ロマーノの絵



 昔からそうだった。
 じいちゃんは、いつもあいつばかり褒めてた。絵を描いても貿易しても、何をやっても、俺はじいちゃんに褒めてもらった覚えなんてない。愛情は平等にあたえてくれたかもしれないけど、それでも俺は――

 じいちゃん……もっと俺を見てほしかったよ。
 俺だって、じいちゃんの孫なんだから……。


「なんや、ロマーノ。絵描いとるんか。親分にも見せてみ〜」
 いきなり後ろから声がかかった。
「わっ、何だよチクショーめ! いきなり声かけるな!」
 思わず、描きかけの絵を隠した。
「どしたんロマーノ。採れたてのトマトみたいやんなあ、その顔」
 スペインは朗らかに笑いながら、俺の上から絵を覗き込んでくる。
「み、見るなよコノヤロー!」
「ええやないか、ケチケチせんとってや。ほな」
 俺の手の隙間からスルリと絵を抜き取ってしまった。
「か、返せ! 返せ!」
「ほー、こりゃ可愛い絵やなあ。トマトかあ」
 俺は必死で奪い返そうとするが、ちびすぎて相手に届かない。足元でぴょんぴょん跳ねるのが精一杯。
「あ、これひょっとして俺なん?」
「見るな、見るなってば!」
 よりによって、見られてしまうなんて!
「ぎょーさんトマト採れて嬉しそうやんなあ、俺」
 やっと返してくれた。紙が破れるほど乱暴に、その手からもぎ取る。
「な、何で見たんだよう! まだ描きかけなのに」
「おー、そうか。そりゃすまんかったわあ。でもなあー」
 スペインは俺の頭にポンとその大きな手を載せた。
「かわいかったで、ロマの絵。お前らしさがぎょーさん詰まってて」
「え……」
「完成したら、俺に見せてくれるんやろ?」
「だっ、誰が見せるかよチクショーめ! そ、それに俺なんかよりヴェネチアーノの方がずっと上手いし――」
「何言うてんねん、ロマーノ」
 スペインはいきなり、俺を両手で抱き上げた。
「何でイタちゃんと比べんならんのや。イタちゃんはイタちゃん、お前はお前や。ロマーノの絵にはロマーノの良さがたっぷり詰まっとる。それにな、俺はお前の絵が好きやで、ロマーノ」
 顔が熱くなった。
「なんやロマーノ。トマトみたいになってんで?」
「う、うるせーチクショーが! 腹減ったぞ、コノヤロー」
「ほいほい、トマトパスタ作ったるから。パエリアも食うかー?」

 褒めてもらったのは、初めてだった。

 その夜。
「おい、スペイン!」
「なんや?」
「こ、これっ、お前のために特別に描いてやったぞコノヤロー」
 枕の中から俺が差し出した紙を、スペインは受け取った。そして、朗らかな表情を見せる。
「おおきになあ! 描いてくれたんやなあ、でもこれ昼に描いとったのとちゃうな?」
「うるせー」
「トマト畑におんのは、俺とロマーノやんなあ。おてんとさんの下でいっぱいトマト採って、なんや嬉しそうやんなあ。ほんとにええわあ、お前の絵。明るくて楽しくてなー」
 スペインは俺に絵を返そうとする。でも、
「お、お前が持ってろ、コノヤロー」
「え、俺が持っとってもええんか?」
「いいって言ってんだろチクショーめ!」
「なあロマーノ、昼間描いとったのも見してくれへんの? あれ、描きかけやったやろ」
「み、見せるもんかチクショーめ!」
 だってあの絵は、まだ見せたくない。

 時が過ぎて、俺はスペインから独立した。別の国に支配されていた弟も独立し、やっとイタリアは独立国に戻った。
「にーちゃーん」
 たまに弟が来る。
「何描いてるのー?」
「ばっ、見るんじゃねーバカ弟!」
 描きかけている絵を慌てて背中の後ろに隠した。
「お前のために描いてんじゃねーっての! あっち行ってろコノヤロー!」
「えー」
 見せられるわけ無いだろ。これは、あいつに見せるための絵なんだから。
 初めて俺の絵を褒めてくれた、あいつのための。

「久しぶりやなあ、ロマーノ。トマトいいのが採れてるで、後で食うかあ? なんや改まって、どないしたん?」
 相変わらず明るい笑い声で、スペインは俺を出迎えた。独立したとはいえ、たびたび世話を焼いてくる。俺の心配してる場合じゃねえだろ、お前だって財政が傾きかけてるだろ。
「こ、こいつを渡しに来ただけだ、コノヤロー」
 手に持ってきた包みを、思わず相手の顔面めがけて突き出した。ボスッと鈍い音がして手ごたえあり。
「ばぶわっ」
 スペインは、顔面に突き出されたものを何とか手の中に滑らせた。俺がスペインの顔面に突きだしたのは、大きな紙包み。
「な、なんやロマ、これ……」
「お前にそいつを渡したかったんだよ、チクショーが!」
 スペインは紙包みをガサガサと取り払っていく。
「なんや、でっかい油絵やなあ」
 キャンバスを上から下まで眺める。
「懐かしい景色やなあ、あそこのトマト畑を描いたんやね。うん、トマトがぎょーさん実ってる。あの時と一緒やわ」
 他に言うことないのかよ。
「も、もういいだろ、俺帰る――」
「待ちーや、ロマーノ」
 スペインは俺の手を掴んだ。
「これ、昔ロマが描いとったやつやろ? 俺に見られてもうて、描くの止めてもうたやつ」
 スペインの顔には、懐かしそうな柔らかな笑いが浮かんでいる。
「で、俺をまた描いてくれたんやろ? あの時みたいに」
「お、憶えてんのかよっ」
「親分憶えとるよ、ちゃんと。お前がくれた絵、俺の部屋に大事に飾ってあるで。描きかけやったあの絵は、お前が独立した時に持ってってまったようやけど」
「そ、そりゃあ……」
 顔が熱くなってきた。あんな下手な絵を残しておくのはいやだったし……。
「なあロマーノ、昔言うたやろ。どんな絵でも、俺はお前の絵好きやってな」
 昔のように、スペインは俺の頭を撫でた。
「やっぱりお前は、俺の一番の子分やわ。親分嬉しいで」

 キャンバスに描いたもの。
 トマト畑の中で、たくさんのトマトを持ってこちらに笑いかけている、スペイン。