流れ星



 太陽というものは知っている。
 しかし、どれほど明るいものなのかは、全く知らない。
 月は知っている。いつも、外の世界を明るく照らしている、明るい光を放つ白いもの。必ず星というものを伴っている。
 太陽というものが空にあるとき、星もあるのだろうか。
 月が空に浮かんでいるとき、それは夜だという。夜の反対に昼があるという。太陽は、必ず昼に現れるという。一度、見てみたい。だが、それは許されない。夜以外に地下から出る事は出来ない。

 標的のくず折れる音。急所を一突きされ、あっけなくその生命は消えた。光を反射しないように黒く刃の塗られたナイフを抜き、痕跡を残さぬように細心の注意を払ってその場を去る。
 表に出ると、一匹の黒猫が塀の上を走っているようにしか見えない。
 組織もとんだ改造をしてくれたものだ。他の動物のものを体に混ぜるなんて。だが、この体には便利なところがある。望めば猫の姿に変われることだ。今まで以上に行動範囲が広がる。闇の中だけを走る必要は無くなった。
 ふと立ち止まり、塀の上に座って、月を見上げる。丸い。白い光を投げかけている。黒い空にいくつもの星がまたたくのが見える。雲が月の光に照らされて、うっすらと見える。
 太陽が出ているときも、空はこんな黒い空なのだろうか。ならば、これが月ではなくて太陽であると言えるのではないだろうか。外の世界を明るく照らしているのだから。いやいや、昼と呼ばれる時間帯に外へ出る事は出来ない。そんな事をすれば即座に射殺される。ということは、今は夜なのだ。
 星がひとつ、空を横切った。あれは一体何だろう。星が空を横切るのは初めて見る。不思議だ……。星が空を横切ると、何かが起きるのだろうか。しばらく待ったが、何もない。ただ空を横切っただけだった。
 それ以上待っても何も起きないので、戻ることにした。あまり遅くなると、逃亡を図ったと疑われるかもしれない。それだけは避けたい。
 組織の建物の中に入ると、いつもの明るい光が降ってくる。これは月のような光ではなく、あくまで人間の手で作られた光だ。報告を済ませ、部屋に向かう途中、あの星のことを考える。
 空を横切った星。
 なぜ、星は空を横切るのだろうか。
 次の実験までの間は体を休めるために寝て過ごす。寝台の上に寝転ぶ。部屋の明かりが消えて辺りが闇に閉ざされても、あの星の事が頭から離れない。まぶたがすぐに閉じ、意識が闇の中へ沈んでいくその間も、ずっと。

 この夜は、空が雲に覆われていた。月の光は全く届かない。奇妙な臭いが辺りに漂っている。この臭いがあると必ず空から雨という水滴が降り注いでくる。濡れるのは嫌いだ、急がなくては。
 塀の上から屋根に飛び移る。網戸に爪を引っ掛け、開ける。室内へ飛び込む。柔らかな床に着地して周囲を確認した後、本来の姿に戻る。標的の部屋であることは間違いない。寝台の上でいびきをかいている醜悪な老人こそが、標的なのだ。
 音も立てずにささっと移動する。が、その時、その標的の傍にそれが現れた。薄ぼんやりとした光に包まれた、奇妙な衣類に身を包んだ少年。標的の傍や組織の中に必ず現れ、標的を仕留め終えると何かを回収して煙のように消え去る少年。一体何者なのかと問うた事はある。
「僕は、死神です」
 それが、答えだ。
 相手が何もしないので、さっさとナイフを鞘から抜いて標的を仕留める。一刺しすれば、絶命。正確に急所を突けばどんな生き物も死に至る。すると、標的の体から何か光るものが飛び出し、謎の少年の元へ飛んでいく。それを己の手の中に包み込むと、少年は消えようとする。
「今日は、星が見えないな」
 何気なく漏らしたその言葉に、少年は首を傾げて反応する。
「曇りですから……」
 なぜそんな事を言い出したのかと言いたそうな表情。
「この間、星が夜空を横切った」
 話題の切り替えに、相手は目を丸くした。
「流れ星ですか?」
 ながれぼし。ああ、星が夜空を横切るのを流れ星というのか。
「なぜ、星は空を横切る?」
 相手はしばらくあっけにとられた顔でこちらを見つめてくる。なぜ見つめてくるのだろう。
「……宇宙のたくさんの星たちが移動しているから空を横切るように見えるんですよ。僕に分かるのはそのくらいです」
「……」
「まだ何か?」
「太陽は、明るいのか?」
「え、ええ。そりゃ、明るいですよ」
 何を今更と言わんばかりの表情。
 何も言わず、そのまま後退する。用はないのかと思ったらしく、相手の姿が消え始める。
「ああ、そうだ」
 完全に消える前、少年は言った。
「流れ星を見たとき、願い事を三回言うと、願いが叶うって言われてますよ」

 雨が降り始めるころ、組織の入り口をくぐった。幸い濡れずにすんだ。背後で閃光が一瞬だけ目をくらます。背後を振り返ると曇りの空を引き裂いて白いギザギザの光が姿を見せる。少し経って轟音が響いた。確かあれは雷だ。久しぶりに見た。あれは一体何が原因で起こっているのだろう。聞いておけばよかった。
 報告後は、第一研究室で五日ぶりに栄養剤を投与される。薬物だけで育てられてきたこの体は、普通の人間が食べるものを何も受け付けない。調合された特製の栄養剤だけが、この体を生かすことの出来る栄養源だ。
 栄養剤を投与された後はそのまま麻酔をかけられ、寝台の上に寝転んだまま眠るように意識を失う。いつものことだ。これからどんな改造をされるのかは知らないが……昔感じていた手術への恐怖感はもうない。切り刻まれ縫い合わされるのに慣れてしまったから。
 麻酔が覚めて意識が戻ると、いつもの部屋の中だった。体がちくちく痛む。戻りつつある感覚が最初に訴えてきたのが痛み。今回は腹をいじられたようだ。
 寝台に寝転んだまま天井を眺める。飽きるほど眺めた、鉄の天井。天井近くの壁に換気扇が取り付けられていて時折回る。そのほかは、何もない。
 目を閉じる。闇の中に、あの夜空が浮かび上がる。月。雲。星。
 夜空を横切る星。流れ星。星が流れたときに願い事を三回言うと叶う。あれはそう言っていた。願いが叶うのが本当だとしたら、次に星が流れたときに備えて何を願うか考えておこう。
 そうだな、これがいい。

 太陽が見たい。