夜桜



「キレイだねー」
 町に咲き始めた桜の花。イーブイは、舞い落ちる桜の花びらをうっとりと眺めている。ドーブルは子供たちと一緒に、ぼろぼろの壁に絵の具を塗りたくっている。
「ねー、たまには桜でも眺めたら? 絵ばっかり描いててよく飽きないね」
「それが僕の仕事みたいなもんだもの」
 ドーブルは桃色の絵の具を壁に塗りつけ、花のようなものを描き始めた。隣で子供たちが自動車や家を描いている。道路に描こうとする子供を、ドーブルは止めさせた。
「まあそういわれればそうだけど」
 イーブイは後ろ足で耳の裏をかいた。それから、絵の具のたっぷり入れてあるバケツに尻尾を突っ込んだ。赤く染まった尻尾をなんとかバケツからひきあげ、壁にちょろちょろと花模様の輪郭を描いてみる。
「ちえー、やっぱ上手くいかないや。いびつにも程があるよ」
「誰だって最初はそうだよ。でも楽しんだもの勝ちだろ?」
 いつのまにか、ドーブルは壁に桜の花を描いていた。それがあまりにも見事なものだからイーブイはふくれっつら。青い絵の具のバケツに尻尾を突っ込み、薄い紫に染まった尻尾を引き上げて壁にベチャッと押し付けた。
「季節はずれだけど、アジサイでも描いてやる!」

 公園の水のみ場で、イーブイは尻尾の絵の具を洗い流した。水は冷たく、イーブイは丁寧に尻尾を振るって水気を払う。
「さてさて。ごはんでももらいに行こう」
 商店街へ入っていく。風に乗って桜の花びらが空を舞う。行きかう人々は桜の花びらを見つけて喜び、あるいは花粉症の心配をしている。
 八百屋で、売れ残りの野菜をもらう。ほうれんそうを公園で洗って食べながら、イーブイは、散っていく桜を見つめた。
「咲いた桜はきれいだけど、散っていく桜も綺麗だなあ〜」

 夜桜というのも、また綺麗なものだ。
「やっぱり綺麗だな〜」
 イーブイは、蛍光灯に照らされる公園の桜をうっとり見ほれている。夜のそよかぜが枝を揺らし、さわさわと音を立てさせる。花びらが少しだけ舞い落ちてくる。
「よー、何やってんだ〜」
 その声で、ゴーストが墓場から遊びに来たと分かる。
「夜桜見てるの」
 イーブイは尻尾を振った。ゴーストは、桜の木の周りをグルグル飛び回ると、
「おーう、確かにキレーだよな、桜っつーもんは」
 いきなりイーブイの元へ戻ってくる。
「けどよ〜、あんまり桜ばかり見てねーほうがいいぜ」
「なんで? きれいじゃん」
「きれいだからこそ、見すぎるのはよくねえんだよ。何でかって言うとだな」
 さらにゴーストは顔を近づけた。
「桜の下には、死体が埋まってるんだとよ!」
 一瞬、イーブイは固まった。
「う、うそだよね、死体があるなんて……あったら今頃おおさわぎだよ」
「うそって言うか、人間たちの考えてることでもあるんだけどな。なんでも、桜の魔性が人間をとりこにしちまうから、桜に生気を吸い取られるとかナントカ」
 ゴーストは頭をかいた。
「それだけ桜が魅力的だってことなんだろーけどな」
「なんだよ、人間の考えたことジャン。桜の下に死体なんか埋まってるはずないって」
 イーブイは笑った。ゴーストも笑った。
「だろーなー!」
 サワサワと、急に風が強くなってきた。笑い声は止まった。
 いつのまにか、桜の木の側に、人が立っていた。足音も、気配もなかった。たった今、その人間が姿を現したのだ。
 髪が異様に長く、地面に届くほど伸びている。見たことのない着物を重ね着して、その青白い顔にはおしろいのようなものをつけているようだ。その様子から見ると女のようだ。
「あああああ」
 消え入りそうな声で、女は問うた。イーブイとゴーストは固まっていて動けない。
「……あの方は、あの方はどちらにおられるのですか……」
 思わず、イーブイとゴーストは後ずさる。女はすすり泣きながら、まるで煙のようにかききえてしまった。
 風がやんだ。
 イーブイとゴーストは、しばらくの間動けなかった。
「今の、見た?」
「見た……」

「ひゃはははははは、お前さんらも見たのかい」
 スリープは傷物のリンゴをかじりながら、大笑いした。
「えっ、見たって……知ってるの?」
 ゴーストは思わずスリープに向かって身を乗り出す。
「おうよ。あそこはな、おいらの曽祖父よりももっと前の時代から、女の幽霊が出るんだよ。なんでも、あの桜は色々な人間たちが愛の告白をするロマンチックな場所だったらしいんだが、恋人の死を知らずに恋人を待ち続けた女がいたそうな。その女は雨の中でも待ってたから体を悪くして病死してしまったとさ。お前さんらが見たのも、その幽霊だよ」
「うん、あの方はもういないって……」
「夜桜を見るのを楽しんでると、幽霊が出て来るんだよ。おまえもお化けなんだから、相手がお仲間だってことくらい気づくだろ?」
「ポケモンとマジモンの幽霊はべつもんだよ! こっちゃまだ生きてんだぜ」
「おうおう、それはすまんね。とにかく、あの幽霊に出会いたくなければ、夜桜を楽しむのは止めるこったな。あまり係わり合いになると、恋人を探せって泣きつかれるぜ。昔のおいらみたいにな」
「えええっ」
「離れてくれるまで随分かかったぜ。いまでこそピンピンしてるが、当時は大変だった。あちこちつきまとってきてな、おいら痩せてしまったよ。ストレスでじゃない、とりつかれたせいだ。最後には相手は離れてくれたよ、おいらじゃ役不足だってわかったのさ。でも桜の中に戻っては、恋人を探してくれそうな奴を見つけようとしてる。お前ら運がよかったな〜、頼りないって思われたんだろーな、はっはっは!」
 イーブイとゴーストは思わず顔を見合わせていた。


 夜桜。
 今夜も女のすすり泣く声が聞こえてくる……。