対照的



 つ、強い……!

 ざっくりと顔の左側が縦に深く切られ、派手に血が飛び散る。ナイフが、移植されたばかりの左目を割り、血液が流れ落ちて左の視界をふさぐ。思わず左手を顔にあててしまった。目の前にいる相手は、顔色一つ、眉根一つ、全く変えることなく、次の一撃を見舞ってきた。容赦のないナイフの攻撃。赤みを帯びた鋭い銀の閃光。片目が見えない以上、受け流すのがやっとだった。
「そこまで!」
 命令が、飛んだ。相手の攻撃はピタリとやんだ。心底ホッとした。だが、結果次第ではその後――

 どうやら、まだ自分は続投のようだ。顔の傷は残ったが、眼球は新しいものを埋め込まれた。顕微鏡と望遠鏡を合わせた性能を持ち夜間でもハッキリものが見える、組織が開発したばかりの眼球。最初は遠近感がおかしかったのでしょっちゅう壁にぶつかったり階段を転げ落ちたりもした。が、徐々に慣れてきた。
 後日、最後に行われた《試合》で顔を切り裂いてきたあの実験台と、他二名も加え、組織直属の暗殺者として、最先端の技術を投与された生物兵器として、正式に「登録」された。裏切りを防ぐために、二人一組の行動をとることを命じられた。自分にあてがわれたのは、あの嫌な実験台でもなく、髪を短く刈りあげたもう一人の実験台でもなく、髪を背まで伸ばした実験台だった。
 やたらとよく喋り、よく笑っていたがその笑いは明らかに偽物だった。作り笑いと言うやつだ。その実験台は、研究者の一人によく似ていた。だがそれを指摘すると、相手は途端に激怒した。明らかに、嫌がっている。どうやら、それについては触れてほしくないらしい。
 後日、その相方の実験台は、手術室に運び込まれた。どうやらあの嫌な実験台にあれこれ聞き込みをして、攻撃されたらしい。眼球の性能を駆使して傷を見た限りでは、《命令》の後でやられたに違いない。《命令》以外で刃物を持つことは、禁じられているから。派手に体が切り裂かれ、半殺し状態。筋肉や骨を改造され常人では決して出し得ぬ身体能力を持つ相方をここまで……。あの嫌な実験台は、あの《試合》で戦った時以上の戦闘能力を持っているということか。
 だからこそ、遺伝子までも改造されたと言うのか。

 その眼球の性能を生かして、徹底的にたたき込まれてきた狙撃を役立てるのに、時間はかからなかった。元々目がよいのと、体が大きいので侵入には向かないせいもある。狙撃の目的はターゲットの射殺と、侵入して行動する相方を見張り、裏切りと思われる行動をとった場合は即座に射殺することにある。もうひと組も同じだろう。あの刈り上げの狙撃者は聴力を強化されていると聞く。普段は普通の人並みにしか聞こえないが、仕込まれたスイッチをひと押しすれば、とんでもない距離の、鳥の羽ばたき音も聞こえるらしい。それだけの聴力があるなら、あの嫌な実験台の独り言も全部聞こえることだろう。目がいいのと耳がいいのと、どちらが得だろうか。

「やっぱりあいつは、自分のことを詳しく聞かれるのを嫌がってる。あんなに激しく攻撃してくるんだからな」
「……お前が聞きすぎただけだろう。手術室から出たばかりなんだ、その口を少しは閉じろ」
 無機質な通路を歩いて部屋に戻る途中。手術が終わって一週間、その超人的な回復力でもう傷の八割がふさがったシュウは、あいかわらず長い髪を背中でゆらしながら、口を閉じること無く話を続けていた。
「退院したてとは思えん。お前の回復力は異常過ぎるな……」
 顔の左側の大きな傷に手を当て、ブラッドはつぶやいた。《試合》でケイに切り裂かれた顔、傷は残ったままだ。色黒の肌に異様に赤黒い傷が残り、鏡で見るたびかなり不気味だと自分でも思っている。
「だからこそ寝台に長く縛りつけられなくてもいいのさ、得だろ」
 シュウはけらけら笑う。だがその笑いは不自然すぎる。当人としては笑う練習をしているつもりらしい。一体何のためにそんなバカげたことをしているのか、ブラッドは毎度理解に苦しむ。が、さきほどのシュウの言葉にはうなずく。手術や改造の後は必ず、寝台に枷で縛りつけられるのだから。
「ところでさっきの話なんだけど」
「うん」
「リーパーにもちょいと探りを入れてみたんだけど、あいつはケイのことをホントウに話したがらない。というか、細かいことは知らないようだ。まあそれは僕らも一緒だろうな、君のことはあまり知らないんだから」
「……」
「僕がなぜ人の秘密やなんかを嗅ぎだそうとするか、知りたい?」
「どうでもいい、そんなことは……」
「ああそう」
 気を悪くした様子も見せず(見せないように表情を作っているのだろうが)、シュウは先に歩いて行った。
(わけのわからん奴だ)
 シュウと組まされて、連日おしゃべりにうんざりしている。が、同じ潜入型のケイと組まされるよりは……ずっとましだろう。あれは、この四人の暗殺者の中では、研究員たちに目をつけられている厄介な存在。最も反抗的な性格で、しかも遺伝子改造の結果それがますます増長しているらしい。あまりにも「反抗的」ならば、ホルマリン漬けにされるか、もっと派手な改造を施されることだろう。ケイもそれを心得ているにちがいない。それに、ケイの道づれでホルマリン漬けにされるくらいなら、シュウといたほうがいいだろう。口は軽いが、それなりに節度は心得ているようだから。

 食事代わりの栄養剤を投与された後、部屋に戻される。寝台が二つと天井の明りと換気扇だけの、殺風景な部屋。先に戻ってきたシュウは寝台の一つに寝転がってもう眠っている。ブラッドはもう一つの寝台に寝転んで天井の明りを見上げた。明るい白い光だが、少しずつ暗くなってくる。完全に暗くなってしまえば、もう睡眠時間だ。早く、寝てしまおう。
 部屋が完全に闇に閉ざされる。ブラッドは目を閉じた。意識はあっというまに闇の奥へ沈み、夢の世界へ旅立った。

 夜風が冷たい。空が雲に覆われている。あとどのくらいで、あの白くて冷たいものが空から降ってくるのだろう。触ると溶けてしまう、あの不思議な形の白いものはいったい何だろうかと、ブラッドはこの季節がくるたびに思う。
 シュウは《命令》をこなし、戻ってきた。さっさと組織へ引き上げねば。闇に閉ざされた路地裏を、足音もなく駆けていくと、空から小さな粉雪が降り始めた。ふと、ブラッドは立ち止まって、おちてくる雪を見つめる。シュウも立ち止まり、振りかえった。
「一体何を見てるんだよ」
 そして、雪に気がつく。
「この冷たいものがそんなに珍しい? この冷たい風の吹く夜にはよく降ってくるじゃないか」
「……」
 掌に落ちてきた雪。眼球の性能を駆使して念入りに見つめると、六角形の集合体だとわかる。その六角形も、同じ形ではなかった。不思議だ。雪は手の上で溶けてしまった。
「珍しくもなんともないのに」
 シュウは肩をすくめて、先に歩きだした。まったくもって、ブラッドとは対照的な実験台だ。人の秘密は知りたがる癖に、自然現象については無関心だ。ブラッドはもうしばらく雪を見つめていたが、相方の後を追った。

 誰もいなくなった路地裏、雪は静かに降り積もっていく。