アガタ
その小さな酒場は、町の外れにあった。豪華絢爛というわけでもなく、小さいがそこそこ繁盛しているその酒場「ミステリック」を経営しているのは、アガタという女性であった。歳は三十を少し過ぎた頃で、気品と落ち着きがあり、非常にミステリアスな雰囲気を漂わす女性である。深みのある黒い瞳と均整の取れたボディがとても魅力的な彼女は、酒場を訪れる者たちと談笑し、交流していた。
夜八時を過ぎる頃、客が集まり始める。小さな店なので酒場の常連客がほとんどであるが、中には新参者もいる。その新参者のほとんどが常連客につれられてくるケースが多い。客人は各自酒を飲み、時にはアガタと会話をし、去っていく。
常連の中に、飲みすぎてクダを巻き、そのまま寝てしまう者もいる。時々そのクダをまいた客をそのまま寝かせてやることもあるが、中にはその客を迎えに来るものもいる。
夜十一時、酒を飲みすぎてしまったある一人の客が、なにやら小言を呟きながらテーブルにふせってしまった。この時刻になると、飲んでいる客は少なくなる。彼女の店は夜中に閉店するからだ。
(あらら、いつものパターンだこと)
この客はいつも、夜中までに起きて帰らなければ迎えが来るという法則がある。そして今日もその法則は起きた。
酒場のドアがやや乱暴に開けられ、一人の男が入ってくる。アガタも良く知っている、この常連の知人である。その男はテーブルまでずかずかと歩み寄り、眠りそうになっていた客に向かって、
「さっさと起きろ! またここまで酔っ払って! 迎えに来る私の苦労も考えろ!」
かなり酔っている男は、相手の怒号を浴びて、何とか起き上がった。
「何だよ、また来たのか。飲めないくせに……」
「車で来ているんだ、それよりさっさと帰るぞ」
「何でこの歳になって、お前に迎えにきてもらわにゃならねんだよ」
「人様のところで恥をかくような真似をさせたくないだけだ! けじめもつけられん奴が文句をつけるな」
一人では立てないらしい客を、男は何とか立たせる。脇の下に体をいれ、片腕を肩にかけて寄りかからせた。歳は同じくらいだろうが、体格差のあるこの二人、迎えに来た男の方がどうみても痩せ型であるというのに、酔っている方の立派な体格の男をその細腕で支えきれるという点には驚かされる。
「仲がいいのねえ、貴方達」
アガタはくすりと笑う。常連を迎えに来た男は、きょとんとした表情になった。
「は?」
「わざわざ迎えに来てあげるなんて、心配してあげているのね。まるで夫婦みたいよ」
「夫婦だって……?」
言われた男は、顔を朱に染めた。真に受けたらしい。どうやら冗談が通じないたちのようだ。
「冗談よ」
「……っ」
赤らめていた顔を更に赤くする。アガタに冗談を言われた事に気づいたらしい。
「と、とにかく帰るから……ほら、しっかり立つんだ!」
酔いの回って上手く立てない客を叱咤し、開いた片手で、もたれかかってくる客の懐から素早く財布を抜き取り、テーブルにのった料金表を見た後、アガタに代金を払う。
「毎度毎度、動けないくらいに酔っ払って……」
男がなにやら呟くので、アガタは言った。
「私は別に構わないと思うわ。ここはお酒を飲んで楽しむところだもの。つい飲みすぎて寝たままの人だって、中にはいるのよ。愚痴をこぼす人だっているし、ね。あなたのように」
言われて、相手の男は、元々丸い目を更に丸くする。アガタはちょっと笑んで、続ける。
「見たところ、あなた、その人のお知り合いといったところね。その人ね、ここでよく私に小言を言うのよね、『やたらおせっかいで、色んなことにくちばしを突っ込みたがるやつがいる』とね」
「こいつ……!」
酔いが回って寝そうになっている客を肩越しに睨む男に、アガタは続ける。
「でもね、こうも言ってくれるのよ。『うるさい奴だけど、いい奴だ』とね」
帰ろうとして何とか回れ右した男は、くるっと振り返った。その顔には、似つかわしくないような驚愕の表情が浮かんでいる。アガタの見る限り冷たさを感じさせるような無表情をしていることが多いこの男の、この驚愕の表情は、妙に可愛らしく見えた。口の中でしばらく何か呟いた後、彼は、肩にもたれかかってくる客を何とか立たせなおし、店の入り口へ歩く。
「いつか、飲みにいらっしゃいね」
アガタは声をかけてやった。
「そのうち、な」
男は小さく呟いて、逃げるように店を出て行った。
車の走り去る音が聞こえた後、アガタは一人、店の片づけを始めた。そして片づけをしながら、先ほどの男の表情を思い出し、くすりと笑った。
「いつか、来てくれるわね、彼なら……」
紫蘭さんからのリクエスト、「マダム・アガタを」とのことで、書かせていただきました。
紫蘭さんの言葉をヒントにして、話を組み立てました。名前は出さないけれど、アーネストとスペーサーが登場してます。
なぜかアーネストがスペーサーに好意的ですね。
アガタは人の性質を見抜くのが上手いと思います。見ていない様でちゃんと見ているという感じで。
リクエスト、ありがとうございました!