
「おしっこ、行きたいでチャマ……」
 汁気たっぷりのモモンの実を山ほど食べたのだ、当然だろう。
「ど、どこかに、おしっこできる場所ないでチャマ?」
 周囲を見回すが、それに適した場所はない。このあたりの木々は木の実がたくさん実っているだけでなく、草が押しつぶされた跡がたくさんあることから、ポケモンたちの食事場所として使われているとわかる。そんなところでトイレなど出来るはずがないではないか!
「ど、どうするチャマ? が、我慢できないわけじゃないけど――」
 ポッチャマは呟きながら、駆け足でトイレできそうな場所を探す。左右をきょろきょろ見回していたので、自分の走ってきた道が徐々に細くなって荒れていき、大きな石がいくつも転がっているのに気づかない。
「ああもう、もれちゃうでチャマ」
 だんだん尿意が増してくるのにトイレに適した場所は見つからない。もう、ポッチャマは自棄になった。限界が近いのだ!
「もう、どこでもいいでチャマ! そうだ、あの岩の陰でしてやるチャマ!」
 そして勢いよく駆けだし――
「チャマあああああああ!」
 石につまずいたポッチャマは前方に投げ出された。地面に激突するかと思いきや、その先には青空が広がっている。
 崖に向かって、ポッチャマは飛んでいた。
「チャマああっ」
 とっさに、崖のふちに生えている大きな草をつかんだ。枯れかけているが茎の太い草の束がポッチャマの体をうまく支えてくれる。宙ぶらりんのポッチャマ。助かったと安堵のため息をついたのもつかの間、
「あっ」
 うっかり下を見てしまった! 切り立った崖のはるか下には、赤と黄色の森が広がっている。こんなところから落ちたらどうなるか、結果は明らかだ。なお悪い事に、草が一本、ぶちぶちと、ポッチャマの体重を支えるのに耐えきれず、途中でちぎれてしまう。ぶちっという音が聞こえるたび、ポッチャマの体は徐々に下がっていく。全部ちぎれるのは時間の問題。自分が飛べればすぐにでも手をはなしてしまうのに……。
「チャマああああ! だれか助けてチャマあああああ!」
 涙目でポッチャマは叫んだ。
「だれだー、そこで叫んでるのはっ」
 崖の上から声がして、誰かが顔をひょっこりとだした。
「何だ、誰もいないじゃん……」
 周りを見回し、ブイゼルはぶつぶつ言った。どうやらポッチャマがこの崖から落ちかかっている事など、全く見えていない様子。
「た、助けてチャマああああ!」
 ポッチャマは必死で、助けを求めた。ブイゼルは初めて下を見た。
「あ、ここにいたのか」
「た、助けてチャマ……」
 ブイゼルに助けを求めるポッチャマ。同時に、ポッチャマがつかんでいる草の束の、最後の丈夫な茎が、ブチリと音を立ててちぎれた。
「チャマあああああっ!」
 ちぎれた草の束を握ったポッチャマの体が、落ちた。
 ……。
「あぶなかった……」
 ブイゼルはほっと息を吐いた。
 ブイゼルは尻尾で崖の小さな岩をつかみ、後ろ脚の片方をしっかりとまげて細い枯れ木をはさんで体を支え、その状態で、崖から身を乗り出して、前足でポッチャマの黄色い足を掴んでいた。
「うう、助かったでチャマ……」
 ポッチャマは泣きだしそうだった。
「安心するのは早い。こんな宙ぶらりんの状態じゃ、いつおいらが落ちてもおかしくないっての」
 悪戦苦闘のすえに、ブイゼルは何とかポッチャマをひっぱりあげた。
「あ、ありがとでチャマ……」
「いーのいーの」
 口ではそう言いながら、ブイゼルは尻尾をスクリューのごとく勢い良く回転させている。照れている証拠だ。
「うう、そんなことよりトイレトイレ。さっきからずっとガマンしっぱなしなんだよな!」
「あっ、チャマもトイレ!」
 ポッチャマはブイゼルの後を追った。緊張が解けて尿意が戻ってきた。さっきの落下の恐怖で失禁しなかったのが不思議だ。
 ブイゼルは脇道へそれていき、小さなこんもりとした茂みをかきわけて、用を足した。
「ふー、いいきもちい」
 ポッチャマもそれにならった。
「あー、すっきりでチャマあ」
 用を足し終えると、若干離れたところに湧いている泉で手を洗う。
「そういやあ、お前、見ない顔だよなあ。よそ者?」
 今頃、ブイゼルは言った。
「今頃聞くのチャマ?」
 ポッチャマは半ば呆れた。
「チャマは、ポッチャマでチャマ。今日、このポケモン渓谷に引っ越してきたんでチャマ」
「そうなのか! ここは楽しいぞ〜。年がら年中、何か起きてるんだからよ」
「そうなのでチャマ? やっぱり引っ越してきてよかったでチャマ! でも他のポケモンが見当たらないのでチャマ。冬眠しちゃったのでチャマ?」
「うんにゃ。ここからもうすこし離れたところに、皆が住んでいる森があるんだ。ここはまだ渓谷のはずれなんだぜ。渓谷はうんと広いんだ。一日じゃあ、全部回りきれやしない」
「ひえーっ、そんなに広いんでチャマ?!」
「オウ」
 それからブイゼルは尻尾をスクリューのごとく回転させる。
「なあ、お前、ポッチャマデチャマ、だっけ?」
「チャマは、ポッチャマというポケモンでチャマ」
「ア、そうか。悪いな、ポッチャマ。じゃあ行こうか」
「どこへでチャマ?」
「決まってるだろ。おいらの友達にお前を紹介しに行くんだよ。大丈夫、この渓谷には人間の世界から来た奴もたくさんいるんだ。誰もお前を拒絶したりしないよ」
「チャマ!?」
 やっと、渓谷のポケモンに会える! ポッチャマの胸は高なった。
「嬉しいでチャマ! でも」
「でも?」
「最初の友達、できたでチャマ!」
 ポッチャマはそう言って、ブイゼルの前足を握った。
「ポケモン渓谷の最初のお友達でチャマ!」
 ブイゼルはまたしても尻尾を回転させる。
「お、おいらがおともだち?」
「嫌なのでチャマ?」
 ポッチャマはしょげた。慌ててブイゼルは言った。
「そんなことねえやい! さ、とにかく行こうぜ、皆のところへ!」
「チャマ!」
 ブイゼルとポッチャマは手をつないで、渓谷へ降りる道を歩きだしていった。