1日の食事



 実りの時期。野生のリンゴの木に、たわわに赤いリンゴが実っている。
「やったー! リンゴがなってる。夕飯前だけど、小腹がすいてたのよね〜」
 イリーナは、歩きの疲れなど何処吹く風、小走りで嬉しそうにリンゴの木に駆け寄った。その後を、大きなリュックを背負ったデヴィットがついていく。
「へー、これが『リンゴ』……。変わった匂いですね、イリーナさん」
 リンゴの木から流れてくる甘いにおい。これがリンゴという果物の匂いらしい。
「デヴィット、リンゴ取ってよ! アタシ、疲れちゃって」
 イリーナは木にもたれて、上を指差す。上の枝になっているリンゴは、大きく赤く熟れている。デヴィットは、リュックを一度地面に下ろし、木を片手で押す。木は大きくギシギシ音を立てて揺れる。樹齢五十年以上はありそうな太い幹が、いとも簡単に揺さぶられる。悪魔の中では非力でも、人間から見れば恐ろしい怪力だ。あっという間に枝まで派手にゆすぶられ、実ったリンゴがどんどん落ちてきた。
「キャー、落ちてきた落ちてきた」
 イリーナは木からはなれ、嬉しそうに腰のマントを外して、落ちてくるリンゴをそれで受け止めた。
「もういいわよ」
 言われて、デヴィットは木を揺するのを止める。周りを見ると、リンゴがざっと二十個以上は落下して、辺りに転がっている。虫や鳥、小動物に食われた跡が見られるリンゴの多いこと。イリーナは受け止めたリンゴの中から、被害を受けていないものを選び、近くを流れる小川でそれを洗った。
「いただきま〜す」
 イリーナがリンゴを美味そうに食べるのを見て、デヴィットは地面のリンゴをひとつ拾い上げる。何のために人間は野菜や果物を洗うのか未だに分からない。習慣なのだろうか。そう思いながら、イリーナの真似をしてリンゴを洗う。冷たい川の水に浸かったリンゴは、洗うと汚れが落ちて綺麗になった。一口かじってみる。好きなピーマンと違い、少し固い。赤い見た目に反して、中身は薄い黄色だ。種が果実の中央部に集まっている。この種がこんなに巨大な木に成長できるのだろうか。味は、残念ながら、デヴィットの好みではない。少し酸っぱく、少し甘い。悪魔は苦さや渋さを好むが、甘さや酸っぱさは逆に苦手なのだ。
「デヴィット! ちゃんと食べておきなさいよ! あとでいくらでもリンゴが食べられるようにしたいんだから!」
 イリーナが次のリンゴを川で洗いながら、声をかけた。あいにく、口にリンゴが詰まっているので、デヴィットは返事が出来なかった。

 翌朝。イリーナは寝袋から身を起こし、欠伸した。小川で洗顔し、前日のうちに洗濯して近くの木に干しておいた服を着る。青白く光っている悪魔の火の傍で眠っていたデヴィットも目を覚まし、背伸びした後、布団代わりの翼を何とかマントの下にしまう。どう努力しても尻尾と角は出てしまうが、翼なら何とかしまっておける。
 朝食はトースト、スープ、小さなミートパイ、サラダ。イリーナにリクエストされたデヴィットが、食べたものを思い出しながら指を鳴らすと、イリーナの目の前に料理が現れる。
「デ〜ヴィット。何か忘れてなあい?」
「え?」
 イリーナの言葉に、デヴィットは、出したばかりの料理を見る。思い出したとおりの料理は皆出ているはずだが……。
「あっ。すみません」
 デヴィットは再び指をパチンと鳴らす。今度は、はちみつの入った小さなつぼがイリーナの手の中に落ちた。
「そうそう、これを忘れちゃ駄目よ!」
 イリーナは嬉しそうにはちみつのつぼを平たい石の上に置いた。あんなドロリとした甘い液体の何がいいのだろうと不思議に思いながら、デヴィットも自分の食事を呼び出す。大きなサラダボウルに山盛りのサラダ。悪魔は野菜の味がすきなのだ。この人間の世界では、魔界で食べていた木の実を呼び出すことは出来ないので、野菜を代用品として食べている。人間の世界では料理を手づかみで食べてはいけないので、フォークを使うようにイリーナに釘を刺されている。
「あー、そうだデヴィット」
「何ですか」
「ミートパイ、もうひとつ追加ね」
 食後、食器をデヴィットが術で消す。歯を磨いて口をすすいでから、二人は出発した。次の町へつくにはまだ何日もかかるが、川に沿っていけばそのうちつける。川沿いに、その町はあるのだから。休憩を挟みつつ歩いていくうち、太陽は高く昇った。朝食でたくさん胃袋に詰め込んでも、歩き通しなのだから、もう胃袋は空だ。
「あー、おなかすいたっ」
 イリーナは、平たい岩の上にどっかりと腰を下ろした。デヴィットも、荷物を下ろして伸びをした。歩き通しで疲れるのは、悪魔も一緒だ。
「デヴィット、ごはん出して」
 イリーナの目の前に、昼食が並ぶ。卵と肉のサンドイッチ、チーズのかたまり、栄養たっぷりの滋養牛からしぼったミルク。デヴィットはまたしてもサラダボウルいっぱいのサラダ。
「サラダばっかでよく飽きないわねー」
 イリーナはサンドイッチをミルクで喉に流し込んでいる。デヴィットは、何とかフォークで野菜を突き刺しながらサラダを食べている。
「僕の食べられるものがこれしかないんですよ。それに、嫌いじゃないし」
 食後、イリーナはデヴィットの背負うリュックに乗った。歩きつかれたから、しばらく背負ってくれというのだ。荷物が人ひとりぶん増えたところで、デヴィットには苦痛ではない。羽ひとつがリュックの上に載ったのと一緒。その気になればイリーナを片手で持ち運んでもいいのだが、ひっぱたかれたので、やめた。
 しばらく歩いていくと、イリーナは、リンゴが食べたいと言い出した。
「ねえ、リンゴ出してちょうだい」
「はあ、リンゴですか」
 デヴィットは一度立ち止まり、リンゴを思い出す。赤くて丸くて、奇妙な味のするあのリンゴ。パチンと指を鳴らすと、イリーナの手の中に、彼が昨日食べたリンゴが落ちた。
「いただきま〜す」
 イリーナはリンゴをかじる。
「うん、あんたにしては上出来じゃない。美味しいのを食べたわね〜」
 嬉しそうな声が背中から降ってきた。同時に、リンゴをかじるシャリシャリという音も。デヴィットは何も言わない代わりに、フードの下で、青白い頬を赤く染めた。

