春の祭り



「春風の訪れにはまだ遠いな……」
 晴れ渡った船着き場の桟橋で、シエルはつぶやいた。手入れされたリュートを背負いなおし、潮風を身に受ける。
「でも、綺麗な空だなあ。何かいい歌が出来るといいんだけど」
 エルフの伝承歌を口ずさみながら、彼は港町へ向かって歩いて行った。

 平均寿命がおよそ千年という長寿の種族であるエルフは、生きている期間が長いだけでなく、外見はあまり歳を取らない。シエルは二十歳ごろにしか見えないが、本当の年齢は二百歳を越えている。エルフの中では若手であるが、他の種族から見れば二百歳以上と言うのは想像もつかぬ年齢だ。
 長寿であるだけでなく、すばらしい詩歌を吟ずる才能にもあふれるエルフだが、シエルは特にその才能に秀でていた。それを知ってか知らずか、彼は百年以上前に吟遊詩人として生きる道を選び、七大陸を一人で旅しながら、行く先々で伝承歌を披露し、あるいは作曲に励んできたのだった。

 森の中が一番落ち着く。シエルは明るい日差しを浴びながら、小鳥の声を聞いていた。樵たちが最近木を切りだしたために、そこらじゅうに切り株がある。座るのに手頃なものを見つけ、腰掛けた。
「うん、即興だけどいいのが出来た」
 シエルはリュートを下ろし、ポロンとちょっと爪弾いて音の調子を確かめ、歌い始めた。澄んだ歌声が辺りに響き、手入れされているリュートが美しい音色を奏でた。彼の周囲には、いつのまにか、鳥や兎などの小動物が、集まっていた。
 夕方前、歌の出来に満足したシエルは、ふと気配に気がついた。魔物ではない、動物でもない、自分と同じエルフの気配だ。リュートを背負いなおして周りを見ると、太い樫の木の陰から、幼いエルフの少女がじっと彼を見ていた。人間に換算すれば五歳か六歳程度の、栗色の瞳と金色の瞳の少女。
 シエルと目が合うと、少女は樫の木に引っ込んだものの、すぐ顔をまた出した。
「やあ、どうしたの」
 シエルが声をかけると、エルフの少女はおどおどしながら、言った。
「あの、あの……お歌、きれい……」
「ありがとう」
 それからシエルは立ち上がる。
「君みたいな子供が一人でいるなんて、危ないよ? そろそろ日も暮れるし、お家に戻りなさい」
 が、少女はもじもじしているまま、動く様子を見せない。こちらを警戒しているのだろうかと思いながら、シエルは話しかけてみる。
「よかったら、僕が君をお家まで送ってあげようか?」
 すると、少女がおどおどしながら木の陰から出てきた。
「あの、あの……」
 やたらどもる少女。聞けば、この少女は、迷子になってしまったのだという。この森にはエルフの村があるのだが、普段はエルフ以外の者が入れないように特別な結界を張り巡らせてあり、一見はエルフの目にすら普通の森の景色にしか見えない。少女は蝶々を追っているうちに道に迷ってしまい、どこが村の入り口だったか分からなくなってしまった。歩きまわっているうちシエルの歌声を聞き、しかもそれが同族のものとわかったので近づいていったというわけだ。
「結界で村の入り口が見えないんだね。僕の故郷もそうだったから、よくわかるよ。一度目印を見失うと、なかなか見つけ出せない……。じゃあ、一緒に探そう」
「うん……」
 少女は泣きそうな顔でうなずいた。

 森はそんなに深くない。人の手がある程度入っているせいもあるだろう。これなら探し出すのは簡単だ。
「結界の場所が分からなくなった時は、まず耳を澄ましてみるんだ」
 シエルは少女に言った。
「結界が張られた場所の近くからは、風にのってなにかしらの音楽が聞こえてくるんだ。ほら、ちょうど風が吹いてきた」
 二人のエルフは耳を澄ます。サワサワと、風が森の枝葉を撫で、音を奏でる。数分も経たぬうちに風は止んだ。
「何か聞こえたかい?」
 少女は首を横に振るだけであった。少女にはわからなかった。シエルには、風に混じってかすかにエルフの調べが聞こえてきたのだ。
「僕には、春の訪れを喜ぶ歌が聞こえてきたよ、かすかにね」
 シエルがリュートで爪弾いたその音楽は、エルフたち全てが知っている歌だ。ぱっと少女の顔が晴れやかになった。
「それ、今日の夜のお祭りの歌なの!」
 風がまた吹いてきたので、シエルはもう一度耳を澄ます。少女も頑張って耳を澄ます。そう、そのエルフの調べは確かに風に乗って聞こえてきた。
「あ、聞こえた」
 二人は歩きだした。歩きながらも、耳を澄ますのを忘れない。そのうち、風に乗る音楽は徐々に聞き取りやすくなり、ひときわ大きな樫の木の傍まで来た時には、耳を澄ませなくてもかすかに聞こえるまでに至っていた。
「ここ、ここ!」
 少女は歓声を上げて、樫の木に飛び込んだ。木にぶつかるかと思いきや、少女はぐにゃりとゆがみ、消える。結界の中へ入ったのだ。シエルは、周りの様子を確かめ、後に続いて入った。
 周囲の景色が一瞬だけゆがみ、続いて、今までかすかに聞こえてきていたエルフの調べがはっきりと聞こえてくる。そして、エルフの村の入り口の前に、シエルは立っていた。迷子の少女は、今まで彼女を捜していたと思われる母親に抱きついて喜び泣いている。周囲のエルフたちも彼女をずっと捜していたようであった。そのうち少女の母親は、村の入り口に立っているシエルに気づく。
「貴方が娘を……? ああ、本当にありがとうございます、何とお礼を申し上げたら……」
「いえいえ」
「ほら、ちゃんとお礼は言ったの、ありがとうって?」
「あ」
 今頃、迷子の少女は思い出したように、シエルを振り返る。
「あの、あ、ありがとう……」
「ううん、いいんだよ。それより、もう迷子にならないようにね」
「うん」

 日が沈み、春を迎える祭りが始まる。シエルは村の住人ではないが、迷子の少女を助けてくれた礼として、特別に参加させてもらえる事になった。魔法の明かりが村を照らし、色々な楽器のメロディが聞こえてくる。シエルは木製のステージの上で、その美声で春を祝う歌を披露する。数多い吟遊詩人の中でもシエルの歌声は美しいと評判なのだ。エルフたちはその歌声に聞き惚れ、歌が終わると、特に、女性が盛大な拍手を送った。その中には、シエルが助けた迷子の少女の姿もあった。
 やがて月が昇り、祭りはもっとにぎやかになる。エルフたちは踊り、歌い、騒ぐ。シエルはアンコールに応えて、色々な歌を披露した。伝承歌、精霊の歌、恋の歌……。そして疲れも見せずに、村娘たちとともにエルフの踊りを踊る。歌に比べると舞踊はやや苦手のようだが、それでも村人と比べるととても優雅に舞い踊った。
「さあ、祭りはこれからだ!」
 そう。春を祝う祭りは、まだ始まったばかりだ。