春の夜風
「まだ風冷たいでチュ」
末っ子ピチューは、巣穴から出るなり、ぶるっと身を震わせる。
春が本格的に訪れ、日々、花はつぼみを開かせ、木々は芽吹いていく。それなのに、夜はまだ寒いままだ。
「とにかく早くトイレするでチュ。ふえーっくしょっ!」
はでなくしゃみをした後、末っ子ピチューはぶるっと身を震わせながらも、手近な木の傍へ歩み寄る。空にのぼった満月が辺りを明るく照らしており、今は、ピチューは何も怖くない。誰かに脅かされでもしない限りは。
(だ、誰もおどかしてきませんように……)
大急ぎで用を足して、それから小川で手を洗う。
「うう、冷たいでチュ」
さっと手をつっこんだだけで、すぐ手を川からあげた。水にぬれた手を伝って全身を寒気が駆け抜けていく。まだ木々は芽吹いたばかりで、手を拭くのに適した大きさの葉っぱがないので、仕方なく木の幹で手を拭いた。
「ざらざらしててちょっと痛いかも」
手も乾かした事だし、さっさと巣穴に戻って寝よう。末っ子ピチューはくるりと回れ右した。
目の前に、赤くて丸いものが立ちふさがった。
「いよう」
「きゃあああああーっ!」
突然現れたそれに仰天して、末っ子ピチューは悲鳴を上げた。驚愕のショックで、頬袋から、溜めている電気がありったけ放出される。小さな稲妻が辺りにほとばしり、ピチューの目の前に現れたモノにもそれが直撃する。
「うぎゃーっ」
それが悲鳴を上げた。だが、怯えきった末っ子ピチューには、自分に襲いかかろうとしている鳴き声にしか聞こえず、
「きゃあああああああーっ」
ますます怯えたピチューは先ほどより遥かに激しい悲鳴を上げた。頬袋の電気が全部なくなった事にも気づかないほど、怯えてしまっていた。
「うぎゃーっ、電気があああ!」
「きゃーっ、きゃーっ!」
悲鳴の酬は、それを聞きつけて巣穴から眠い目をこすりながら出てきたピカチュウ夫婦とピチュー兄弟、夜の散歩をしていたムウマの群れが現れるまで、続いた。
「ママあああーっ」
両親の姿を見た末っ子ピチューはピカチュウに飛び付いて号泣。一方、
「何やってんだよう、お前はあ」
「いや、かる〜く、あいさつ、しただけ……」
ムウマたちに呆れられているのは、パリパリと全身から電気を走らせたヨマワルだった。
「あのなあ、お前え、この末っ子はすんごいこわがりなんだぞお。しかもお前はいっつもいっつも、目の前にドンと現れて脅かすんだからよお。電気浴びて、いいクスリになったじゃんかあ」
「でも痛かったんだぞお」
「知るかあ」
うらめしそうなヨマワルだが、ムウマたちは誰も同情してくれなかった。
結局、脅かしの挨拶をしたヨマワルと、ようやっと泣きやんだピチューは、互いに謝罪した。もとはと言えば、ヨマワルがピチューを驚かせたのが悪いのだけれど。
脅かしたお詫びとして、ヨマワルは汁気たっぷりのモモンの実をくれたので、末っ子ピチューは喜んで礼を言って受け取りそれを食べた。
「おトイレすませたばっかりでしょう?」
ピカチュウがたしなめるも、末っ子ピチューはほおばったままで首を振った。
「しゅましぇたから、らいちょうぶでちゅ、まま」
ちょっとしなびてはいたが、果汁はたっぷりあったので、末っ子ピチューは遠慮なく食べた。
翌朝。朝日が昇ってから、末っ子ピチューは、ぐっしょり濡れた藁を前にして母親にしかられた。