秘密の日記



「今回の依頼は、トップシークレット級なんだって」
 互いの顔がくっつくほど近くまで顔を近づけ、ヨランダは言った。彼女の手の中には、暗号化された依頼書があった。普通に無線通信で送られてくる依頼書とは違い、暗号化された依頼の場合には依頼者が外部に依頼内容を漏らしたくないという意図がある。
「それで?」
 デスクにかけて、解決した依頼書の山積みを片付けていたスペーサーは、片付ける手を休めぬまま、彼女に聞き返す。
「勘違いしないでよ。一緒に組もうってんじゃないの。ただ確認を取っただけ、これがあなたを指名しているってことを」
 ヨランダの言葉に、スペーサーは依頼書を彼女の手からひったくる。そして暗号文の下にある希望欄に、彼の名前が書かれているのを確認する。
 依頼者の方から特定の《危険始末人》を指名することは珍しいことではない。《危険始末人》はそれぞれ依頼内容に対して向き不向きの傾向がある事を外部に開示しているので、依頼者はその能力と自身の依頼を比較して、指名するのである。
 今回指名されたスペーサーは、まず依頼書の暗号の解読を始めた。

「早速来てくださったのね〜、まーあなたったら随分と緊張なさっているようねえ、大丈夫大丈夫、アタクシは寛容なオンナなんですのよお〜、すこぉしくらいの無礼は、許して差し上げてもよろしくてよぉ!」
 依頼者は、土星の別荘住まいの地球の裕福層であり、齢は四十に達するか否かの熟女。地球から取り寄せたらしい大粒の宝石の指輪を両手の指にはめ、バロック調あるいはロココ調を模したつもりか着ている上質のドレスは様々な飾りがごてごてと品なくつけられている。ドレスで隠されているが、体はかなり筋肉質で、おまけに、男性の中では中肉中背の体格である彼よりも、背が頭三つ分も高い。おまけに声がやけに甲高く、側で聞いているだけで頭が痛くなる。しかも身長差と体格差があるゆえに、スペーサーは、まるで蛇に睨まれた蛙と言っても良い状態。相手の顔を見るのに自分の首をかなり上まで向けねばならない上に、彼女はレスラーを思わせる体格だ、彼は自分が相手から圧力をかけられているような錯覚をおぼえた。おかげで声まで震えてしまう。
「そ、それで依頼の内容は……」
「ああ、依頼! そうそう依頼! 実はアタクシ、主人には内緒で日記をつけていたの。でもその日記が、昨日、どこかへ消えてしまったんですの〜。それを探していただきたいのよぉ〜、もちろん主人には内緒で。みぃつかると、ホンットーに困るんですものお。別荘の、あの部屋の中にあることは、間違いなくてよ。日記は、これくらあいの大きさ、赤色の革表紙、金縁ですのよ。おわかりいただけたよおねえ、ではアタクシは、これから主人と近場を一回りしてきますから、一時間以内に探してちょうだいね、執事にはあ〜なたがいらっしゃることを、あらかじめ言い聞かせてありますのお、一緒に仲良く探してくださいねえ」
 一方的にしゃべって一方的に去っていった依頼者の背後で、音波攻撃で脳をやられ半ば廃人と化したスペーサーが呆然と立ちすくんでいた。

「日記はA4サイズで、赤色の革表紙に金の縁取り、と……」
 音波攻撃から回復した後、彼は自分の見つけるべき秘密の日記とやらの特徴を頭に叩き込んだ。それから日記のありかを探るべく、協力者の執事と共に、依頼者が日記をなくしたらしいという場所へ足を踏み入れようとしていた。一時間以内に探せというのだから、無駄な行動は出来ない。
 スペーサーは執事に、金の縁取りのある赤い革表紙の「本」を見たことがあるかと問うてみた。執事はしばらく考えた末、見た、と答えた。
「あの本は、奥様のお名前が表面に彫られておりまして、とても大事そうなものでございました」
 執事が日記を見たことがあるならば、日記を探すのはより簡単になる。さて、依頼者の日記があると思しき部屋にたどり着いたが、そこは地下三階であり、ドアは壁の一部に見えるようペイントされていた。
 重いドアを二人がかりで開ける。中を覗いてみると、まるでプロのスポーツマンを鍛え上げようとしているかのような、大量のボディビルダー用品が所狭しと並ぶ部屋。バーベルや五キロダンベルが床に無造作に置かれている。おそらく、夫人の夜更かしとは、トレーニングだろう。
「このお部屋は奥様専用でございます。だんな様はこのお部屋のことをご存知ありません」
 様々な種類の器具を、呆れとも驚きとも受け取れる表情で見ているスペーサーに、執事は真面目腐った顔のまま、言った。
「奥様は毎晩、このお部屋をお使いになります。一度だけ拝見したことがございましたが、奥様はご本をこのお部屋に持参なさっては、何かを書き込んでおいでのようでした」
「あ、ああ。そうなの……とにかく、あと三十分以内に探さなくては」

