北風



「寒いね」
 はーっ、と息を吐き、ライチュウは言った。吐いた息は白くなり、すぐ消える。隣で、毛を逆立てて体温を保とうとするブースターは、ぶるるっと体を震わせる。
 ポケモン渓谷はもう晩秋となっている。木の葉が落ち、木の実はすでに冬の間の食料として地下に貯蔵され、木の芽は固い樹皮で冬篭りをしている。ポケモンたちも、各々住まいに木の実を貯めこみ、落ち葉や枯れ草をたくさん敷き詰めて暖かいベッドを作った。そして数週間、つまり人間の季節で言う十二月がくれば、渓谷のポケモンのほとんどが冬眠に入るのである。鳥ポケモンや水棲ポケモンはそれぞれ別の場所で越冬するために旅立った。
「ところでさ」
 ライチュウは、自分の住まいに戻ろうとするとき、ブースターに聞いた。ブースターは炎ポケモンではあったが、寒いのは好きではないらしく、始終体を震わせている。
「なあに」
「こないだから、ヒューヒューって風がうなってるでしょ。あれが、なんかの鳴き声に聞こえて来るんだよ」
「鳴き声?」
「うん。鳴き声に聞こえるの。君はどう?」
「どうって……ただのこがらしでしょ。それより、早く帰ろうよ。寒いよ」
「そだね」
 ライチュウとブースターはしばらく一緒に歩いた。そして、ライチュウの住まいである巨木の近くで、別れた。
 晩秋のため、日暮れが早い。ライチュウは住まいである巨木の洞に入ると、草を敷き詰めなおし、木の実をいくつか食べて、寝転がった。
 昼の間に日光で暖められていた草が、眠気を誘う。洞の入り口に、川から流れてきたのを拾った鉄の板を立てかけて風を防ぐと、洞の中はずいぶんと暖かくなった。ライチュウはいつのまにか、眠りについていた。

 どれくらい寝ていたのだろうか。ふとライチュウは目を覚ました。立てかけていた鉄の板をどかし、外へ出てみる。すっかり日は落ちて、冷たい光を放つ満月が夜空高く昇っていた。冷たい夜風が吹き付けてくるが、ライチュウはこの風の音を、何かの生き物の鳴き声のように聞いていた。そして今も同じく。
「何の声だろう。誰かを呼んでるように聞こえるなあ」
 声のするほうへ歩く。林を通り抜け、川を渡り、滝つぼの側を通り抜け、丘を登る。いつも昼寝をしに行く、あの小高い丘だ。
「あっ」
 ライチュウは、丘のてっぺんにいる者を見て目を見張った。冷たい満月の光を背に受けて照らし出されているのは、見たこともないポケモンだった。つややかな青い体、きりっとした目つき、引き締まった体格。
「……私の呼びかけに、応えたのか、ライチュウよ」
 凛とした声が口から漏れてくる。ライチュウは目を丸くしたまま、ポケモンを見つめた。ポケモンはライチュウの返事を待たず、また口を開く。
「私は、北風の化身と呼ばれる者だ。今年もまた、冬が来ることを伝えにやってきた。私の呼びかけは、いつも北風に乗って訪れる。だから声と認識されることはなかった。だがお前は、私の呼びかけに応えた。そして、私の元へ来た」
 自らを北風の化身と称したポケモンはゆっくりとライチュウの側に歩む。ライチュウは警戒するのも忘れ、そのポケモンの優美さに目を奪われていた。月の光に照らされて、毛皮は美しい光を反射している。隙のない足の運びもまた優雅だった。
「お前に伝えよう。今年の冬は、例年より早く終わるぞ。そして、より暖かな春が訪れる」
「どうして、わかるの」
「私は北風の化身。冬の到来を伝えるだけでなく、冬が過ぎた後、春風を導く役もある」
「そうなの……」
 ライチュウは相手の話をあまり聞いていなかった。
 相手はライチュウに背を向ける。
「別の場所へ、冬の到来を知らせに行く。お前のように応えてくれる者がいるかどうかは別だがな」
 飛び去ろうとする相手に、ライチュウは聞いた。
「名前、なんていうの?」
 相手は振り向いた。そして、静かな声で答えた。
「スイクン」
「すいくん……?」
 ライチュウが首をかしげている間に、スイクンは跳んだ。満月の光が、スイクンの跳んだ軌道に、まるで水滴のようなきらめきを投げかけ、それをみたライチュウはまたもや目を奪われた。
「きれい……」
 スイクンが去った後もしばらく、ライチュウはその後をずっと見送っていた。北風が強く吹いてきた。スイクンの後を追うように。

 冬が訪れる。
 鉛色の空から、雪がちらほら降ってくるのが見える。
 ライチュウは、自分の住まいから雪を眺めながら、スイクンに遭ったことを思い起こしていた。
 北風とともに、スイクンはどこかへ去った。今頃は、世界中に冬の到来を告げ終わり、春の訪れをどこかで待っているのかもしれない。
 住まいの前を急ぎ足で通り過ぎたロコンに手を振り、ライチュウは鉄の板を住まいの入り口に立てかけて風を防ぎ、草の中へ潜り込んだ。暖かな草と洞は、心地よい。横になってすぐに、眠気が訪れる。
 スイクンはどこかを駆けているのだろう、北風とともに。ライチュウはそう思いながら、春までの長い眠りについた。

 外は雪。一面の銀世界。