新たな黒真珠



 焼ける木造の神殿。
 火のはぜる音、息をすると気管を焼きそうなほどの熱い風、火の中から聞こえるうめき声、生き物の焼けていく独特の悪臭。
 まだ火の回っていない、教会の最奥部。
 白銀の髪を持つ魔族クロードは、結界や無数の細い鎖で守られた小さな宝箱を目の前にし、立っている。彼の足もとには、武器と鎧を装備した番人らしき男たちが、一人残らず息の根を止められて転がっている。
 クロードは剣を振りあげ、結界に叩きつける。結界はバチンと派手な破裂音をたてて、あっけなく消滅してしまった。
「簡略化された結界で、私を阻めると思うな」
 鎖に手を伸ばす前に、周りを見る。輪の一つひとつが彼の指ほどの太さしかない鎖は天井と壁から伸びて宝箱にからまっている。簡単には取れないようになっているようだ。だがよくよく壁と天井を観察すると、鎖をつなぎとめるフックの下に穴があり、そこから細い棒のようなものがつきだしている。
「うかつに触ると、何か飛んでくる仕掛けなのだろう……」
 クロードはつぶやきながら剣を宝箱に伸ばし、軽く突く。宝箱にからめられた鎖が二本動く。それと同時に、その鎖をつなぐ壁から、何かが風を切って飛んできた。クロードはとっさに剣でそれを防ぐ。剣に当たったのは、小さな矢だった。床に落ちたそれは、ただの矢ではなく、鼻をつく嫌な臭いを放っている。
「毒か……」
 クロードはいったん呼吸を整え、静かに剣を床と水平に構える。剣の切っ先は宝箱の鍵穴に向けられている。しばし彼はじっと宝箱を睨みつける。空気がしばし凍る。
「はっ!」
 一声と同時に、剣が突きだされ、宝箱のふたが勢いよく開いた。宝箱のふたを絡め取っている細い鎖は、あっけなく砕け散った。同時に壁や天井からいくつもの矢が発射され、一斉にクロードを狙う。だが、彼は大きくバック転で後退、矢は全て床に突き刺さっただけとなった。
 矢が全て標的を外れて虚しく床に突き刺さった後、クロードは再び宝箱に近づき、中に収められている、己のこぶしほどもある大きな黒真珠を手に取った。
 彼がそれを隠しへしまい込んだ時、背後からどすどすと乱暴な足音が聞こえた。足音の主は、振り向くまでもない。
「けっ、全部くたばりやがって!」
 獣人を思わせる褐色の肌に、最低限の衣類、肩まで伸びたぼさぼさの黒髪。そして片手に持っているのは、血にまみれた、己の等身ほどもある両手剣。
「まだ足りやしねえ。暴れたりねえぞ、クロード。俺様をこんなちっぽけな神殿なんぞに連れてきやがって、期待して損しちまったじゃねえか!」
 魔族いち血の気が多く、粗暴で、殺戮を何よりの楽しみとするダイアストは、不平不満を遠慮なくクロードの背中にぶつける。
「それなりの規模だと思ったが、貴様にはまだ足らんか」
 振り返りもせず、クロードは返事をよこす。ダイアストは、当たり前だと言わんばかりに両手剣を振り、血糊を落とす。
「足りるものか、ちっとも足りねえよ! あの時みてえにどでかい戦場でもない限りは、俺様は満たされやしねえよ。もっと赤い血をぶちまけてやりてえんだよ!」
 血に飢えた獣は吼える。だがクロードは振り返らないままだ。
「そろそろこの辺りにも火が回る。巻き込まれぬうちに戻るぞ」
「なんだとてめえ! まだ俺様は足りねえって言ってるだろうが! それとも火が怖くて逃げかえりたいってえのか? あの戦場で俺に負けず劣らず返り血を浴びたお前が、火を怖がる腰抜けになっちまったとはなあ! 野の獣以下かあ?!」
 誰彼かまわず喧嘩を吹っ掛ける短気さがダイアストを刺激し、クロードに対し、無謀といえる挑発をさせている。だがクロードは眉根一つ動かさない。彼の罵詈雑言や挑発には、完全に慣れっこになっているからだ。
「瓦礫の下敷きになりたくば、そこにとどまれ。私は戻る」
 転送術をとなえてその場から消えたクロード。ダイアストは忌々しげにその場を睨みつけた。
「あいつがあの戦場で倒れてから、ずいぶんなよっちくなりやがってよお。腹の虫がおさまりゃしねえ! ちえっ、この神殿の周りにも護衛はまだまだいるはずだ。あの時のように、好きなだけ血を浴びさせろってんだ!」
 だが思い出す。クロードに命じられたダイアストは、この神殿を守る兵士や神官たちを、一人残らず探しだして屠り、神殿や辺り一帯を血で赤く染め上げたのだ。ここにはもう誰もいないのだ。
「退屈にも程があるぜ。俺様にふさわしいのはこんなちっぽけな神殿じゃねえ、でっかい戦場だ」
 ダイアストは嫌々ながら、転送術でその場を後にした。

 焼け落ちた神殿。
「これはひどい……!」
 火消しおよび生存者の確認のために、町に雇われた戦士たちは、火災現場に着くなり、その声をあげた。木造の神殿は完全に焼け落ち、辺り一帯は死者であふれかえり、血の池が川を作って流れていた。これほどの惨劇、誰も見たことが無い。
「生存者を探せ!」
「消火を!」
 生存者などいるはずがない。皆心の中で思ったが、役人の指示通り、半分は火消しに、半分は生存者探しに回った。
 あと半刻ほど早く彼らが到着していたら、放火と殺人の犯人をこの目で見ることになったろう。だが次には、己や仲間が次々と、褐色の魔族によって屠られていく地獄を見ることにもなったろう。
 消火活動が終わり、生存者ゼロの報告が入った。
 神殿最奥部に隠されていた黒真珠は、持ち去られた後だった。それを知った町の上層部はそろって顔を青くした。
「あれが……あの一族から預かっていた黒真珠が、盗まれた! 魔族たちを『封ずる』のに使っていたあの黒真珠が、盗まれた……!」