お金を稼ぐ



「そろそろお金が少なくなってきたわね」
 イリーナは、丈夫な革袋に入れてある硬貨の数を数え、フウと息を吐いた。
「食事はデヴィットにださせればいいから食費はかからないわね。でも寝泊まりするには、これだけじゃあちょっと足りないわ」
 悪魔の炎の向こうに座っているデヴィットは、早くも翼で体を覆って眠りについていた。街道を歩いてはや二日、遠くに建物の群れが見えてきていた。明日にはそこにたどりつける。イリーナは、空気の中に感じる水の精霊の気配を感じ取った。そして、その気配の強さから、明日は雨になるかもしれないと考える。雨の中で寝るのは嫌だ。だが宿に泊まるには少しお金が足りない。稼ぐしかない。
 イリーナが家を追い出されてから初めて知ったことは、生活していくためには自分の手で金を稼がねばならないと言うことだった。何不自由のない生活に慣れ切っていたイリーナには、辛いことだった。最初は、山ほど金貨を持たされていたので買い物や宿泊には困らなかった。だが金がなくなるにつれて、どうしたらいいだろうかと考え、町や村で見るように、労働するしかないと結論を出さざるを得なくなった。金がなくなれば何もできないのだから。
 彼女が最初に請け負った仕事は、宝石に魔術の装飾を施すことだった。宝石に術で文様をきざみつけるには、石の精霊の力を借りる高度な術を使う必要がある。しかし、もともとイリーナは精霊の波長を己の意のままに改造できるごくまれな才能を持っていた。そのため、そんな高度な術を使わずとも、楽々と宝石に様々な文様を刻むことが出来たのだった。
(あのときみたいなお仕事は、そう簡単にはないのよねえ)
 落し物探しから盗賊退治の魔術師部隊まで、イリーナはいくつか仕事をして、路銀を稼いできた。思い返して自分を評価してみると、世間知らずのお嬢様から少しだけ脱出できたと言うところか。
「とにかく明日町についたら考えましょう。着いてみないとわからないものね」
 イリーナは寝袋に入って、眠りについた。リーリーと虫たちが草の中で鳴いていた。

 町に着いたのは、朝食をとってから一時間ほど後の事。空は曇っており、今にも雨が降り出しそうだ。開いたばかりの宿に飛び込んでさっそく相部屋を一つ取り、イリーナとデヴィットは外へ出た。
「また仕事ですか」
「お金がないと宿屋にも泊まれないでしょ! 部屋代だってそんなに安くないんだからさっさと稼がないと」
「はい……」
 貨幣経済なるものを全く知らないデヴィットに説明をするのは面倒だった。とにかく、人間が生きるためには、丸くてキラキラした金属が無ければだめなのだと頭の中にたたきこませるだけで、彼女には精いっぱいだった。
 二人は、開きたての役所に飛び込んだ。役所には様々な仕事の張り紙が出されているので、字が読める者で銭を稼ぎたい者は役所に来るのだ。イリーナは張り紙をいろいろ読み、やっと決めた。

 彼女の引き受けた仕事は、町のはずれにある、大地主の所有するとんでもなく広い畑を耕すことだった。といっても、土の術を使って、砂や土を混ぜればいいので、くわをふるう必要はない。が、デヴィットはそうはいかない。そんな術を使えないので自分の手で何とかしなければならない。
「なんでこんな仕事引き受けたんですか?」
 役人に監視されながらも、デヴィットは慣れない手つきでくわを土の中へ押し込んでいる。怪力のおかげで固い土の塊はすぐにほぐれる。
「だって、ほかの仕事は危ないものばっかりなんだもの。盗賊退治とか、そんなのばかりよ。あんた、腰抜かしてびっくりしていたじゃないの」
「そりゃそうなんですけど……」
「安くても、安全なんだからいいじゃない。雨が降る前に、全部耕しちゃうわよ!」
 イリーナが口の中で小さく術を紡いでいくと、彼女の周囲の土は、彼女を中心に動きだしていく。土が混ざり合い、塊は砕かれて、柔らかくなっていく。イリーナの頑張りのおかげで、畑の土は一時間も経つとすべて柔らかくほぐれてくれた。土の精霊たちは、彼女のよびかけに快く力を貸してくれたのだ。
 役所に戻って報酬を受け取った後、イリーナとデヴィットはやっと宿に戻る。それを待っていたかのように、灰色の雲から雨がポツポツと降り始めた。行きかう人々は雨にあわてて近くの建物へと入る。
 おんぼろだがきちんと掃除の行き届いた部屋。布団の堅い、やたらときしむベッドに腰掛けたイリーナは報酬の銀貨五枚を財布に滑り込ませてから、デヴィットに食事をねだった。雨の中、酒場までわざわざ出かけるのは面倒だから。荷物置きのための小さな机の上にアツアツの料理が並び、イリーナはさっそく食べ始める。デヴィットは山盛りのピーマンを出して食べ始めた。
 雨は強くなり、しまいには雷も鳴りだした。満腹したイリーナは、窓枠に頬づえをついて、雨の中に交じって聞こえてくる、水の精霊の雑談に耳を傾けてみた。雷の苦手なデヴィットは、翼で体を覆ってしまっている。雨が弱まるまではそうしているつもりのようだ。
 水の精霊たちは笑っている。雷を怖がっているデヴィットを珍しがり、笑っている。精霊たちはデヴィットが別世界の住人であることを知っている。デヴィットは姿を変えているつもりでも、角と尻尾は(時には翼も)どうしても隠せなかったのでマントとフードで隠している。さいわい誰にも見つかったことはないが、精霊たちにはすぐ気づかれてしまうようだ。精霊たちは、人間に化けたつもりのデヴィットを笑っている。雷の何が怖いのだろう、と笑っている。デヴィットはそのささやきが聞こえているのかいないのか……。
 夕方になって、雨はやんだ。イリーナはデヴィットの翼を引っ張って無理やり起こした。デヴィットはいつのまにか寝てしまっていたが、翼を引っ張られた痛みで目を覚ました。
「デヴィット! いつまで寝てるのよ! さっさとごはん出してちょうだい!」
「いたたたたたたた!」
 デヴィットはいつのまにか自分が寝てしまったことに気が付いた。あくびを一つして翼をたたむと、雨がやんで雲が晴れてきたのを見てホッとする。
「で、何がいいですか」
「ええと」

 翌朝、部屋代を払って二人は宿を引き払った。晴れ渡った青空と、ふきぬけていくそよ風が気持ちいい。風に乗って、精霊たちの声が聞こえてくる。耳を澄ますと、やはりデヴィットの事ばかり。デヴィットはどこへ行っても精霊たちの話のタネになっているようだ。
「もう少しお金稼いでから先に行きましょ。また役所へ行くわよ!」
「えー……」
 嫌そうなデヴィットだったがしぶしぶ彼女の後ろについていった。あの丸いものを持っていなければ人間が生活できないとは、なんと不便なのだろうか。
 役所に入っていった二人を、風の精霊たちはクスクス笑って見送った。
『ウフフ、アノコタチ、フシギヨネ。ナンダカ、ヒカレアッテイルミタイ』
『ソウヨネエ、デモ、ヒトリハ、コノセカイノジュウニンデハナイワネ』
『アレハ、イッタイドコカラキタノカシラネエ。シッポナンカハヤシチャッテサア』
 精霊たちのおしゃべりはとめどなく続いたのだった。