違ってる
夢魔の世界。
今日も平和な一日。ブラックキャットは、後で主に夢を食べさせてもらおうと思いながら、眠っている。夢魔は眠るが夢を見ない。ただ眠るだけだ。
眠りが覚めると、黒猫は起き上がって大きく背伸びをする。そして空間を渡って、主の元へ飛んでいく。
主は眠っていた。ブラックキャットは部屋の中を横切り、ベッドに前足を載せて、主の顔を覗き込む。啓二はぐうぐう眠っている。ブラックキャットは目を光らせ、主の夢を覗く。
(ダメダ……)
啓二の夢は、あまり美味しそうに見えない。延々と終わらぬゼミの宿題に囲まれている啓二。見ていると哀れだ。人間はなぜこんな嫌な夢も見てしまうのだろうか。まあ、夢を見ることのできる存在だからこそ、夢を食べる夢魔には、美味い夢とまずい夢をえり分ける能力を持つ彼らの協力が必要不可欠なのだが。
ブラックキャットは主を起こすことにした。前足で啓二の体を数回ゆすり、起きないとわかると、今度は顔をそのざらついた舌でなめる。それでも起きないと、最後にはベッドの上に乗って、啓二の体に乗る。息苦しさで啓二は目を覚まし、目の前に現れる金色の二つの光に驚くと言うわけ。
「わっ、び、びっくりした……!」
ベッドの上で大きな黒猫の両眼に驚かされ腰を抜かした啓二。ブラックキャットは喉をゴロゴロ鳴らして、言った。
(ユメ、タベサセテ)
この夢魔は主の都合など全く考えずにやってくる。啓二は枕もとの時計を見る。夜中の一時。こんな時間に起こされてしまうとは。しかし、宿題の夢から覚めることが出来たのは嬉しい限りだ。
「いいよ」
喉をゴロゴロ鳴らしながら顔をこすりつけてくるブラックキャット。その大きな頭をなでてやってから啓二は服を着替え、あくびを一つしてから靴をとってくる。そして夢魔の背中にまたがった。夢魔は壁をすり抜け、外へ出る。
「うわあ」
一気に、冷たい夜風が顔に吹き付ける。啓二は冷たい風で一気に眠気が飛んだ。空は晴れ渡り、昼間の雨が嘘のようだ。大きな満月がきれいな光を投げかけている。地上は、たまに道路を車が走り抜ける以外、動くものは見えない。街灯の光やまれに見える建物の光はとてもきれいだ。
啓二は手を町の上にかざす。すると、町の様々な場所から色とりどりの光が集まってきて、静かに啓二の手の中におさまる。夢の光だ。夢の光は彼の手の中で大きな球体に代わる。虹色の球体は美しい光を放ち、ブラックキャットはしたなめずりした。
「ほら、お食べ」
啓二の差し出した夢を、ブラックキャットは一口で飲みこんだ。ブラックキャットの体からは、悪夢の黒い霧が排泄されてくる。啓二はそれを拾い集める。黒い霧の塊は白い球体に変わる。夢魔の食べ残しである悪夢を無害な夢に変えたものだ。啓二はその白い球体を町に向かって投げおろす。白い球体は落下の途中で無数の光となり、町に降り注いだ。この作業をしなければ、人間は悪夢を見ることになってしまうのだ。
食べ終わった後は夜の散歩だ。しばらく町の上空を飛びまわり、やがて高いビルの屋上におりる。ブラックキャットは毛づくろいをはじめ、啓二はビルの屋上の床に座り、町を眺める。
「気持ちいい風だね」
(ウン)
毛づくろいしているブラックキャットが適当に答えているのは明らかだが、啓二は何も言わなかった。
綺麗な満月。星空にはいくつもの星が瞬いている。雲ひとつない綺麗な夜空だ。これを見ていると、眠っている間に見ていた宿題の悪夢などすぐ忘れてしまいそうだ。
足元に広がるネオンの海。
「ねえブラックキャット」
啓二は言った。
(ナアニ)
「この世界は、綺麗だと思う?」
(キレイ……? ウウン。キタナイネ)
夢魔のストレートな言葉に気を悪くした様子を見せず、啓二は顔を夢魔に向け、問うた。
「どうしてそう思う?」
(キタナイヒカリ。アレ、タイヨウヤツキノヒカリジャアナイモン。アンナケバケバシイイロ、ドウシテキレイナンテオモエルノカ、ボクニハワカンナイヨ、けいじ)
「人工の光だからね。派手な方が目につきやすいってのもあるんじゃないかな。色とりどりで綺麗だと思うんだけどな。でも、夢魔と人間じゃ美意識に違いがあるのかもしれないな」
(ダロウネ)
ブラックキャットは、また毛づくろいに戻った。
気持ちいい夜風が冷たいものに変わる。体が冷えてきたようだ。啓二は立ち上がり、ブラックキャットに言った。
「さ、そろそろ帰ろう」
夢魔は素直に従い、啓二を背中に乗せて飛び上がった。
啓二はベッドにもぐりこむとすぐに寝てしまった。ブラックキャットは主のベッドの隅に陣取り、そのまま眠りに落ちた。夢を食べさせてもらった後はいつも啓二の部屋に泊まっていくのが習慣であった。
朝日が昇るころ、ブラックキャットは目を覚ます。太陽の光に弱い夢魔は、日が昇る前に退散せねばならない。啓二がまだ寝ているのを見て、夢を覗いてみる。今度は何の夢も見ていない。
(ツマンナイ)
ブラックキャットは空間を渡って、夢魔の世界へと戻って行った。それから一時間ほどして、ベッドの時計のアラームが六時半を告げ、カーテンの隙間から光が差し込んできた。
夢魔の世界は、とてもカラフル。蛍光色の地面や、赤い色の砂の川など、見つめているだけで目の痛くなりそうな景色が広がっている。それでも、ブラックキャットはこの景色を綺麗だと思い、主の住む世界のネオンの光は汚い光だと思っている。最初から存在している手付かずの自然の光ではなく、人間の手によって作り出された、気味の悪い光なのだ。あんなものを綺麗だと言うなんて、啓二の考えることはさっぱり分からない。やはり人間と夢魔の美的感覚は全く異なるのだ。
ブラックキャットは、考えるのをやめた。もうひと眠りしたくなってきたのだ。
くわあ、と大あくびをひとつして、群れの中に戻り、眠りについた。
紫の空に、緑の太陽が昇ってきた。