死神のため息
「お帰りなさいませ、マスター」
「うん……」
《死神の血》は住居へ帰りつくなり、寝台に倒れ込んだ。柔らかな布団が彼の体を受け止めてくれる。
「いかがなさいましたか、マスター」
使い魔のスカールが飛んでくるも、《死神の血》は返事をしない。横たわった途端に、青ざめた顔で、もう寝息を立てていたからだ。
最近、地上では大きな戦争が起こっている。当然、人間のみならず家畜や草や小さな虫などにいたるまで《死神の血》が運ぶべき魂の数も膨大なものになる。自分自身は生身ではなく霊体なのでいくら砲撃や爆撃を受けようとも平気だし、人間には姿を見ることすらできないのだけれど、それでも大勢の人間の死体が散らばる場所に行くのは、何度経験してもなかなか慣れない事だ。《死神の血》はそれで何度も精神を病んだが、住居で眠りさえすれば、身にまとっているローブが彼の精神を『癒して』しまう。リフレッシュのために他のことをやる、といったこともできない。死神に休職など存在しないのだ。
さて、癒された《死神の血》は寝台から起き上がると、ため息をついた。
「マスター、お目覚めのところもうしわけございませんが、ご報告したいことがございまして――」
「ああ、いいよ」
超がつくほどおしゃべりな使い魔が顎をカパカパ鳴らしながら喋る。いつものことだ。《死神の血》は構わず大理石のテーブルに歩み寄ると、椅子に腰を下ろす。使い魔のおしゃべりを聞き流しながら、霊力摂取のために料理をテーブルの上に呼び出し、黙々と食べる。デザートまで食べ終わる頃には使い魔の報告もおおよそ終わっている。
「というわけでございます。おわかりいただけましたでしょうか、マスター」
「うん」
本当は、ろくに聞いていなかった。
《死神の血》はテーブルをたって住居の外へと出る。スカールも後を追ってくる。たくさんの魂がふよふよと浮いていて、しばしの休息を取っている。
「ねえスカール」
「はい、マスター」
ふよふよ浮いている魂たちの言葉を聞いてやりながら、《死神の血》はぽつりと言った。
「どうして人間同士あんなに争うんだろう」
「己の欲によるものでございます。生存をかけて食料を追い求め縄張りを守る獣と同じでございます」
「己の欲望……領土を手に入れようとしたり、自分の信念で動いたりするのが?」
「さようでございます。それをなしとげるための大義名分はいろいろございますが、その根底にあるものは、人間の持つ欲望にほかなりません。その欲望を形の良い言葉で包み隠してごまかしをしているだけのことでございます。はるかな昔から、人間はそのように行動し続けております」
「……」
《死神の血》自身も元は人間だった。しかし死神となって様々な場所へ出掛けるうちに、自分の知らなかった生き物の死にざまをたくさん見ることになった。特に目も当てられないのは争いや自殺による死亡であり、どうしてこんな形で命を絶つ事になったのかと、その死体から魂を切り離すたびにしばらく悩んだ事もあった。そして今その疑問が口をついて出てきたのだが、使い魔の見方は「人間の欲望」のみ。
人間としての感覚や感性が失われ始める現在、スカールの言う事は正しいのだろうとぼんやり考え始める自分がいた。今はもう人間ではない、死神なのだから。この場にいる魂たちだって、地上へ行ってはまたこの場所へと戻ってくる、いわゆる輪廻転生を繰り返しているから、魂を迎えに行く死神の気持ちなど知っても無意味だろう。彼らがどんな死を迎えるかについて、死神が口を出す事ではないのだ。自殺するな、どうして安全な場所に逃げ込めなかった、そのように《死神の血》が思っても無駄なこと。
「人間と言うのは、欲得ずくで動くものなのかな」
「さようでございます」
魂に満ち溢れた灰色の世界に、死神のため息がひとつ響いた。