雨宿り



 デヴィットがたいまつ代わりの枯れ枝にフッと息を吹きかけると、青白い炎がともった。悪魔の火はこの世界の虫や蛇などの小動物を寄せ付けない特殊な力を持つ上に、悪魔にしかそれを消せないので、火の番をしなくて済む。
「今夜はここで雨宿りしかないですね。当分止みそうにないですし」
「あんたが雨を止める術を使えたら雨宿りしなくて済むのに」
「それは言わないでくださいよ……」
 雨を降らせる術は使えるが雨を止める術を使えないデヴィットは、たいまつを適当な横穴に差し込んで、がっくりした顔のまま荷物を地面に下ろした。
 雨に降られてしばらく走るうち、やっと見つけた小さな洞窟。幸い猛獣の類はいなかった。人が立って入れる高さがあり、洞窟の一番奥深くまでは数メートルほど距離がある上にそんなにデコボコしていない。それだけ離れていれば足を伸ばして寝転ぶのにも最適だ。
 イリーナは土の術を使い、洞窟の壁に数倍の強靭さを持たせて崩壊を防ぐ。結界の術を封印した石を洞窟の入り口に置いて雨を防ぐ。服がぬれているので、炎の術をかなり弱めて放ち、熱に変えて服を乾かす。それが終わってからイリーナはデヴィットに夕飯をねだった。
「何がいいですか?」
「体冷やしたからアツアツの料理がいいわね。スープとか焼肉とか……」
 デヴィットは、舌を火傷した経験のある料理を幾つか思い浮かべてパチンと指を鳴らす。イリーナの前に、魚の香草入りスープ、焼きたてのローストチキン、湯割りのはちみつ酒、焼きりんごが姿を現した。イリーナは大喜びで食べ始める。デヴィットはボウルいっぱいの野菜サラダとコーンスープを出し、食べ始める。
 外は暗く、雨は未だに止む気配がない。青白いたいまつの光で照らされた洞窟の中だけしか、明かりはない。
「フウ、おなかいっぱい! ごちそうさま」
 イリーナは皿を全部空っぽにしてしまった。デヴィットもちょうど食べ終わったので、指を鳴らして食器を消す。後は寝るだけだ。
 旅の疲れゆえか、イリーナはすぐに寝袋にくるまってしまった。
「じゃ、おやすみー」
「はーい」
 寝息はすぐに聞こえてきた。
 デヴィットは翼を広げて自分の体を包む。
(この世界に召喚されてから、色々な事があったなあ)
 弱まってきた雨音が耳に心地よい。最初はただの雑音にしか思っていなかったのに。音の感じ方が人間に近くなってきたのかもしれない。ゲーキョゲーキョとなく魔界の鳥の声が綺麗だと思っていたのに、それに似たようなヒキガエルの鳴き声はそんなに綺麗だと思わなくなったから(ヒキガエル自体は生で食べてもそこそこ美味しいが)。
 精霊の存在も初めて知った。この人間世界には様々な法則をつかさどる精霊が存在し、人間は彼らの力を借りて魔術を使う。イリーナが魔術を使うとき、姿こそ見えないのだが、その精霊の気配は特に強くなる。この人外の存在の力を借りねば人間は何も出来ないのだ。だから人間は悪魔の力も欲しくなるのだろう。より強い力を得るために。人間は愚かだ。
 小腹がすいてきたので、翼を少しだけ広げ、パチンと指を鳴らす。ピーマンが二個、手の中に落ちる。食べていると、突然外がピカリとまぶしく光り、ガラガラガラと激しい雷の音。
「かみなり、苦手なんだよなあ……」
 食べたらさっさと寝てしまうに限る。デヴィットはピーマンを頬張り、翼を閉じ、目をイリーナに一度向けてから、目を閉じた。その青白い顔はぽっと桃色に染まった。

