今も旅の途中



 静かな森の奥。
 突如、ドカーンと激しい爆音が響き渡り、続いて何か巨大なものが木々を次々とへし折りながら走り始めた。
 体長が五メートルはある、巨大なミミズだった。
「だから止めろって言ったじゃねーかああ!」
「だって知らなかったんだもん!」
 ミミズは、前方を走っている二人組めがけて、怒りの咆哮をあげながら、狂ったように突き進んでくる。獲物の体温を察知して、目が見えなくとも、追ってくる事が出来るのだ。
「ただのミミズじゃねえって言っただろーが!」
 ヴィールスは、脇に抱えたエンティに、必死で走りながらも文句を言った。が、少女は帽子を掴んだまま、
「フツーの大きさのミミズだと思ってたんだから!」
 と言い訳をする。ミミズは二人のやりとりに気を使うことなく怒り狂って追いかけてきた。
 追いかけっこはしばらく続き、ヴィールスはとうとう、逃げ延びたのだった。

 森の外れ。
「くったびれた……」
 冷たい川の水を飲んで渇きを癒したヴィールスは、汗だくになって土手に寝転んだ。エンティは帽子の土ぼこりを叩き落として、被りなおした。
 ことのおこりは、エンティがミミズの大穴に小石を投げ込んでみたことが原因だった。足で踏めるようなミミズなんか怖くないと思ったからだ。ヴィールスは触るなと彼女に注意したのだが、彼の見ていないところで、彼女は石を投げ込んでしまい、石に当たったミミズは激怒して巣穴を飛び出して彼らを追いかけてきたのだった。
「すごいミミズだったねー」
「だから、言ったろーが、お前がっ、俺のっ、言うこときかねーからこんなことに……」
「だって、足で踏める小さいのだと思ったんだもん」
「そ、そんなチビが、いるはず、ないだろ! いるのは、人間の住む場所だけだって……ハア」
 ヴィールスは大きくため息をついた。
 エンティは法衣のほこりをはたき落とし、水を飲んだ。

 日が暮れてくると、そろそろ火が欲しくなる。ヴィールスは、木々の根元から枯れ枝を何本か折ってきて、さらにそれを自慢の怪力で半分の大きさにする。火口箱を取り出し、石を打ち合わせて枯れ枝と枯葉に火をつける。そしてエンティに時どき薪をくべてもらっている間、彼は側の川で魚を取った。
「おなかすいたー。まだ焼けないの」
「もうちっとだよ、大人しく待ってろよ」
 エンティは焚き火の周りに並べられた串を見ながら、早く焼けないかと待っている。欠伸をしながら、ヴィールスは焼き魚の様子を見る。他の串にはトカゲやヘビも刺さっているが、彼女はそれに見向きもしない。
「うん、もう焼けたな」
「やったー! いただきまーす!」
「ワタんとこには寄生虫とかいるから、そこだけはよけて食えよ」
「うん。あつつつ」
 エンティは焼き魚を頬張った。ヴィールスは魚だけでなくトカゲやヘビの焼いたのも食べる。獣人は魚よりも小動物のほうを好む傾向にある。エンティとしてはそんなものを食べる気にもなれないのだが……。なるべく見ないで自分の食事を終えた。
 食後、エンティはさっさと薄手のマントにくるまって寝てしまった。ヴィールスは火の番をしなければならないので起きていなければならない。
「くっそー。今日は散々な目にあったぜ。回り道ばっかさせられて、めあての町に着くのはいつなんだよ、ホントに」
 パチパチ爆ぜる焚き火に向かって、彼はため息をついた。
 エンティと出会ったのは二週間前。魔族たちに襲撃された町外れの神殿の焼け跡で、地下の倉庫に隠れて震えていたのを見つけたのだ。司祭だった祖父は魔族たちの刃にかかって死亡し、他の神官たちも同じ運命をたどっていた。僧侶としての修行のために祖父の元にいたエンティだったが、祖父が死んでしまったので、彼女の両親の住む町へ戻り彼女を保護してもらわねばならない。その護衛役をヴィールスが自ら買って出たのだったが……。
 エンティが生まれて四歳ごろまで育ったという町は、道中立ち寄った町で聞いたところ、まだまだ東にあるという。徒歩では一ヶ月はかかるとも二ヶ月かかるとも言われた。つまりとても遠いところにあるのはわかった。
(おとなしくしてくれてりゃ、こっちも苦労はしねえんだけどなあ。何かやらかすから困る)
 好奇心にかられて何だかんだと彼の手に負えないこともやらかしてしまうエンティには、毎度困らされている。彼が子供好きでなければとっくに見捨てているだろう。
(手持ちの金はそんなにたくさんないな。贅沢しなけりゃ半月はもつかな。途中で盗賊のアジトとかあれば、資金調達にもなるんだけどな……)
 たまに彼は町の保安所にて盗賊退治の仕事を請け負っている。重装備の衛兵たちでは行きづらいところに根城を作る盗賊たちやバーサーカーには高額の賞金をかけられているからだ。
 だがこの辺りには魔物しかいないようだった。
「あーあ」
 ヴィールスは火の中に細い枯れ枝を放り込んだ。
「目的地までまだまだ、か」

