死神の半日



《死神の血》は、柔らかな布団の敷かれた寝台で目を覚ました。しばらく布団の間でもぞもぞと体を動かしていたが、やがて身を起こし、あくびした。使い魔の、頭蓋骨の姿をしたスカールが、主の目覚めに気づいて、フワフワと飛んできた。
「おはようございます。マスター。よくお眠りになれましたか?」
「うん。おはよう」
 本当は、この世界に分や秒などの時間は存在しないのだから、今が朝だろうが夜だろうが、全く関係ない。使い魔は主人の行動に合わせて挨拶しているのだ。
《死神の血》は寝台から降りて背伸びする。布団をたたむと、椅子にかけてある古びたローブを取って、着る。これは、歴代の死神が代々身に着けてきたもので、《神々》と呼ばれる存在が作り出した、着衣の形をした生き物である。
 スカールは、挨拶を終えた後、いったん死神の住居から外へ飛び出す。それからあわててもう一度飛び込んできた。何か言いたいことがあるらしい。しかし、《死神の血》はそんなことより食事をしたかったので、さっさと席についた。
「マスター! お目覚めになられたばかりで、このようなことを申し上げるのははなはだ恐縮ではございますが――」
 スカールは、耳をふさぎたくなるほどの大声とキンキン声で《死神の血》に、いつもどおりの説教を開始した。
 霊力を摂取するために、《死神の血》は、食事を開始した。食べたいものを頭に思い浮かべると、それが大理石(と思われる素材)のテーブルの上に姿を見せる。霊力は、食事の形で摂取されるのだ。
「私目といたしましても、心を鬼にして申し上げているのでございます! あなたさまがこの死者の世界を立派に統治される死神になられることを、私目は心から――」
《死神の血》は箸を取り上げ、小さく「いただきます」と使い魔に聞こえない様につぶやいて、好みの固さに炊かれた飯の入った茶碗を取る。
「しかるに、マスター、あなた様は――」
 鮭の塩焼きから、骨を上手に取り除く。残った身を食べ始める。使い魔は主がほとんど話を聞いていないのに気づいているのか否か、それでも全く休まずに話し続けている。この使い魔は疲れを知らないのだから。
 飯を食べ、味噌汁を飲み、鮭の塩焼きとサラダを胃袋に収め、最後に呼び出した熱い緑茶をゆっくりとすすり終えて「ごちそうさま」と言うと、食事は終わる。
「というわけでございますが、おわかりいただけましたか、マスター?」
「うん」
 使い魔の説教も、まるでタイミングを見計らっていたかのように、終了した。もちろん《死神の血》は説教などほとんど聴いていない。スカールの説教など、いつものことだから、いちいち聞いていてはのどを通るものも通らないのだ。
 背伸びした後、彼は外へ出た。

 死者の世界は、魂で満ち溢れており、灰色の空と灰色の地面しかない。魂と死神の住居しかないので、きわめて殺風景。緑あふれる公園もなければ、買い物できる商店も自動販売機も何もない。死神はこの殺風景な世界で魂たちの話を聞き、生者の世界へ降り立って魂を死者の国へ送り出している。
 この死者の世界には、母の胎内や卵の中にいて死亡した者から老いさらばえて死亡した者までさまざまな魂が漂っている。事故死や自殺などさまざまな死因で《死神の血》に魂を肉体から切り離された者もいる。そんな死に方をした魂は恨めしそうな顔もするが、《死神の血》とて助けたい気持ちは山々なのだ。しかし、《神々》の定めた規律には、死神が生者の世界へ干渉してはならないという絶対的規律が含まれている。助けたい者が死に掛けていても、死ぬと分かれば魂を肉体から切り離さなくてはならない。逆に殺してやりたいほど憎い相手が死に掛けていても、死なないと分かれば魂はそのまま肉体に留めてやらねばならない。死神である以上、《神々》の定めた規律には従わねばならないのだ。
 さて、《死神の血》が姿を現すとたくさんの魂たちがフワフワと漂ってくる。生者の世界では内紛の発生した国があり、そのため大勢の死者が出たのだ。近づいてきた魂に触れると、生前の魂の記憶が流れ込んでくる。生まれたとき、育てられているとき、銃弾によって肉体を失ったとき。《死神の血》は魂たちの一つ一つの言葉に耳を傾け、時には笑い、時には涙を流した。そして、全てを語りつくした魂は休息し、再び生者の世界へ降りて新しい生命に変わるのである。
「よろしゅうございますか、マスター。私目は――」
 またスカールが何事か言ってくる。しかし《死神の血》は全く聞いていない。魂たちの語りかけてくる記憶や想いに耳を傾けているのだから。
 死神が現れたと知ると、近づいてくる魂の数は徐々に増えてくる。しまいには身動きが取れなくなるほど魂同士が引っ付きあうのだが、《死神の血》は嫌な顔ひとつせず、語り掛けに応えるのである。それが死神のつとめだから。
「であるからして、私目はあなた様に――」
 使い魔の説教はまだ続いている。しゃべる事が生きがいかと思われるこの使い魔は、毎回毎回飽きもせず、主に説教を繰り返す。主が聞いているのかに注意を払う様子はあまり無い。《死神の血》はそれを知っているので、魂たちの声を聞くことに専念しているのだ。
 たくさんの魂たちは、満足して離れていった。《死神の血》はフウと一息ついた。同時に、スカールの説教も終わった。
「というわけでございます! おわかりいただけましたか、マスター?」
「うん」
 いい加減な返事だったが、スカールは顎をカパカパと開閉させただけだった。聞いてもらったと思っているらしい。
 空腹感に似たものを感じ、《死神の血》は住居に戻る。魂たちの話を聞くだけでも、霊力は消耗されてしまうのだから。
「いただきまーす」
 テーブルの上に昼食をたくさん呼び出し、彼は食べ始めた。
 食べ終わったら今度は生者の世界へ、彼がかつて一人の高校生として生きていた世界へ降り立たねばならない。新しい魂たちが、彼の到来を待っているのだから。