 温かな寝袋にもぐって眠るイリーナは、夢を見ていた。
 悪魔召喚の儀式の日の夢。この儀式は一族全員と彼らの契約相手たる悪魔たちも出席する。この儀式で悪魔を呼び出す事が出来れば、家を継ぐ資格を貰える。魔術は得意だったが、召喚術に関しては基礎だけ完璧なものの実践だけはどうにも下手であった。自分の望んだものがどうしても呼び出せないのだ。だからこそ、高いランクの悪魔を召喚したかった。両親もそれを期待していただろう、弟のデュークのほうが召喚士としての才能があったとわかっているくせに。跡継ぎとしての地位よりも何よりも両親の期待にこたえたかったから、儀式に臨んだのだ。
 だが儀式自体は成功して悪魔の召喚はできたものの、周りからは嘲笑された。なぜって、呼び出せた悪魔は最低ランクの落ちこぼれだったから。
 儀式成功にも関わらず、イリーナは修行の名目で旅に出された。最高ランクの悪魔を呼び出す事が出来なかったため、一族の恥さらしとして追放されたのだ。後に精霊たちの噂を聞いたが、デュークが儀式を行ったとき、最高ランクの悪魔を呼び出す事が出来たという。家を継ぐ資格は弟に与えられ、イリーナはこの落ちこぼれのデヴィットと共に一族の黒歴史として「存在していなかった」ことにされてしまった。
 イリーナは目を開けた。青白い光に照らされた洞窟の中。向かいの岩壁に、翼で体を覆って眠るデヴィットが見える。
「あんたのせいで……!」
 寝袋をぎゅっと握り締めた。

 本当はわかってる。デヴィットのせいにはできない。召喚される悪魔のランクは、術者の力量に比例する。魔界の落ちこぼれを呼んでしまった自分は、所詮その程度の実力しかなかったということ。デヴィットをせめても仕方ない。
 わかってるはずなのに……。

 水の精霊のささやき声がする。雨と、洞窟のどこかに流れる地下水が会話しているようだ。
(ネエネエ、シッテル? コノドウクツノナカニ、ニンゲンガイルノヨ)
(ウン、シッテル。デモ、ヒトリダケヨネ。モウヒトリハ、ニンゲンノスガタヲシテルケド、ニンゲンジャナイワ。コノセカイトハチガウセカイニイルハズノジュウニンヨ)
(ソウミタイネ。デモ、ドウシテココニイルノカシラ?)
(ワカンナイ)
 精霊たちの会話は途切れて聞こえなくなった。イリーナがまた眠ってしまったから。
 精霊たちの会話はまだ続いたが、イリーナもデヴィットも目を覚まさなかった。

 朝が来ると、イリーナは先に起きた。デヴィットはまだ翼を閉じて眠っている。外を見ると、綺麗な青空から明るい光が差し込んできている。
「デヴィット、起きなさい!」
 イリーナは無理やり翼を引っ張った。
「いだだだだ!」
 デヴィットは悲鳴をあげ、目を覚ました。
「あ、イリーナさん、おはようございます……」
 デヴィットは翼を背中にしまいこんだ。
「おはようじゃない! おなかペッコペコよ、もう! 早くごはんちょうだい!」
 イリーナは寝袋を片付けながら大声を出した。デヴィットは背伸びをして、次に炎を消してから、イリーナのために朝食を呼び出す。焼きたてのトースト、蜂蜜入りの小さなつぼ、温かなミルク、ベーコンエッグ。自分用にはレタスをまるごと一玉。
 食事を取りながら、イリーナはデヴィットに聞いてみた。
「夜の間、誰かここでおしゃべりしてなかった?」
「……さあ、僕は聞いてませんが」
 たぶん、ほんとうだろう。デヴィットは妖精の気配を感じることはできても、その姿を見ることはできない。
「そう、それならいいの。あ、ポテトパイ追加ね」
 イリーナはパイにかぶりついた。

 結界の石を片付け、荷物の整理をした後、二人は洞窟の外に出た。
「うーん、いい朝ねーっ」
「そうですね。昨夜の雨はどこへ行ったんだろ」
 イリーナは思い切り背伸びをした。太陽がまぶしく二人を照らしていた。

 二人が洞窟から去った後、水の精霊たちは、ひそひそ話を始めたのだった。
(ネエネエ、キイタ? イイアサナンダッテ)
(イヤヨネエ、コンナニ、ハレワタッテイルノニ、イイアサダナンテ!)
(マタ、フラセテアゲマショウヨ、アメヲ)
(ソウネ)
 笑い声は、洞窟の奥にも響いていった。