妹との思い出
「ん、どうした? 浮かない顔してんぜ、お前」
ハト肉の串焼きから口を離して、ソウシュはウルティーの顔を見た。ウルティーは暗い顔で木のコップから口を離す。
「いや、ちょっと……」
騒がしい酒場の中、似合わぬ顔のままウルティーはため息をついた。ソウシュは串焼きを皿に載せてキメオルに残りをやってから、ぽつりと言った。
「……妹のことか?」
およそ十五年ぶりに遇った、妹のネイス。ウルティーが覚えている限りでは、はにかみ屋の女の子だった。だが今では違う。
「わたしには兄などおりませんわ。あなたみたいな、そんな忌まわしい色をした髪のひとは、一族には一人もいません」
妹の口からその言葉を聞いたときの、ウルティーの衝撃は半端なものではなかった。心臓が凍りついたほどのショックだった。ネイスは優秀な魔術師として成長する一方、魔術師の家系の者としても育っていたのだった。ウルティーの事は覚えていたようだが、兄としてではなく一族の出来損ないとしてしか見ていなかった。
「忘れているものとばかり思ってたけど、覚えていたんだよな」
ウルティーは苦笑いした。
「まあ、ぶっちゃけた話、お前の場合は忘れられてるほうが幸せだわな。魔術師の家系と縁を切るチャンスなんだからよ」
ソウシュはジョッキのエール酒をぐいと一息に飲み干した。ふうと息を吐き、空っぽのジョッキをテーブルに置く。ウルティーは相手の顔を見たが、口を開く前に止まってしまった。そうだ。ハーフであるが故に純血主義者のエルフたちから嫌われ、よそ者やいざこざを嫌う竜族からはあまり相手にされず、今に至るまで己がエルフなのかドラゴンなのか決着を付けられないでいる。まだ自分のほうが、人間に属している自覚があるだけマシではないか。
「うん、そうだね」
ウルティーは目の前の焼肉を片付けることにした。甘辛いタレのかかった熱い肉は少し焼きすぎているものの、なかなか美味かった。
「おっちゃーん、もう一杯エール! 二つな!」
ソウシュはジョッキをかかげて、小太りの酒場の主に声をかけた。
新しいエール酒いりジョッキが運ばれてきた。
「とか何とか言ってやがるけどよ、お前が自分から縁を断とうとしたことなんて、いっちどもねえだろが。その髪を伸ばしてるのがその証拠だろ! いい加減切るなり染めるなりしろよ。染色用の薬草なら知ってっからさ」
「そうしたいんだけど」
「したいんだけど、じゃねえだろお前は。そんなだからいつまでも踏ん切りつけずに――」
またいつもの不毛な言い合いが始まった。
宿へ戻ってきた。夕暮れを過ぎ、そろそろ宿場はしまろうとしている。二人部屋に入った後、ギシギシと少し音を立てるぼろいベッドに座る。
「で、お前決心はついたのか?」
壁にもたれかかって、ソウシュは問うた。キメオルはぼろぼろの枕の上に乗り、くわあと欠伸した。
「え、決心て」
「お前の妹が、俺らを旅の護衛として雇うっつー話だよ。明日返事すんだろ?」
「あ、ああその話ね」
ウルティーは剣の鞘を外し、膝に置いた。そしてフウと息をはいた。
「……やっぱり引き受けることにしたよ」
「ほー」
「別に旧交を温めたいわけじゃない。そんなものはもう無いと切り捨てたよ。僕自身、再会するまでほとんど忘れていたくらいだ、懐かしいとは思うが仲良くしたいとは思っていない」
「……」
「魔術師の家系の血は引いているが、僕はもうあの家系から追い出され、亡き者として扱われた。ネイスがいい例じゃないか、僕を覚えていたのにあんな邪険な言い方するんだからな。もう兄妹じゃない、ただの主人と傭兵だよ」
大きな屋敷の、日の当たらぬ部屋にいた頃を思い出す。一つ下のまばゆい金髪の妹は、時どき部屋にやってきては、お菓子を置いていったものだ。話はあまりしなかったけれど、ウルティーには彼女が自分の妹であることを直感的に理解していた。屋敷から遠く離れた深い森の奥に捨てられたとき、泣きながら妹の名前を呼んだものだ。餓死寸前のところをソウシュに拾われ、育てられていくうち、彼女の事は少しずつ記憶の片隅に追いやられていった。賞金稼ぎ兼傭兵としての生活は、その日その日を生きるのに精一杯だったから。武術を仕込むときのソウシュは容赦なく攻撃してくるので、ウルティーは毎日傷が絶えなかった。指名手配者たちの何人かは手に負えぬバーサーカーで、一撃を喰らって瀕死の重傷を負ったこともある。そんな日々を送り、賞金稼ぎとしてのウルティーの名前もそこそこ知られるようになったころ、妹とこの町で再会した。記憶の片隅に残っていた妹を思い出し、再会が嬉しかったのもつかの間だった。
優秀な術士として育った彼女は、立派な《魔術師の家系の一員》となっていた。
「だから、引き受けることにしたんだ」
ソウシュは相棒の返答を黙って聞いていた。言葉が終わると、目を閉じて息をはいた。
「そうか」
そして、壁から身を離す。
「そうと決まれば、今日はもう寝るぞ」
「うん」
ろうそくの明かりは消えた。ベッドに寝転ばず、座って布団だけを体にかけて武器を手に持った。ソウシュはすぐ寝てしまったが、ウルティーはしばらく起きていた。
(あの頃とは、もう違うんだよな。十年以上も経っているから、当たり前か)
ドアを開け、薄暗い部屋の中に緊張しながら入ってきたネイス。最初はウルティーがいるのに驚いたが、その後も時どき部屋に訪れては、お菓子を置いていった。たとえ出会っても口を利いてはならないと親に言われていたのだろう。名前を聞かれて、なぜここにいるのか、くらいしか聞かれた覚えはない。だが、それでもうれしかったものだ。来てくれるのを待ったものだ。お菓子は美味しかったがそれ以上に、顔を見るのが楽しみだった。今でもあの幼い顔はよく覚えている。その面影は今もある。だが、ネイスはあのときの幼い少女ではない。
(変わってしまったんだなあ……)
フクロウが鳴くころ、ウルティーもやっと眠りに落ちた。
宿を引き払って少し歩くと、町の一角に、もう一軒の宿が建っている。二人が泊まった宿よりも上等の宿だ。宿泊に金貨が必要なこの宿、二人が到着して扉をくぐると、綺麗に掃除された宿内のカウンターにネイスがいてチェックアウトしているところだった。
「あら、もっと遅く来てくださればいいのに」
「護衛が雇い人より遅くてどうするよ。守るのが仕事なんだからよ」
「……」
「あら、ということは昨日のお返事は――」
「アルシェリエル(エルフ語で承諾)」
「うん、引き受けるよ」
ウルティーはネイスのアクアマリン色の瞳を見た。自分と同じ色の瞳。透けるような水色。だが、ウルティーはその目を長く見つめる事は出来なかった。
「さ、出発しましょう」
ネイスは元気よく宿を出て行った。その後を見送りながら、
「いいのか、ホントに」
ソウシュはウルティーに小さく問うた。が、ウルティーは答えた。
「いいんだよ、これで」
その顔に浮かんだ微笑は寂しそうなものだった。
「……でも、どうせなら、きれいさっぱり忘れ去られているほうが、よかったかな?」
「たぶんな」
隣国への旅はこれから始まる……。