ヨマワルの話



 町の墓地。夜になると、お参りする者のない荒れた墓石の傍に、ヨマワルが姿を見せる。墓石の上に座ったり、ただぼんやりと宙に浮いているだけだったり。特にすることもなさそうなのに、毎夜墓場に現れるのである。

「遅くなったでチュ」
 ピチューは、傷物のリンゴをかかえて、帰路についていた。まだ冬の寒さが残る、三月の初め。街灯の光に照らされた道をてくてく歩いていると、いつのまにか辺りは闇に閉ざされていた。通りを通っていく車のライトがピカピカとまぶしい。早く帰ってダンボールと古毛布と古新聞の寝床にもぐりたいと思いつつ、ピチューは早足で歩いた。
「ああ、まだ寒いでチュ。早くあったかくなってほしいでチュ」
 急いでいると、リンゴを持ったまま小石につまずいて、転んだ。リンゴを抱えていたので見えなかったのだ。ピチューはすぐ立ち上がり、転がっていくリンゴを追いかけた。リンゴはころころと転がっていき、草地に落ちたところでやっと止まってくれた。
「ふう、今夜のごはん。危うく石に当たるところだったでチュ」
 ピチューは、リンゴを拾い上げた。草地の向こうに大きな墓石があったのだ。リンゴがもっと勢いよく転がってぶつかったなら、パカッと割れてしまっていたかもしれない。ピチューは、近くにあった水道の蛇口をひねり、リンゴを洗った。
「あっ」
 ピチューは周りを見て気づいた。
 墓地に入ってしまったのだ。街灯に墓石が照らされ、不気味なシルエットばかりが周りに浮かんでいる。墓地を囲む柵と木々も不気味だった。
「は、はやく帰らなくちゃ……」
 柵の隙間から抜け出そうと墓石に背を向ける。
「おい、待てよチビ」
 背後から突然声が! ピチューは仰天して飛び上がった。頬の電気袋からパリパリと弱い電撃が生まれ、小さな火花を作る。ピチューは振り向いて、弱い電気ショックを放った。放たれた電撃は目標も見つからないのに前方にとび、宙でパンと消えてしまった。
「何すんだよお」
 振り返ると、ヨマワルがいた。ピチューに声をかけたのは、ヨマワルだったのだ。ピチューは目に涙をためながら、おそるおそる聞いた。
「何か用でチュ?」
「いんや、用事はないんだけどよ。おまえみたいなチビが何でこんな場所へ来たんかねえ、って思ってよ。ちょっくら声かけただけだぜ」
 ヨマワルは、荒れた墓石の周りをグルグル飛んだ。ピチューは、ある墓石の傍にしか姿を見せない変わり者のヨマワルがいるという話を思い出した。その話を思い出すと、好奇心が頭をもたげ、恐怖心をあっというまに抑え付けてしまった。
「あんたでチュ? 荒れた墓石にしかいないヨマワルって」
「おれしかいないじゃん」
 ヨマワルは、ピチューの傍に降りてきた。
「よおよお。おまえ、おれを変な奴だと思ってんじゃないだろーな?」
「うん。思ってるでチュ。だって、おんなじお墓の周りにしかいないんだから」
「だろーなー。誰だって、おれが変な奴だと思ってんだからなあ」
 ヨマワルは、荒れた墓の周りをぐるぐる回った。ピチューは、言った。
「じゃあ、どうしてそのお墓の傍にしかいないんでチュ?」
 ヨマワルは、よくぞ聞いてくれたといわんばかりに、もう一度ピチューの目の前に現れた。
「この墓はな、おれにとって、大事なひとが眠ってる墓なんだよ」
 苔むした墓石が、現れた三日月の光で弱く照らされた。
「十年以上も前の話になっちまうんだが、おれが森からこの町にやってきたとき、墓場を占拠してた都会っ子ゴースト軍団にさんざんよそ者扱いされて冷遇されてた。まあよそ者だってことは認めるけどな、とにかく、町の隅っこでグレてたおれを、そのひとは拾ってくれたんだよ。余命数年くらいの、よぼよぼのバーサンだった」
 墓石の上に乗り、ヨマワルは三日月を見上げた。
「身寄りがなくて、話し相手ほしさに拾ったらしいんだけどな。バーサンが一方的にしゃべって、おれが聞き役だった。ちっとばかしボケてて同じことも何度かしゃべってた。でもいろんな話聞かせてくれて退屈しなかったし、結構面白かったな」
 ヤミカラスが何羽か、夜空を羽ばたいていった。
「おれは、バーサンの住んでた小さなアパートで暮らした。お菓子をつまみぐいしたりしたけど、バーサンは別に怒らなかったな。そして、それなりに楽しい生活になってきたところで、バーサンは、ぽっくり逝っちまった……」
 ヨマワルは言葉を切った。
「わかっちまうんだよ、いつバーサンが死ぬかってこと。ゴーストポケモンのつらいとこだよな」
「むう」
 ピチューはうなった。
「それで、そのお墓には、そのおばあさんが埋葬されてるんでチュね」
「そういうことだ。このバーサン、おれに優しくしてくれた、最初で最後の人間だ。身寄りもないし、ひっそり墓地の隅に葬られちまって、誰も墓を見てくれやしないから荒れ放題。でも、おれはこの苔むした墓石好きなんだ。バーサンの編んでた毛糸のショールみたいな感触がするから。それに、バーサンはずっとこの墓の傍にいてくれるから、おれはさみしくない。おれ、バーサンの魂がどこにいるか見えるから」
 ピチューは思わずきょろきょろした。しかし何も見えない。
 ヨマワルは、ピチューの傍にまた降りてきた。
「足止めくわしちまって悪いな、そういえば」
 いまさら何を。ピチューは、嫌な顔はしなかったが、内心はそう思っていた。
「べ、別にいいでチュ。お話ししたいなら、喜んでつきあってあげるでチュ」
「おう、ありがとよチビ。でも今夜は、もう話したい気分じゃないのよ、悪いけど。そろそろ月光浴する時間だからな〜」
 ヨマワルは、そう言って、墓石から三日月へ向かって、飛んでいった。
「あばよチビ〜〜〜〜」
 あっという間に、その姿は小さくなって、見えなくなった。

 しばらく、ピチューは墓地にぼんやり立って、三日月を見つめていた。やがて、夜風に当てられて体が冷え、くしゃみをひとつした。
「うう、やっぱり寒いでチュ」
 リンゴを抱えて墓地を出て、住まいへ向かった。
 たどりついた住まいでリンゴをかじりながら、ピチューは三日月を見上げた。三日月の弱い光の中を、時々なにかの影が通っていくのが見えた。
 あれは、きっとヨマワルなのだろう……。
「おばあさんと、ずっと楽しく過ごしてほしいでチュ」
 ピチューは一人、呟いた。