酒場の話
ヨランダがギルドの地下酒場に顔を出すのはいつものことである。先に飲んでいた数名のシーフたちは、彼女を見ると、こっち来いと手招きする。
「よー、今日の調子はどうだ?」
「まあまあね」
シーフ独特の仕草で自分が偽者ではないという事を示しながら、ヨランダはテーブルの一つへ歩み寄る。いつになく真剣な顔で。
「ところで、ちょっと重要な話があるの。聞きたい?」
「うん」
シーフたちは身を乗り出す。ヨランダは静かに言った。
「どうもスペーサーがこのギルドの内部を探っているらしいのよ」
「何だって?!」
シーフたちは一斉に飛び上がった。
「あの魔法使いがここを探っているだって? 一体どうやって?!」
「分からないの。けど、ちょっと探りを入れてみたら、どうもここの中を調べているらしいのよ。確かな話よ、これ。ぶつぶつ独り言を言っていたのを聞いたの。しかもこのギルドの内部を随分と知っていた。アタシたちにおとらないくらいにね」
ヨランダの言葉に、シーフたちは青ざめる。
「おい、いいのか?」
シーフの一人が震えている。
「奴がこのギルドの場所を誰かに教えるなんて事は――」
「考えられるわね。彼、シーフが大嫌いだし……それに、あの独り言で言ってた、『いつかギルドを潰してやる』って」
妙に冷静なヨランダ。シーフたちはそれに気づいていない。
スペーサーがシーフ嫌いであることは、このギルドに属するシーフ全員がよく知っている。今はギルドマスターの命令でスペーサーの研究所に近づく事はしていないが、それでもシーフの存在自体を彼が嫌っているという事は明白である。どうやってギルドの場所を知るに至ったのかその経緯は不明だが、それでもギルドの場所を知っているという事は、いつその場所を明るみに出せる或いは潰せるという強いカードをスペーサーは握っていることになる。シーフたちにとって、彼にギルドの場所を知られるという事は、自分達の弱みを握らせたのと同じ。
「どうする、どうするんだ? アサシンをやっても全員殺されちまったんだろ?」
「かと言ってギルドの場所をバラすな何て頼みに行くわけにもいかんし……。言ったら言ったでこっちが殺されちまう……!」
ギルドマスターの送り込んだ暗殺者達を次々に手にかけた挙句、死体のいくつかを実験材料に使い、残りは全部どこかに保存したという、真偽不明の話がしばらくギルドで飛び交っていた。実際は大げさに誇張された話なのだろうが、それでも、スペーサーがシーフギルドの面々にとっては恐るべき存在であることに間違いはない。ギルドマスターと直談判したという話すらあるほどだ。
「でも、今のところは大丈夫かもしれないわ」
ヨランダが言った。震えていたシーフたちは、彼女の方を見る。
「どうしてだ? 奴にギルドの場所を知られてるんだろ」
「そうよ。一体どういう確信を持って、大丈夫なんて言ってんのさ」
ヨランダはそこで首を振る。
「確信なんか無いわよ。ただ、向こうはまだアタシたちよりも重要なことに心血注いでるのよね。新しい薬草が生える時期が近い、とかで、栽培の準備を始めてるの。しばらくは大丈夫だと思うわ。少なくとも、草を育てている間はね。魔法使いって、みんなそんな感じみたいよ。町外れの、すごく年取った呪術師のおばあさん、いるでしょ? あの人も結構な数の薬草を育ててるのよね。草のことに夢中になって、しばらくはアタシたちのことなんて眼中には無いかもよ」
聞いたシーフたちは、安堵のため息をつくと同時に別の警戒もあらわにする。
「薬草ったって、所詮は草だろ。育ち次第、こっちに目を向けるはずだ」
「けど、アタシたちが派手なことをしない限りは、何もしてこないはずよ。今までだってそうじゃない。ほっておけば何もしてこない。何かちょっかいを出せば相手の方から反撃が来る、それだけの話よ」
ヨランダは、シーフの仕草で否定の意を示す。
「ということは、しばらくはまだ大丈夫ってことか?」
「そうね」
ヨランダは意味ありげに笑う。そして、シーフたちが再度安堵の溜息を漏らしたところで、彼女はカウンターで酒を人数分注文する。そしてそのうちの一杯は酒場のマスターへのおごりであった。
「お酒おごってあげる。皆を心配させちゃったお詫び。アタシちょっと出てくるわ。実は、ギルドマスターに呼ばれていたのよね」
ヨランダはそそくさと酒場を出る。皆はその様子を奇妙に思うことなく、グラスに口をつけた。
ギルドマスターの部屋に向かっていたはずのヨランダ。だが彼女は、反対方向へ向かっている。そちらは外だ。
外に出ると、夜空に星が瞬き、月が明るく辺りを照らしている。
「これでしばらくは大丈夫、と」
彼女は呟いたが、声が全く別の人間のものだ。
空から一羽のカラスが舞い降りてきて、彼女の肩に止まる。耳元でささやくようなカラスの声に、彼女は応えた。
「しばらくは、こちらの様子を覗きには来ない。大丈夫だ」
一瞬彼女の姿がブレたかと思うと、二つに分裂した。片方はカラスを肩に乗せたまま立ち、もう片方は地面に倒れる。
片方はスペーサー、地面に倒れたもう片方はヨランダだった。
「久々に肉体操作の術を使ったが、依然力は衰えずか。内部事情を探るのも、シーフどもをからかうのも、いい暇つぶしになりそうだ」
冷たく笑うスペーサー。使い魔は賛同するように羽を羽ばたかせた。そして彼は意識を失っているヨランダを術で転送した。大掛かりな魔方陣を使わずとも、目と鼻の先ほどの近距離ならば、人一人の術力でも十分飛ばすことが出来るのだ。
ギルドに背を向け、スペーサーは帰路に着く。冷たい青白い光を放つ満月が、道行く魔法使いの姿を照らし出していた。