疑問



(あの人は一体何者なんだ?)
 熱い味噌汁をすすりながら、《死神の血》は考えた。おそろしく口やかましい使い魔のスカールは、外の見回りに出ているので、死神の住居にはいない。その方が有難い。
(僕が行く先々にいる、あの人は一体――)
 人間にはその姿が見えないはずの《死神の血》の姿を見つけた、たった一人の人間。闇色の衣をまとい、手には黒く塗られたナイフを持っている。そして必ず、《死神の血》を見つけるのだ。最初に見つけた時、ナイフを握って襲いかかってきたが、あいにく霊体に触れる事が出来ないため、ナイフと体は《死神の血》を素通りした。攻撃されて仰天した《死神の血》は思わず悲鳴を上げて、《糸きり》したばかりの魂と一緒に、死者の世界へ逃げ出してしまった。安全な場所へ逃げたのに、しばらくは腰が抜けてしまい、たつ事も出来なかった。
(襲ってきたのは最初の一回だけど、怖かったなあ……)
 思い出すだけでも身震いが止まらない。殺される恐怖を、《死神の血》は初めて味わった。
(それにしても、どうして僕を見る事が出来るんだろうなあ。動物は僕を見つけるけど、人間はそれができないはずなんだが……)
 新しい急須を大理石のテーブルに呼び出し、空の湯飲みに注ぐ。
(あの人がどうやら殺し屋らしいってのは分かった。あれだけあの人の傍に死体がゴロゴロしていれば当たり前だよなあ。戦争なんか起こってないし、隠密行動をするから、あの人は兵士じゃない。それは確実だな)
 同じような闇色の服装をした殺し屋はあと三人いた。だが《死神の血》の存在には誰一人として気付いていなかった。気付いていたのはたった一人だけ。ある時、その不思議な人間は問うた。
「何者だ?」
 それに対し《死神の血》は正直に答えた。
「僕は、死神です」
 相手がうろたえている間に、《死神の血》はさっさと死者の世界へ移動した。霊体は生者の住まう世界に長くとどまれないためだ。長くとどまれば消滅しかねない。
(あの時は正直に答えちゃったな。まあそれしか答えようがないんだけど、あの人はそれから襲ってこなくなった。襲っても意味がないって分かってくれたのかな。それとも僕が誰かの見張りをしているとでも思ってるのかな。あ、でもなあ、いきなり死神だなんて言われてもリアクションに困るよな、フツウは)
 番茶を飲み終え、焼きリンゴをテーブルに呼び出す。
「マスター、よろしゅうございますか!!!???」
 スカールが勢いよく飛び込んできた。そらきた。説教が始まるぞ。《死神の血》はため息をついた。
「うん、どうしたの」
 どうしたと聞くまでもない。スカールがこんなに慌ただしく飛び込んでくる時、それは必ず、説教の時なのだ。
「ひとまわりして参りましたが、私目は貴方様にお伝えしたい事がございまして――」
 いつもの説教が始まった。《死神の血》はさっそくそれを聞き流し、デザートを胃袋に片付けてしまうと、食器を全部消した。
(いっぺん、僕も聞いてみようかな。あの人が誰なのか、くらいは教えてもらいたいな)
 相手にいくら攻撃されようが、霊体であるかぎり銃弾もナイフも一切通用しないのだ、この強みを生かして相手の事を知ることが出来るかもしれない。
 スカールの説教が終わるころ、《死神の血》は、死神の住居を出ていった。そろそろ仕事をしなければならない。たくさんの魂の声を聞いてやる仕事。《糸きり》同様、とても疲れる仕事ではあるが、これをやらないと魂たちは決して満足してくれないのだ。《死神の血》が外に出てくると、たくさんの魂が群がってくる。声を聞いてほしくて、近づいてくるのだ。《死神の血》は魂のひとつひとつに触れて生前の記憶や声に耳を傾けてやった。

 まただ。あの黒ずくめの不気味な人物が、姿を何処からともなく現した。
(一体どこから来たんだろう)
《死神の血》は、周りを見回した。一体どこから来たのだろうか。まるで煙のようにいきなり室内に現れたのだ。その謎の人物は足音もなく近づいてきて、《死神の血》の傍で眠っている壮年の男にナイフを音もなく突きたてる。《死神の血》の手の中に魂が飛んでくる。《糸きり》だ。
 相手が去る前に《死神の血》は聞いてみることにした。
「あ、あの」
 黒ずくめの謎の人物は、《死神の血》をじっと見つめている。
「貴方は、一体何者なんですか?」
 しばらく沈黙が支配した。
 何者かがわずかに体を動かしたかと思うと、次の瞬間には《死神の血》の後ろに回り込んでいた。《死神の血》は思わず身をすくめた。相手に触れられない霊体だとはいえ、それでも怖いものだ。
「聞きたいのか?」
 耳元で声がする。相手の手が《死神の血》の首に触れたが、その手は彼の体を素通りしてしまった。本当はどうしたかったのだろう。ナイフで首を斬るつもりだったのか、首を絞めるつもりだったのか、逃げないように首をつかもうとしたのか……。
《死神の血》は、相手から攻撃されても全て無効となることを思い出し、落ち着いた。
(若い声だな。だけど僕より年上かな)
 相手の顔は黒い覆面に包まれ、目もゴーグルに覆われている。だが傍で聞こえてくる声は間違いなく、若い男のものだ。
「そんなに聞きたいか」
「き、聞かせてください」
 攻撃が何もきかないとわかっていても、やはり怖い。
 相手はしばし沈黙していたが、《死神の血》の耳にささやいた。

「……貴様に教えるものか」

「えっ」
《死神の血》がふりかえった時には、そこには誰もいなかった。ただ一匹の黒い猫が部屋を横切っていっただけだった。

 死者の世界に戻ってきた《死神の血》はふうとため息をついた。彼の連れてきた魂たちは、死者の世界に来るなり、彼の傍から離れて、あちらこちらを漂い始める。
「お帰りなさいましマスター。さっそくですが、貴方様に申し上げたい事がございまして――」
「説教は後にして。ご飯食べるから」
「かしこまりました」
 死神の住居へもどり、《死神の血》はテーブルの上に食事を呼び出す。
(結局教えてもらえなかったな。まあ、教えたら僕が誰かに言いふらすとか思ったんだろう)
 すき焼きの鍋から、好きなだけ取る。
 スカールが入ってきて、説教を開始する。しかし主は何も聞いていない。
(まあそれが普通だよね。でもやっぱり知りたいな。あの人は一体どうして僕を見る事が出来るんだろうな。スカールについてきてもらって、あの人の後を追いかけてみようかな……)
 死神の住居の中に、使い魔の長々とした説教がむなしくこだました。