桜の散るとき



「桜、散っちゃったね」
 野良のイーブイは、尻尾を振りながら、土手の桜を眺めた。数日前まで、辺りで人間たちがどんちゃんさわぎをしていた桜並木。気温が上がり、花は散って、葉桜になり始めたのだ。
「たくさんの花びらが空を飛んでくの、きれいだったよね」
 風が少し強く吹いて、残った桜の花びらが、空を飛んでいく。花が散るのも美しい。儚い桜の花が風に乗って桜吹雪を作り出す。そして桜の花は終わりを告げるのだ。
「今年は気温が高かったからねえ。仕方ないと思うよ」
 隣で、エネコが尻尾を振っている。
「もうちょっと長持ちしてほしかったのになあ。夜桜もキレイだったし、桜吹雪もとてもキレイだったけど、やっぱり咲いている桜が一番好きだな」
 イーブイは後ろ足で耳の後ろをかいた。
「いずれさくらんぼになることは知ってるけど、この桜ってさくらんぼ実るんだっけ?」
「これは実らないわ」
 エネコは立ち上がって、短い脚を伸ばして背伸びした。
「ただの観賞用の桜だもん。これ一代かぎりの木だったと思うよお」
「ちえー。さくらんぼ、果物屋でねだるしかないかな」
 それから二匹は土手を離れて、ポケモンセンターへポケモンフードをもらいに行った。

 ポケモンフードをもらうついでに、ラッキーにオマケでシロップをなめさせてもらった。なかなか美味い。食後、水道で体を洗ってきたイーブイは、ぶるっと体を震わせて水気を飛ばす。そして、エネコと並んで商店街へと歩き出した。行きかう人々は、忙しそうだ。だが時折、風に乗って流れてくる桜の花びらを見ている。
 エネコが口を開いた。
「やっぱり人間たちも気になるのねえ、桜の花びら。毎年のことだけど」
「桜を見るのはポケモンだけじゃないってことだろ」
 イーブイは、鼻の頭に落ちてきた桜の花びらを、ぷっと息で吹き飛ばした。
「でも、花粉症にかかるのは人間だけみたいだね」
 イーブイの言うとおり。行きかう人々の半数は、マスクをつけている。ポケモンはこの時期、なんとも無い。杉林の中に住んでいるポケモンはいくら花粉を浴びようが、花粉症にかかることなどないのだ。
 商店街を通り抜けて公園へ入る。ここにも桜の木が植えてあるのだ。この木も、葉桜になりかけている。もうしばらくすると、キャタピーやビードル、ケムッソが木によじ登り始めるだろう。葉っぱを食べるために。
 そよ風が吹いている。葉と花がそよそよと音を立てて揺れる。そして、ゆっくりと花びらが風に舞うのが見えた。
「やっぱりきれいだねえ」
「うん」
 が、地面に落ちると、その美しさはとたんに失われてしまう。地面に落ちると嫌でも踏んでしまうからだろうか。不思議だなあ。二匹とも思った。あの美しさが、あっというまになくなってしまう。儚すぎる。
「でも、もみじもいっしょだよね」
 エネコは言った。
「落ちてくるもみじはきれいだけど、地面に落ちちゃうと、とたんに汚く見えちゃう」
「でもさ」
 イーブイは、頭の上に舞い降りてきた桜の花びらを、前足で落とした。花びらは、ゆっくりと風に乗って、空へ舞い上がった。
「桜ももみじも儚い美しさを持つから、そう感じるんじゃない? いくらきれいでも、体洗わなかったら汚れるのと一緒でさ。命短しオトメ恋せよなんて、人間のことわざにあるし。短い命だから、もみじも桜も、精一杯キレイなものを見せてくれるんだよ。地面に落ちると汚いけど、木についてて、風に舞って空を飛んでる間はキレイじゃん? それに、毎日同じものばかり見てると飽きてくるし」
 イーブイは、また後ろ足で耳の後ろをかいた。
「それもそおね」
 エネコも尻尾で耳の後ろをかいた。脚が短くて届かないのだ。
「でもさ、ここはまだ桜が残ってるからさ、今のうちに見ておこうよ。今年の桜をじっくり見ておけなかったからね」
 その日、イーブイとエネコは並んで、桜の木を眺めていた。