雪というもの
「うう、寒い」
防寒着の下で、イリーナはぶるっと身震いした。
「寒いですか?」
デヴィットは平然として、イリーナに問いかける。
「寒いに決まってるじゃない、雪が積もってるんだから。あんたは寒くないの?!」
「いや、別に……」
白いものが地面に積もっているが、これだけで何故人間は寒いと思うのだろうか。デヴィットにとっては、こんな「寒さ」など、寒いうちには入らない。悪魔の考える「寒さ」とは、この人間世界では決して存在しない極寒なのだ。その「寒さ」に触れただけで全身の熱が一瞬で奪われ凍りつく。それが魔界の「冬」だから、イリーナがこれっぽっちの気温で寒がる季節を「冬」だと呼ぶのが、デヴィットには理解できない。人間はやわだ。
「うう、やっぱり寒いわ」
イリーナは口の中でぶつぶつ詠唱する。防寒着の下で、温かな光があふれだす。火の精霊の力で、防寒着の内部の空気を暖めさせたのだ。イリーナは、防寒着の下が暖かくなったので、満足げに笑った。
「うん、あったかい」
雲ひとつない抜けるような青空の下、冷たい風をうけながら、イリーナとデヴィットは雪原を進んでいった。
雪原を通り抜けると、町があった。イリーナは、温かな宿で寝られると大喜びし、旅の疲れはどこへやら、町へ飛び込んだ。デヴィットもその後を追った。
町にも雪が積もっているが、今は雪かきされて、道路の端に寄せられている。デヴィットは、その雪の塊の中に、妙な形をした塊を見つけた。
「ねえイリーナさん、あれって何ですか?」
露店のアクセサリー屋を覗きこんだイリーナは、デヴィットの指さす先を見て、面倒くさそうに答える。
「ああー、あれね。雪だるまよ」
「ユキダルマ?」
「積もった雪を固めて、あんな風に大きな人形を作るのよ」
「何に使うんですか? 食べるんですか?」
「食べ物じゃないわよ、雪は。そりゃあ口に入れられなくはないけど、私は嫌よ」
「じゃあ、ユキダルマって何のために作るんですか? 何かの儀式ですか?」
「雪で遊んでるだけよ。儀式的な意味は何もないの。柔らかくて溶けやすいけど、かちかちに固めたらそれなりに固くなるから、ああいう固形も作れるのよね」
「遊ぶって、ユキは遊び道具なんですか?」
「そんなんじゃないわよ。この季節に降るものよ。雨と一緒。でも、雨と違って、これは遊ぶための手段がある。それだけよ。じゃ、行くわよ」
イリーナはデヴィットの腕をつかんで、宿屋へ向けて歩きだした。
宿を取ったイリーナは、食事を済ませると、部屋についている暖炉に火を起こした。いつもデヴィットに起こさせている青白い悪魔の火は、明るさのほか、小動物その他をおいはらってくれる効果を持つが、熱を持たない。そのため、暖を取るには、本当の火を燃やすしかない。屋敷にいたころは、このような雑用は皆使用人がやっていたものだ。だが、修業を口実に追い出された今は、全部自分でやるしかない。最初は魔法を使って火を起こしていたが、最近は火打ち石を用いて火をつけることを覚えた。それが彼女の最近の自慢だ。
「だいぶ上手くなってきた!」
薪が燃えてきたのを見て、イリーナは喜んだ。一方デヴィットは、部屋の窓を開けて、近くの植木につもっている雪をすくい取っては手の中でそれがゆっくり溶けていくのを見ている。悪魔の体温は人間より低いが、それでも雪が溶けるには十分だ。
「雨の凍ったものが雪……」
デヴィットは、どんよりした灰色の空から、ちらほら降ってくる白いものを見た。
「僕が今雨を降らせたら、これも雪に変わるのかな」
「もっと気温が低くなれば変わるわよ、雲の中でね。今の状態なら、雨と雪の混じった、みぞれにしかならないわよ」
デヴィットの背中にイリーナが言葉をぶつける。
「それより早く窓閉めてちょうだい、寒いんだから! そんなに雪遊びしたいんなら外に出てやってよね!」
「はあい」
デヴィットはしぶしぶ窓を閉めた。その代わりに、
「じゃあ外に行ってきます」
彼は宿の外へユキアソビをしに出ていった。
イリーナが、外で子供たちのはしゃぎ声を聞くのは間もなくのことだった。何かをぶつける音も響く。デヴィットはどうやら、「雪合戦」に参加しているらしく、彼の声も時々聞こえてきた。
「楽しいのかしら。冷たい雪玉をぶつけ合うだけなのに」
イリーナも雪遊びをやった記憶はある。もっと幼いころに、屋敷の庭に積もった雪で、絵本の通りに雪だるまを作ったり、弟のデュークと雪玉をぶつけあったり。せっかく作った雪だるまが、そのうち気温の変化で溶けてしまったのを、泣いてしまった事も思い出した。
「あんな時期もあったっけねー」
子供の声を聞きながら、イリーナは暖炉の中を火かき棒でかきまわし、新しく薪を放り込んだ。
「すっかり忘れてたわ。でもアタシはもうあんな遊びをする年じゃないしね」
部屋の中が暖かくなり、腹の膨れているイリーナは、魔道書を読みながらも転寝を始めていた。わずかな時間だけ滞在した夢の世界では、彼女が作りあげた大きな雪だるまが、彼女と一緒にのんびりと屋敷の庭を歩いて散歩していた。
「うーん、ゆきだるま……」
子供たちの雪合戦と雪だるま作りに加わって、溶けた雪で体を濡らしたデヴィットが、部屋に戻ってきたころ、イリーナは机にふせって寝息を立てていた……。