料理練習
「こりゃ、何をやっておるか!」
呪術師の老婆の怒鳴り声が響く台所。黒っぽい煙がもくもくと辺りを包み始めて、こげくさい臭いが漂ってきている。
「炎が強すぎると言うとるじゃろうが!」
『ごめんなさーい』
返答したのは、孫のセラと、最近仲良くなったヨランダ。数日前から、二人そろって台所を使って料理の練習をしている。老婆はそれを利用して、二人の特訓を表向きの理由にして、普段孫がやらない食事の支度をやらせている。
「薪の入れすぎじゃわい! ふいごも使いすぎたんじゃないのかえ?」
老婆は術を唱えて炎を弱める。かまどの中で激しく燃える炎の勢いが弱まった。その炎の上に乗っている魚の香草焼きはすでにこげている。
「まったく、あぶるときには常に火を見ておけと言っておるじゃろうが! ちょっと目を離すとコレじゃ。うん、あとちょっと声をかけるのが遅かったら、炭になっておったわい」
丸めた背中を精一杯伸ばして老婆は焼き魚を取る。それから隣の鍋を見る。シチューの鍋だ。水は入っているものの、具はまだ何もない。
「ほれ、次の野菜を切るんじゃ!」
『はーい』
にんじん、じゃがいも、いくつかのハーブ。ヨランダはナイフを使うのが上手く、皮むきも早く上達したが、セラはそうはいかなかった。しょっちゅう指に怪我をしてしまい、そのたびに魔法薬をつけて傷を治している。老婆はじゃがいもの皮を小さなナイフでスルスル剥いては細かく刻んで鍋の中へ放り込んで、味をつけるためにハーブや刻んだ干し肉を入れる。
「ほれほれ、塩を持ってくるんじゃ。それは違うわい、右の棚の小さなつぼに入っているじゃろ、そうそうソレじゃ! 塩を一気に入れるんじゃないよ、この小娘が! 味見をしながらいれるんじゃ! ちょっとずつ匙ではかるんじゃぞ!」
味見なんて面倒だと思いながらもヨランダは鍋に塩を入れて味を見る。炎で温められてきた鍋の中の水はぬるく、そのぬるま湯には塩気とハーブ独特の苦味があった。ギルドで口にしたシチューとは違う味だ。ハーブが入っているせいだろうか、心を落ち着けるいい香りもする。
「これでいいと思うけどなあ」
濃い目の味付けがすきなのだが、老人がいるとそうは行かないかもしれない。薄味で我慢したほうがいいだろう。味が薄いなら自分で塩を足せばいいのだから。
セラは自分の担当する野菜をやっと切り終えたところ。にんじんを真っ二つに切ろうとして危うく自分の指を切り落としそうになったが、指は無事だった。
必要な材料を全部鍋の中に入れてしまった後は、鍋を時どき混ぜながらシチューの具合を見るだけ。だが、これで終わりではない。薬草を練りこんだ肉いりパイの様子を見なければならない。
台所のわきにある古びた石がま。その中であらかじめ薪を焼いて釜を温めてから、パイを入れて余熱で焼き上げるのだ。注意してあけなければ熱気が顔に吹き付けてくる。中を慎重に覗いてみると、パイは少し焼けすぎているようであった。
「まあ、このくらいなら表面の焼けすぎの部分を取り除けば食えるわい。捨てることなんか無いぞえ。まあ、捨てるなら己の腹の中に捨ててしまうんじゃな。よほど味付けが失敗していなければ、食えるはずじゃぞ」
老婆はシチューをかき混ぜながら言った。パイ生地を練ったのはヨランダだったが具に味をつけたのはセラだった。生のものでは味見のしようが無いので、食べてみるまでどんな味なのかは分からない。
(それにしても、何でここの家は料理全部に薬草を入れたがるのかしら)
ヨランダは周りを見回す。手入れされた調理器具が壁にかかっている。別の壁の一面はまるごと大きな棚となっており、調理用の薬草の瓶詰めが並べられている。セラは祖母の一声で、棚からあれこれ瓶詰めを取っている。魔術師は薬草が好きなのだ、とヨランダは勝手に結論付けた。
「ほれ、小娘。手が空いたら裏の井戸で水を汲んできておくれ。細っこいがセラよりは力あるじゃろ」
「え〜、重いのに。……わかりました」
ヨランダはしぶしぶ裏手に水を汲みに行った。セラは祖母に言われてサラダ用の野菜を適度な大きさにちぎっていった。
昼食が出来る頃には、二人ともつかれきっていた。
「なんじゃい、お前たちは。毎回毎回くたびれおって、軟弱者どもめ」
老婆はいつもより豪華な昼食を目の前に、くたびれた表情の二人に向かって言った。
「だっておばあちゃん、ホントにつかれちゃった……」
「このくらいで疲れたなどと抜かすでないわ! 小娘、お前もじゃぞ!」
「そ、そう言われても……」
セラ以上にこき使われたヨランダ。最後は水汲みばかりして、水がめいっぱいになるまで井戸と台所との往復を繰り返したのだから、セラよりも疲れていて当たり前。
「それでも、昨日よりはマシになったのお。味見もせずにドバドバ調味料をいれたり、火を燃やせるだけ燃やして肉や魚を黒コゲにはしておらんのじゃから」
「ちょっとは学習したってことよ、もう」
ヨランダはふくれっつらをした。老婆は意地悪く笑ってから、孫に言った。
「ところでセラ、あの男はどんな料理が好きなのかえ?」
二人の手から、匙が落ちた。
「驚かなくてもええじゃろう、ひっひっひ。わしの若かったころを思い出すのお、その顔を見ると。わしもあの頃はじいさんのハートを射止めようと料理の特訓を重ねたもんじゃて」
「意外ねえ、おばあさん。恋愛にはうとそうに見えたけど」
「若き頃をなめるでないぞ、小娘。今でこそ老いぼれておるが、お前くらいの年のころは、わしは様々な男から言い寄られておった。中には体の関係だけを求めてくる愚か者もおった。それが、わしを人嫌いにさせた原因でもあるんじゃがのう。しかしじゃ、本気で男を落としたいならば、恋文よりも、胃袋で捕まえるのが一番じゃよ」
老婆は笑った。セラは耳までトマトのように真っ赤になっていた。
「カメの甲より年の功ってやつなのかもねー」
町の果物屋の脇にある小さな休憩所。ヨランダはため息をついた。
「まあ、昨日に比べれば、作ったものは美味しかったわね。パイ生地の粉の分量を間違えてたのを除けばだけど。おかげで粉っぽくなっちゃった」
セラは何も言わずに絞りたてのオレンジジュースを飲んだ。その顔は未だにトマトのように赤いままであった。
「でも、諦めちゃ駄目よね?」
ヨランダが突然彼女を見た。
「えっ、何を?」
「アイツのハートを射止めるのを、諦めたくないわよね?」
詰め寄られて、セラは思わずうなずいていた。さらに顔が赤くなった。
「じゃあ、もっとお料理の練習しましょ。アタシももっとレパートリー増やしたいし! あなただって、アイツに手料理を食べて欲しいでしょ? 美味しいって、言ってもらいたいでしょ?」
「うん……」
「じゃ、また明日から頑張りましょ! アタシ、寄るところがあるから、ここでお別れね」
ヨランダは足早に去っていき、人ごみにまぎれて姿が見えなくなった。セラは人ごみを見つめながらしばらく立っていたが、やがて自分の家に向かって歩き出した。
「頑張らなくちゃ」
戦士ギルドの傍を通ったセラの顔は、やっぱり赤かった。
(いつか、食べてもらいたいなあ)