赤ちゃん再び
「ただいまあ」
夕方、ヨランダが、何やら色々荷物を抱えて帰ってきた。
「また、友達に頼まれちゃったの。……今日一日、赤ちゃん預かってくれって」
『はあ?!!』
男二人の目が、点になった。
ヨランダの手の中には、すやすや眠っている赤ん坊が……。
「くそー、また赤んぼうの面倒を見なきゃならんのか……」
スペーサーは、ため息をついた。彼の両腕の中で、赤ん坊は空腹で泣いている。
「それ以前に何でお前が面倒みてんだよ」
アーネストが彼の肩越しに赤ん坊を覗き込んだ。
「手が空いてるなら手伝え、だと」
「なんで俺に頼まないんだよ」
「君じゃ荒っぽすぎる。前回と同じことを繰り返すつもりか? 全く」
スペーサーはため息をもう一つ。ヨランダはミルクを作るために台所に行っていたが、やがて手に哺乳瓶をもって戻ってきた。
「おまたせ〜、ミルクできたわよ〜」
スペーサーから赤ん坊を受け取る。今度は、首がすわってきたのか、赤ん坊はぐんにゃりとのけぞることもなかった。ミルクを飲み終えると、赤ん坊は泣きやんだ。
ヨランダは哺乳瓶を持つ代わり、スペーサーにすばやく赤ん坊を抱かせた。
「おい、人にまた押し付けるんじゃない! 自分で面倒みんか!」
「哺乳瓶を洗うのよ、一分かそこらあれば充分でしょ。それにあなた、赤ちゃんのお世話上手じゃないの」
ヨランダがさっさと台所へ消えてしまうと、またアーネストが近寄ってきて、
「お前マジでどこで覚えたんだよ、子守なんて。いいかげん教えろよ。……やっぱ隠し子とかいるんじゃねーのか?」
電光石火の平手打ちが返事としてかえってきたにすぎなかった。
一晩経過。
赤ん坊は何度も何度も眠れないとぐずり、そのたびに起こされる羽目になった。結局、
「やっぱり、ママって大変なのねえ」
ヨランダはため息をついた。昨夜から赤ん坊の面倒を見ていて、ろくに寝ていないのだ。何度も何度もあくびを繰り返している。
「やっぱり、お世話するって、大変ねえ」
「その世話に私も付き合わせたくせに……しかも君が見ていたよりも私のほうがその時間が長かったぞ」
「いいじゃないの、もう。あなた徹夜に慣れてるでしょ、ふあああ」
「不公平だぞ、こんなの」
スペーサーはあくびを噛み殺しながら、自分の食器を洗った。赤ん坊はヨランダの傍で眠っている。ミルクをたっぷりと飲み、ごきげんだ。しばらくは起きないだろう。
「やっぱ寝てるとこはかわいいんだけどなー」
アーネストはかがみこんで、眠っている赤ん坊を見下ろした。青いベビー服に、かわいらしい赤い車がぬいつけてある。このデザインからして、たぶん男の子だろう。
「泣くと、ちょっと手がかかるんだよなー」
「世話もしなかったくせによく言う奴だ」
後ろからスペーサーに耳を引っ張られる羽目になった。
「ああ、そうだ。迎えが来るまでまだ時間があるし、赤ん坊の首もすわってきたみたいだから、君も少し世話してみないか」
「え、いいのか?」
「やめなさいよ、もう! あんたみたいなガサツなやつに、すごくデリケートな赤ちゃんを任せられるわけないじゃないのよ!」
ヨランダがソファからはじかれたように立ち上がった揺れにも動じないで眠っていた赤子だが、三人の言い争いには我慢できなかったと見え、泣きだしてしまった。
ヨランダの友人が赤ん坊を迎えに来た時は、昼を過ぎていた。
「やっぱり私以上に上手ねえ、赤ちゃんの面倒みるの」
赤ん坊にミルクを飲ませているスペーサーを見て、彼女は言ったのだった。
「でしょー」
ヨランダはそれに賛同するように言ったが、スペーサーは対して非難の目を向けた。アーネストは結局赤ん坊の面倒を見させてもらえず、ふくれている。
「ずいぶん慣れてるもんねえ、見たところ。あなた子持ち?」
「まだ独身だ!」
「じゃあ知人や親戚に赤ちゃんがいたとか?」
「いない!」
「あら、でも随分赤ちゃんの扱いに慣れてるようだけど?」
「……」
ミルクを飲み終えた赤ん坊の背中を軽く叩いてげっぷさせてから、彼は赤ん坊を渡そうとした。
だが、彼の手から離されようとした途端、赤ん坊は火がついたように泣きだした。
「おい、ちょっと待ってくれ……」
スペーサーは青ざめた。赤ん坊は彼の腕の中にいると、しばらくして泣きやんだ。だが離そうとすると泣きだすのだ。これはまさか……。
「あらあら、あなたから離れたくないみたいね〜」
ヨランダの友人の言葉が、その青ざめ方をさらに悪化させてしまった。
「人見知りする坊やに懐かれちゃったのね〜。悪いけど、もう一日、面倒見てもらえないかしら。わたしも一緒にいるからあ」
「んなっ……!」
赤ん坊を抱く彼の手がわなわなと小刻みに震えた。
「それがいいんじゃねー?」
ふくれていたはずのアーネストが、にやにやしながら見つめていた。
「な、何でこんなことに……」
どうあがいても逃れられない状況。スペーサーは脱力してしまった。眠っている赤ん坊の手が、知らず知らずのうちに、スペーサーの服をそっと掴んでいた。