 日が沈む頃、草原のはずれにて、キャンプを張った。害虫や蛇よけのための悪魔の火を焚くと、辺りは青白い光で照らされる。イリーナは小川で手を洗い、椅子代わりの平たい石の上に座った。
「デヴィット、ごはんお願い」
 十秒後、イリーナの目の前にはドラゴンのヒレスープとポテトサラダ、魚の香草焼きが現れた。デヴィットがイリーナ共々、彼女の家から修行を口実に追い出される前に食べたものだ。一般人にはとても手が出せないドラゴン料理が食べられるのは、貴族だけ。人間にとって最高の美味であるドラゴン肉は、悪魔にとっても味の良い肉。だが、悪魔にとって最高の肉は、人間の肉。召喚者と契約した悪魔だけが人間の肉を口に出来る。が、イリーナとデヴィットは形の上で契約は交わしているものの、イリーナはデヴィットに自分を食わせる気などさらさら無いようだった。
 イリーナもデヴィットも、ドラゴンのスープを味わう。とろけるような舌触りと、しつこくない脂身、どんなスパイスで味をつけても合う、良質の肉だ。イリーナはスプーンを使って飲んでいるが、デヴィットは器に直接口をつけてスープを飲んでいる。
「もー、デヴィット! それは止めろって言ってるでしょ! いい加減言うこと聞きなさい!」
「そ、そんな事言われても、スプンとかいうの使うの難しくて、上手く食べられないんです……」
「文句言わないの! ほら、出来ないとか何とか言う前に、練習しなさい! フォークだってマトモに使えるようになってきたんだから、スプーンだって使えるようになるわ。というか、なってくれないと、困るのよこっちが!」
 イリーナに強引にスプーンを持たされる。デヴィットはスプーンを使うのが苦手だ。フォークは突き刺せば勝手に食べ物がくっついてくるが、スプーンはそうはいかない。すくいあげたら、乗せたまま口の中へ運ばねばならない。その間にスープや具がこぼれてしまう事がある。
「一度にたくさん具を拾うから後でこぼすのよ! 食べるときはちょっとずつ取りなさいよ。スープの具は細切れになってるんだから、全部すくわなくてもいいの」
 スープが冷めるのもかまわず、イリーナはスプーンの使い方講座を一時間にわたって続けたのだった。
 食後、講座に疲れたとイリーナはさっさと寝てしまった。スプーンを持たされ続けたデヴィットも疲れてしまったので、翼をマントの下から広げて、体を覆う。
「ふう。疲れた……」
 デヴィットの頬がまた赤くなる。寝袋の中で眠っているイリーナに目をやると、デヴィットの顔がますます赤くなった。頬を赤らめたまま、悪魔は眠りに落ちていった。
「おやすみなさい」