説教



「ではマスター、お休みなさいませ」
「お休み……」
 やっと休める。最近は紛争地域の戦闘が激しくなって、とてもたくさんの魂をこの死者の世界へつれてこなければならなかった。世界中のあらゆる生命が何らかの形で失われているので、《死神の血》はとんでもない重労働。もちろん歴代の死神たちも同じく。ウィルスから海底の深海魚にいたるまでありとあらゆる肉体から、時期を迎えた魂を切り離さねばならない。過労死しないのが不思議なくらいだと、《死神の血》は常々思っている。この死者の世界では時間の流れが存在しないので、《死神の血》がのんびり過ごしても問題ない。それだけが唯一の救いだった。
《死神の血》はローブを脱いで椅子にかけ、柔らかな寝台に寝転がって布団をかけた。あっというまに彼は眠りに落ちていった。

 夢の世界で、彼は前任者の死神に出会った。《死神の手》は闇の中から姿を現して、いつもどおり出迎えてくれる。外見三十歳くらいの男で、整った顔立ちをしている。
「やあ、よく来た」
「こんにちは」
《死神の血》は、たびたび夢の中でこの死神の意識に接触する。審判を終えて新しい死神が生まれると、前任の死神はローブに吸収され、意識のみがそのローブの中で生き続ける。新しい世代の死神の相談役となり、その知恵を貸すために。そのため、眠っている間は夢を通して前代の死神の意識に触れる事が出来る。必要なとき、《死神の血》は夢の中で《死神の手》に会っている。
「それで、今日はどうしたのかね」
「実は……」
《死神の血》は相手に遠慮なく愚痴をこぼす。使い魔がうるさいだの死者の世界でも魂たちが争いあって止めるのが難しいだの、色々と話す。相手は何も言わずに黙って最後まで聞いている。
「というわけなんです」
 長いこと話をして、《死神の血》はようやっと終えた。スッキリするまで愚痴をこぼしつくしたので、表情は晴れやか。《死神の手》は山ほど愚痴を聞かされたものの、特に嫌な顔はしていない。《死神の血》が毎回毎回愚痴をこぼすのに、もう慣れていたから。それに、この闇の中をずっと他の死神たちの意識とまざりあって過ごすのは、実は退屈なのだ。愚痴であっても時どき話をしに来てくれる《死神の血》の存在はありがたかった。手塩にかけて育てた甲斐があったというものだ、彼は密かに思っていた。
《死神の手》が相槌を打つと、「そうでしょ、そうでしょ」と《死神の血》はまた別の愚痴をこぼし始めた。
「ええ、わかってるんですよ、スカールが僕のことを考えているっていうのは。でも何べん言っても止めようとしないんです、あのキンキン声の説教。説教は聞き流せばいいんですけど、あのキンキン声だけは嫌でも耳の中に残ってしまって……」
 実際にこの夢の中で時間が流れていたら数時間にも及ぶであろう愚痴。それらを全て吐き出してすっきりした《死神の血》は夢の世界を出て行った。《死神の手》は闇の中へと戻っていった。

 目を覚ます。《死神の血》は大あくびして寝台の上に体を起こした。大理石のテーブルの上にいるスカールが、飛んでくる。
「おはようございます、マスター」
「ああ、おはよう……」
 本当はこの死者の世界に朝も夜も無い。だがスカールは主の行動にあわせて挨拶を変えてくる。《死神の血》は寝台から降りてローブを身につけ、大理石のテーブルの上に朝食を並べる。
「ところでマスター、お食事中に失礼します」
 スカールがこの切り出し方をするときは、必ず長々とした説教と相場が決まっている。《死神の血》は味噌汁を飲みながら思った。そしてその数秒後に、スカールは説教を開始したのだった。長々とした説教。その間に《死神の血》は飯と味噌汁と塩鮭を片付けて、番茶をすする。最後に、大好きな梨を食べ終えたところで、使い魔の説教が終わる。
「おわかりいただけましたか、マスター」
「うん、十分にね」
 話などろくに聞いていない。説教の内容などろくに覚えていないが、耳の中にキンキンと甲高い嫌な音がこだましている。スカールの説教は聞き流せるが、声だけは聞き流せない。鼓膜が楽器の弦のようにビンビン揺れているような感じ。食事していようがおやつを食べていようが、スカールはおかまいなしに説教を垂れ流す。しかもそのたびに耳の奥へ入り込んで脳を削り取るようなキンキン声でしゃべるのだ。スカールが説教を止めるのと自分の頭が壊れるのとどっちが早いだろうかと、内心《死神の血》は心配している。たぶん、後者のほうが早いかもしれない。

