多忙なピエロ



「ただいま戻りましたあ」
 ジャックは買い物を済ませ、町の一角に張られたテントへと戻る。彼の後ろからは、いつもの通り双子のスロートが屋台で買ってもらった菓子をほおばりながらついてくる。
「お帰りなさい」
 相変わらず顔の半分をヴェールで隠した団長が、帳簿を片手に、テントから出てきて彼を出迎える。ジャックは買いものの釣銭を渡す。団長はジャックの荷物を全てチェックし、うなずいた。
「頼んだもの、全部買ってきてくれましたね。御苦労さま。昼食の支度と、それがすんだらビラ配りを、それも終わったら後はいつもの仕事をお願いします」
「はい」
 ジャックはすぐに食事の支度を開始した。太陽はそろそろ南の空へ昇り、自分の腹もそれを知らせるかのようにグウと鳴る。
「腹減ったなあ」
 双子につまみぐいされないよう細心の注意を払って昼食を作る。自分も腹にパンとスープを詰めてからいつものピエロの衣装に着替えて、サーカスのビラ束と小さな机を抱え、町へ繰り出した。目立つのが苦手なジャックだが、緑をベースとした派手なピエロの衣装を着ているだけで注目を浴びるのは当たり前、顔を真っ赤にしながら、そして小さくなっていく声で「夜からショーが始まります、よろしくお願いします」と何とか喋りながら、小さな机の上にビラ束を置く。そして自分自身はテントから持ちだしてきたたくさんの小さなピンポン玉でお手玉をする。お手玉に集中している間なら、視線をある程度忘れていられるから。
(うう、やっぱり注目されるの恥ずかしい……)
 どんなに恥ずかしかろうと、仕事である以上やらねばならない。ジャックは一時間以上かけてビラを配った。夜のショーの準備と掃除、夕食作りも大変だが、それ以上に大変なのは、このビラ配りだ。
(は、早くビラがなくなってくれればいいのに……)
 ある程度風がさらっていったおかげもあって、ビラ配りは早く終わった。机とたくさんのピンポン玉を持って戻ったジャックは、休む暇もなく、ピエロの衣装のまま、「いつもの仕事」であるショーの準備にとりかかる。今日のショーの内容を確認し、必要な小道具をきちんと磨き、いつでも取り出せるようにとステージの奥へ運んでいく。それが終われば今度は客席掃除。ベンチの埃をぬぐい取るだけの簡単な作業だが、客の人数を考えると、この簡単な作業はすぐに終わらない。
「ええと、次の仕事が……」
 水入りバケツに雑巾を浸して絞る間にジャックは半ば混乱した頭で考える。いつもの仕事とは、ショーの準備とテントの掃除、夕食の支度である。そして、派手なショーの合間に次に使う小道具をあちこち運び、それが終われば再度の掃除と片付け。それで一日の仕事は終わるのだ。
「よし、掃除終わり! 次は夕飯だ!」
 テントを飛び出す頃には、空はすでにオレンジに染まりはじめていた。ショーの始まりは夜七時から。双子に邪魔されないうちにさっさと夕飯を作ってしまわねば。
 ジャックがせっせとジャガイモの皮をむいていると、
「お手伝いしましょっか?」
 明るい声でマリシアが声をかけてきた。まだショーの衣装に着替えておらず、彼女の服は淡い色のチュニックとスカート、サンダルといった普段着である。彼女のショーは空中ブランコであり、一番の人気を誇る。運動神経は抜群で、面倒見の良い少女なのだが、料理の腕だけは何故か最悪。
「あ、いえその、大丈夫です」
 ジャックは何とか断る。
「ショーの前ですし、ナイフで指を切ったりしたらブランコ握れなくなりますよ」
「それもそうね。でも一人でやるのは大変でしょう?」
「そ、そうなんですけど、これぐらいしかぼくの取り柄はないし、慣れてるから一人でも大丈夫です」
 ジャックはしゃべりながらもナイフを動かし皮むきを続ける。視線は手元に注がれたままだ。腰まで届く長い髪を赤いリボンで結ったマリシアは首をかしげてジャックの手元に目を向ける。
「それにしても、喋りながらも皮むき出来るなんて凄いね。私だったら絶対手を切っちゃうな」
「こればっかりは慣れですから……」
「そう。そうだ、今夜のメニューは何?」
「塩のスープと、茹でたジャガイモと、魚の揚げものです。この町、野菜があまり手に入らなくて……」
「魚、大好き! 楽しみにしてるわね。貴方のごはん美味しいんだもの」
 言われて、ジャックは頬を赤く染めた。
 マリシアが去った後、入れ換わりに双子のスロートがやってきた。
『おにいちゃん! ごはんまだ?』
 互いに完全な意思疎通のできる種族故、喋るときは二人同時に喋ることが多い。幼い双子に、ジャックはまだだと答えた。この双子、たまにつまみ食いをするので、食事の支度をしている時には決して油断出来ない。
『ちえー、まだだってさ。おししょーに遊んでもらおっと』
 双子はふくれっ面をして回れ右し、ジャックに背中を向けて居住用のテントに向かって駆けていった。その背中を見送り、ジャックはほっと息を吐く。これならしばらくは大丈夫だろう、と思いながら。
 夕食を済ませた後は、ショー用の大テントの入り口に立って、並んでいる客たちから入場料を受け取って席の番号札を渡す。ショーの開始時間の十分前に入場をしめきり、今度は裏方へ行って最初のショーで使う小道具を並べる。これだけで、ジャックの着ている緑の衣装は汗だくになっていた。
 団長のいつもの口上の後、まずはナイト=レイトと双子によるマジックショーの始まりで、観客は一斉に拍手を浴びせた。いつかあんな風に拍手を浴びてみたいものだと思いながら、ジャックは裏方でショーを見つめつつ、その手は次のショーの準備のためにせわしなく動いていたのだった。