お休み…?



「風邪をこじらせたようですね。しばらく安静にしてください」
 医師から診断されたとき、彼は心底からホッとした。
 やっと休める……。

「なんだよ、あいつ寝込んじまったのか?」
 スペーサーの部屋のドアに下げられた二つの札を見て、アーネストは意外そうな声を上げる。札には、「立ち入り禁止」「騒音厳禁」と書かれている。
「頼まれたって、部屋に入ったりしねえよ。つーか、入れてくれねえしな」
 以前探し物をしにこの部屋に入ったアーネストは、些細なうっかりからパソコンに入っていた膨大な研究データを消してしまったことがある。それがばれた後は、スペーサーにまる一日こき使われて研究データの再入力のための手伝いをさせられた。それ以降、彼はこの部屋に立ち入り禁止となったのである。
「それはあんたが悪いんでしょ。大事なデータ消しちゃったんだから」
 ヨランダがいつのまにか彼の後ろにいる。その手には、粥の入った器を乗せたトレーを持っている。
「部屋、入れねえだろ」
「わかってる。だからここに置いておくの。食べちゃだめよ」
「俺はそこまで食い意地張ってねえ!」
 その三十分後、空になった器とトレーが、廊下に置かれていた。『塩はほんの一つまみ!』というメモまで添えられて。
「あ、バレたのね。風邪ひいて味なんかわかんないだろうと思ったけど」
 メモを読んで、トレーを取りに来たヨランダは、舌を巻いた。
「さすが、アタシより料理が上手なだけあるわあ」
 なりたくてなったんじゃない。というのが、スペーサーの本音である。

 部屋のドアにさげた二つの札の効果は……おせじにも、あるとはいえなかった。
(休みたいから静かにしろと言っているのに……)
 ふとんを引っかぶっていれば、物音の八割は防げる。だが、残りの二割は無理である。どういうわけか、いつも以上にやかましく、足音やら呼び合う声やらが聞こえてくるのである。
 枕もとの時計がカチカチと規則的に時を刻む音を聞きながら、スペーサーはため息をついた。ずっと寝ていたので眠くなく、熱で頭がぼんやりして本を読む気力もなかった。

 外から絶え間なく聞こえる騒音に我慢できなくなったスペーサーが部屋の外へ出てみると、走ってきたアーネストと鉢合わせした。双方とも床に尻餅をつく羽目になったが、体重の軽いスペーサーの方が大きなダメージを食らった。走行の運動エネルギーを真っ向から受け、なおかつ二十キロちかい体重差のある相手にぶつかられたのである。
「あいたたた……。いったい、何なんだ……」
「いてえのはこっちも同じだ!」 
 アーネストは言い返し、また走ろうとする。が、スペーサーが止めた。
「さっきからやかましいが、何があった?」
「何があったって? 大惨事だよ」
 それだけ言って、アーネストはまた走っていった。彼の姿が廊下から見えなくなるや否や、今度はヨランダが部屋から飛び出してきて、バンと自室のドアを勢いよく閉めた。
「こ、これでしばらく出られないはずよっ」
 肩で大きく息をしているヨランダは、どこか呆れたような表情を浮かべてつっ立っているスペーサーに気づく。
「ちょうどよかったわ! あいつの相手しててっ、あなたなら出来るっ!」
 有無を言わさず、彼の手を引っ張り、またドアを開けるが早いか彼を部屋に押し込め、また勢いよく閉めてしまった。
「おい、一体何のつもりで――」
 部屋に入れられた理由がわからず、スペーサーはドアを開けようとする。だが、ドアがどうしても開けられない。その上――
 カサカサ。
 熱でぼんやりした彼の頭の中に、何かが走るような音が響く。
 反射的に振り向いた。
 ほんの一瞬だけ、視界の隅を何かが横切った。それが何なのかを確認するまでもなかった。
 彼が今までに見たこともないような、体長十センチはある、ごき。
 スペーサーは反射的に身構えた。

 一時間後。
 先ほどまで騒音が響いていたというのに、今は物音の全く聞こえなくなった部屋のドアを、おそるおそる開けてみるヨランダ。どこから戻ってきたのか、アーネストも一緒に。
「やっぱり」
 部屋を覗いた二人は同時に口を開いた。
 部屋の真ん中には、奮闘の末に敗北を喫した、ごき。そして、疲れきった表情で床に座り込んでいるスペーサーがいる。
「やっぱり、ごき退治は彼に任すのが一番よねえ。ごき叩きとなると、スゴイ反射神経発揮するし」
「だな。……ってか、病人なのにあれだけ派手に暴れまわるとは思わなかったぜ」

 後日、大量に汗をかいたせいか、こじらせていた風邪は治った。が、ごき退治で散々大騒ぎし、挙句に病人に退治を押し付けたことがばれて、ヨランダとアーネストは、元気になったスペーサーから二時間にも及ぶ説教&愚痴を食らったのであった。
「だいたい二人そろって、休んでいなければならない私に害虫退治なぞ任せるほうが間違っているというんだ。そもそも病人は休まなければならないのであり、特に私自身は普段からストレスをためているわけで、いつも以上に休む必要があった。それなのに二人そろって、よくも私の貴重な休みをまるごと潰してくれたものだな。あれでも風邪をこじらせていたんだからな、一歩間違ったら私は……」