 小さな町にたどりつけたときはさすがのヴィールスも旅の疲れがたまっていた。旅慣れないエンティは彼に背負ってもらって、うとうとしている。昼を過ぎた頃に到着したため、町の小さな酒場からはハトの焼けるにおいと安物のぶどう酒のにおいが混じって、風に乗って漂ってきた。
「あっ、ごはん!」
 途端にエンティが目をパッチリと開けた。が、先にヴィールスはオンボロ宿のドアを開けていた。先に空き部屋を一つ頼み、洗濯と風呂に使う湯を追加で頼む。ごはんごはんと騒ぐエンティをなだめるために、宿帳にヘタクソな字で二人分の名前を書いた後、ヴィールスは酒場へ向かった。その背中に宿の主人の「大変ですねえ」の言葉を受けて。
 酒場で飲み食いしてから宿に戻ってくると、エンティはさっそく風呂に入った。大きな桶に人肌ほどの温度の湯を満たしたものだが、今の彼女にとってはどうでもいい。体のほこりや汗を流し、汚れを落とす。風呂から上がったらツギハギだらけの宿の寝間着を着て、一つしかないオンボロのベッドにもぐりこんで、夕食まで昼寝する。彼女が寝ている間にヴィールスも湯をあびてさっぱりした後、代わりの服を着る。それから自分と彼女の服を洗う。湯桶の湯はうっすら茶色く濁った。
 宿のおかみに頼んで庭に洗濯物を干させてもらった後、ヴィールスは部屋に戻った。久しぶりに食べるハト肉の串焼きとビールのおかげで腹も膨れた。このまま眠りたいところだが、エンティが寝ているのでそうは行かない。
「あーあ、眠い……」
 彼は大あくびした。
 夕飯のために少し早めにエンティを起こして、酒場へ向かう。日が暮れた後だと地元の連中が押しかけてくるからだ。エンティは少し眠そうな顔をしたまま鶏肉やスープを口にし、ヴィールスは彼女が寝てしまわないように気をつけながら串焼きとビールを口にする。これが一人だったら周りの連中巻き込んで飲み比べもしたいものだが、子供連れではそうはいかない。食べるだけ食べたらさっさと酒場を出て宿へ戻らねば。
 部屋に戻ってすぐ、エンティはまた寝間着に着替えてベッドに潜り込んだ。
「おやしゅみ〜」
 すぐ寝息を立て始めた。ヴィールスも眠かったがエンティにベッドを占領されてとても眠れない。仕方なく荷物の中から薄手のマントを取り出し、ベッドの上に座って眠ることにした。ベッドの上に座っていれば柔らかいし、座ってマントをかけた状態で寝ていれば物取りが忍び込んでもすぐ戦える。
「あーあ、もう寝よう」
 ランプの火を消し、ヴィールスも眠りについた。
 次にこの柔らかな布団で眠れるのはいつなのかわからないのだから、ぐっすりと眠っておこう。