肝試し
日暮れが近くなり、昼間よりも温度が若干下がる。微風が風鈴を優しくなでる。
ある山荘に、一週間の滞在予定でやってきた三人。都会とは違い、セミ以外の喧騒もない。風があり、縁側にいるだけでも、十分涼むことが出来るほどだ。エアコンをつける必要も無い。
チリンチリンと優しく風鈴が鳴る頃、ヨランダは二人に、ある提案をした。
「肝試し?」
二人に聞き返され、ヨランダは軽く頷いた。
「近くに小さな林があるでしょ。そこを一周して、戻ってくるの。涼しくなると思わない?」
『全然』
ハモる二人。同時にツクツクホーシの鳴き声が、あたりに寂しく響いた。
「確かに林はある。が、あそこへは夜行かないほうがいいと思うぞ?」
「なによ。お化けでもいるっていうの? 馬鹿馬鹿しい。幽霊なんかいるわけないでしょ」
スペーサーの言葉に、ヨランダは肩にかかる髪を払う。
「だいたい、この科学万能の時代に幽霊なんかいるはずないってば。真面目に信じてるのは、あなただけよ?」
「ユーレイがいてもいなくても、出かけた所で、これ以上涼しくなんかならねえだろ」
アーネストはだるそうに言う。ヨランダはむっとした顔で、彼に言った。
「何よ、それじゃあんたは、ユーレイ怖さで出かけるのが嫌だって言ってるわけ?」
その言葉にアーネストはカチンと来たようだ。縁側から飛び降りるなり、
「何だと! 俺は別にユーレイが怖いとかそんなんじゃねえよ!」
「じゃあ、それを証明してちょうだいよ」
「すりゃいいんだろ! 行ってやろうじゃねえか!」
いきりたつアーネストの後ろで、スペーサーは呆れた表情を作っていた。
(挑発に乗ってどうする、この馬鹿)
結局、夜の十時過ぎに出かけることになった。
「わき道にそれすぎて、つれてくるんじゃないぞ」
意味の分からないスペーサーの言葉を背に受け、ヨランダは意気揚々と出かけていった。面倒くさそうだが、行くと言った以上は後に引けないアーネストは、懐中電灯を手に、彼女の後ろをついてくる。
今日は新月。風のほとんどない夜。林はあまり広くはないが、山間部に近いのでシダやネムノキがカーテンのように枝葉を垂らしているのが、小道の脇に見える。
「全然風がないわね」
ヨランダは手をうちわ代わりにパタパタふるう。アーネストは道を懐中電灯で照らしながら、溜息をつく。
(なんでこんな事につきあう羽目になっちまったんだろうなあ……)
懐中電灯で照らせる範囲は狭い。おまけに道も狭い。この辺りの道は不安定で滑りやすい。人二人が並んで通れる道幅はあるとはいえ、それでも足元が不安定であることは否めない。すべって脇道に落ちたりすれば、この暗さだ、這い上がってこられるかどうかすらわからない。
突如、顔に何かネバつくものが当たった。
「わッ! ……なんだ蜘蛛の巣か」
「ちょ、ちょっと脅かさないでよ! びっくりしたじゃない!」
「俺のせいじゃねえよ」
アーネストは言い訳をする。ヨランダは激しく鼓動する左胸を押さえた。ほとんど音の聞こえない闇の世界を歩いているときに、いきなり大声を出されたのだから、驚くに決まっている。
「きゃっ」
ヨランダが足元のシダに足をとられ、転倒する。ガサガサという音を聞き、アーネストは慌てて振り向いた。
「あれ?」
懐中電灯で声の聞こえた範囲を照らすが、彼女の姿はなかった。
「落ちやがったな。しゃーねーな」
一方、ヨランダは足をとられた後、小道から少し外れたところへ滑り落ちていた。
「いったあ。ツイてないわあ、滑り落ちたみたい」
腰を打ったようだが、足を捻挫しなくて助かったと彼女は一息。しかし、落ちた時に、膝をすりむいてしまったようだった。
ハンカチが差し出される。
「あ、ありがと……」
ヨランダは礼を言って、ハンカチを受け取る。闇に目が慣れてきたので、おおよそはわかるのだ。
ハンカチで膝の傷を縛っていると、上から懐中電灯の明かりが彼女の頭を照らす。
「おーい、大丈夫かー?」
アーネストが道の端にかがんで、彼女を見下ろしていた。
「大丈夫よ。ちょっとすりむいただけ……」
ヨランダは立ち上がりなおし、ショートパンツのほこりを払う。それから彼の手に掴まって、道へ上がった。
(あれ?)
ヨランダは何かひっかかるのを感じた。が、それが何であるのか分からなかった。
「ま、いっか」
そのまま二人は何事もなく林を抜けていった。途中、大きな蜘蛛の巣にヨランダが怯えてアーネストにひっついたのを除けばだが。
しかし、アーネストは絶えず、背後から誰かの視線を感じていた。
帰ってきた二人。時計は十一時を回っている。縁側の側の部屋でドキュメンタリー番組を見ていたスペーサーは、二人の帰宅に気づく。
「やあ、おかえり。……つれては来なかったようだな」
「だから、そのつれてくるって、どういう意味だよ」
アーネストが問うた。が、相手は無視し、テレビを消して、ヨランダの膝のハンカチに目を留める。
「足を怪我したのか?」
「大丈夫よ、すりむいただけ。それより助かったわあ、アーネストがハンカチ貸してくれて。珍しく気がきいてるのね」
「は?」
アーネストは調子はずれな声を出す。
「何のことだ?」
「だって、アタシが落ちたとき、ハンカチ貸してくれたじゃない」
「知らねえよ。何の話だよ。それお前のじゃないのか?」
話のかみ合わない二人。スペーサーは、ヨランダの膝に巻かれたハンカチをじっと見る。色あせている、白っぽくて小さなハンカチ。
「そんなハンカチ、見たことないぞ? それ以前に、アーネストがハンカチを持ち歩くわけが無いだろう」
スペーサーの言葉に、ヨランダとアーネストは互いに顔を見合わせた。
小道から滑り落ちたとき、ヨランダにハンカチを差し出してくれたのは、アーネストではなかった……?
そして、アーネストが絶えず感じ続けた、背後からの視線の正体は……。
「つれてはこなかったが、会った様だな?」
憎らしいほど冷静なスペーサーに対し、呆然とした二人の顔から同時に血の気が引いていった。
深夜。人気のない林の中を、ぼんやりと光を放つ一人の少女が、無邪気な笑い声を上げながら、音もなく駆けて、煙のように消えていった。
エノキさんのリクエスト「暑中見舞い絵の続きで肝試し」より、
山荘で夏休みを過ごしていた3人組のささやかなお話を書かせていただきました。
幽霊を信じないヨランダと、臆病者呼ばわりされるのが嫌なアーネストが一緒に肝試しです。
いやはやスペーサー君は、見えてます(笑)。
リクエストありがとうございました!