 しばらく経ってから、
「あのね、スカール」
《死神の血》は、噛んでいた福神漬けを飲み込んで、使い魔に言った。説教をしていた髑髏は、口を開けっ放しのまま言葉を出すのを止めた。
「何か御用ですか、マスター」
「何度も言うけど、そのキンキン声で説教するの、止めてくれるかな。頭が痛くなるんだよ、その声を聞いてるだけで」
「さようでございますか」
 骸骨の口がカパカパとせわしなく開閉した。《死神の血》は大理石のテーブルの上にカレーライスのおかわりをもう一皿出し、言った。
「説教はありがたいよ、そりゃ。僕のことを考えてくれてるんだから。でももうちょっと声を何とかしてくれよ。言葉なんか全然頭に入ってこないし、残るのは不快感だけなんだよ」
「さようでございますか。しかし私目の声は元からこのような音でございます」
「それを何とかしろって言ってんの。もうちょっと声を低くするとかさ」
「無理でございます!」
 きっぱり言われ、《死神の血》は思わずスプーンを運ぶ手を止めてしまった。
「よろしゅうございますかマスター! 私目の声は《神々》から賜ったものでございますが故、音程の高低について変化を付けるなどという事はけして不可能な――」
 またしてもスカールの説教が開始される。どうやら声を代えてくれる気はなさそうだ。《死神の血》はまたしても、キンキン声を耳の裏に残しながら、食事を終えたのだった。

 闇の中で、《死神の手》は、《死神の血》の気配を感じ取った。闇の中に溶け込んでいる体を、在りし日の姿に戻す。すると、《死神の血》が、げんなりした顔で接触してきた。
「やあ、今回も何か溜め込んだのかい?」
「ええ、まあ」
 また愚痴が山ほど零れ落ちてくるだろう。だが、《死神の手》はそれでも嬉しいものだった。たとえ相手が一方的に喋ってくるだけの、キャッチボール不可能な状態であろうとも。
「それでですねー、結局あのキンキン声を変えるのはいやだって言うんですよ。もー、あの声が嫌なんだって僕はなんべんも言ってるんですけど、聞きゃしないんだから」
《死神の血》は延々とこぼし続けた。《死神の手》はそれを聞きながらも、たまに相槌を打つ程度で、話の腰を折るような事はしなかった。
(使い魔の説教癖ではなく、その音声に苦労しているとは)
《死神の手》の使い魔はカラスだった。カラスはカアとしか鳴けなかったがなかなかいい声だと《死神の手》は思っていた。しかし《死神の血》の使い魔はとんでもなくおしゃべりな髑髏。興奮するとおそろしく甲高い声で説教するので、《死神の血》は始終耳の奥を傷めている。言葉の分からない使い魔と、言葉の分かる使い魔。さて、どちらがいいだろうか。
 そのうち《死神の血》は、言いたい事を全部吐き出し終えて、夢の世界から去っていった。

「マスター、よろしいですか?」
 またスカールの説教だ。《死神の血》がいいとも嫌だとも言っていないのに、使い魔は勝手に説教を開始する。せっかくのおやつタイムなのに、と、かき氷を食べながら《死神の血》は心の中でぼやいた。例のキンキン声が耳の奥を刺激し、脳をちくちくつつき始める。

 説教はまだ終わりそうに無い。