ボールを追いかけて
ゴミ捨て場で拾った小さな赤いボール。
エネコのお気に入りだ。花の香りがする石鹸のかけらと公園の水道水で洗って、遊ぶのに使っている。ボールは弾力があり、わずかに力を込めるだけでもポンポン元気に跳ねるので、エネコは、それを追いかけるのが楽しかった。
ある日、エネコはいつものようにボールを追いかけて遊んでいた。エネコの短い手でボールを押すと、ボールはぽんぽんと跳ねて、ころころと転がっていく。だが、先ほど力を込めすぎたのか、ボールは道端から側溝にまで転がっていき、側溝の中へ落ちてしまった。
「あーあ」
エネコは残念そうに尻尾を振ったが、すぐに側溝へ走った。側溝の中はじめじめしており、時折泥水や汚水が流れていくので、嫌なにおいもする。ベトベターやゴクリンの好んで暮らす場所だ。
「どうしよう。取りに行くしかないかなー」
エネコはとりあえず、なるべく乾いた場所へ降りた。奥から風が吹いてきて、下水のにおいが鼻を突く。
「げえ、くさー」
ボールがどこへ転がったのか分からなかったが、とりあえず周りを見回してみる。
丸い影が、奥に見える。
「あ、きっとあれね」
エネコはちょこちょこと小走りに走り、その丸い影のほうへ行く。
「あれ?」
だがその丸いものはエネコのボールではなく、別の玩具だった。空気の抜けてきた小さな風船。風に飛ばされて、ここに落ちてしまったのだろう。泥がベタベタついている。
「なあんだ、風船ね」
爪を立ててみると、風船はパンと音を立てて割れ、エネコは思わず飛び上がった。
「ああ、びっくりした」
ボールを探しに、更に奥へ入っていく。じめじめした側溝の触り心地が、さらに気持ち悪いものとなる。泥が混じり始めたのだ。
奥へ進んでいくと、何かの気配がある。尻尾をぴんと立てて目を凝らしてみると、何かが動いているのが見えた。さらに目を凝らすと、その動いているものは、ゴクリンだった。喉らしき箇所をゴクリゴクリと鳴らしている。腹が減っているようだ。
「ねえ」
エネコは声をかけてみる。ゴクリンは、ゴクリと喉を鳴らし、エネコを見る。
「あのね、ここに赤いボール落ちたんだけど、知らない?」
「あ、ボール? あの赤いの?」
ゴクリンの答えに、エネコはニャッと声を上げた。
「ねえ、どこにあるの? まさか、食べちゃった?!」
「あんな不味いもの、食べられないよ。捨てちゃった」
「捨てちゃった?! どこに?!」
口に入れたようだが食べられなくて良かったという安堵感。ボールを捨てられたという焦燥感。エネコの心中を察する事無く、ゴクリンは無表情で、更に奥を指す。エネコは礼を言うのも忘れ、ゴクリンの脇をすり抜けて奥へ向かった。
奥へ行くほど、暗くなる。夜目が利くエネコでも、さすがに周りの判別が難しくなってきた。これ以上奥へ行くと、本当に迷子になってしまうかもしれない。もちろんこの側溝に住んでいるポケモンたちに道案内を頼めばいいのだが、それでも、迷子になるのだけはいやだった。
「ボールどこかなあ?」
用心しながら足を前に出す。ぬめってきた。滑りやすくなっている。下水が流れた後のようだ。
ふと、何か丸いものを踏んづけた。顔を近づけてみると、それは、泥まみれの、エネコのボールだった。
「あったあ」
エネコがよろこんで尻尾でボールをつまんだのも束の間、奥から何かが流れてくるような音が聞こえ、わずかな地鳴りがする。
「きゃああああ」
エネコは思わず声を上げた。なぜって、奥から下水が流れてきたからだ。エネコが逃げる間もなく、下水はエネコを呑み込んだ。そしてそのままエネコは押し流された。泳ぎは苦手だ。このままでは溺れてしまう。
何とか尻尾を伸ばす。何かに掴まろうとするが、あいにく側溝に取っ掛かりはない。エネコの努力も空しく、下水は無慈悲にエネコを押し流していった。
エネコが気がついたのは、それからどれくらい後なのか。目を開けると、そこは側溝の縁にある小さな渡し場。いつもゴクリンやベトベターが日光浴をしにやってくる場所だ。
ゴクリンが、エネコを覗き込んでいる。その側に、あの赤いボールが転がっていた。
「だいじょーぶー?」
「……ここは?」
「溺れてたみたいだから、拾ってきただけ。エネコは食べられないから」
エネコはニャッと起き上がる。食べ物扱いされて腹が立ったが、助けてくれたのだから怒る気にはなれない。
「ボール、見つかったの。よかったね」
ゴクリンはのんびりと言って、大あくびした。ぽかぽか暖かな日差しを浴び、これから昼寝をするつもりらしかった。エネコに背を向け、くうくうと寝息を立て始める。
エネコはボールを拾い上げ、公園へ、体を洗いに行った。