 二十分後。
「……ない。どこにあるんだ?」
 ダンベルにつまずいて転びそうになり、スペーサーは慌てて体勢を立て直す。執事は文句も言わず、黙々と日記を探している。
 二人はずっと日記を探していた。器具をひっくり返したり、本棚からエクササイズ用の本を片っ端から取り出したり。だが見つからなかった。おまけに、部屋が学校の体育館並みに広いため、まだ調べ切れていない器具や棚もあり、遺失物探索専門のスペーサーでさえ音を上げたくなるほどだ。
「ちょっと疲れましたな、お茶でもご用意いたしましょうか?」
「いや、結構」
 スペーサーはダンベルをよけて歩きながら、執事の申し出を断る。その時、まだ調べていない本棚のてっぺんから、何かが落ちてきた。それはちょうど真下にいたスペーサーの頭を直撃し、床にドサリと落ちた。
「おや、この本は……」
 執事は、本の攻撃を食らったスペーサーよりも、本のほうに関心を示す。
 赤い革表紙、金の縁取りのついた、A4サイズの分厚い本。そして、本の表紙には依頼人の名前が彫り込んである。
 スペーサーは頭の痛みが退くにつれ、目の前にある本が、依頼者から探すように依頼された「秘密の日記」だということを確信した。
「きっとこれだ!」
「おお、そうだったのですね! では、奥様にお知らせしてまいりましょう。そろそろお帰りになる頃ですから」
 一体中身は何なのかと、執事が去った後で、スペーサーはこっそり日記帳を開いてみた。そして、見た途端に目を丸くした。
 その秘密の日記帳には、確かに最初のページには「秘密」と書かれていたが、後のページには全部、その日のトレーニングメニューがびっしりと書き込まれていたのである。そしてどのページにも、「最終目標:30キロのバーベルを30回持ち上げる!」と記されていた。

「んまああああ! 見つけてくださったのね〜、なんてお礼を言ったらよいのかしらあ。実はアタクシ、ボディビルダーで鍛えてますのお。それこそ、庶民の言葉で、マッチョになるくらいにねえ! それを主人に知られてはまぁずいのお! 主人はほそっこいオンナが好きらしいからぁ、あたくしはドレスで隠してるんだけどぉ。とにかく、ありがと〜」
 依頼人は、渡された秘密の日記を見て、喜びの声を上げた。そして、音波攻撃で脳を早くも痛め始めたスペーサーに、ドレスの袖の下からゴリラもかくやと思われる太い腕を回した。そして、ぎゅうっと、まるでぬいぐるみのごとく抱きしめた。たちまち体が圧迫され、スペーサーは息が詰まった。
「ぐえっ、苦し……っ」
「あらあらあなたったら、ほっそいわねえ〜。まるでお人形みたいに抱きしめたくなっちゃうわああん! 依頼を達成してくれたお礼のオマケとして、アタクシからこの抱擁をプレゼントしてさしあげますわあん」
「やめてっ、離して……」
「遠慮しないでぇん」
 スペーサーの弱弱しい抵抗の声も相手には届かなかったらしい。抱擁は圧迫に変わり、彼はとうとう、自分の肋骨がそれに耐えられなかった悲鳴を聞く羽目になった。肋骨の何本かが金切り声を上げ、続いて上半身にすさまじい激痛が走る。
「あらあらどうなさったの、まるで本当のお人形みたいになっちゃってえ」
 肋骨をことごとく折られ、二の腕の骨にはひびまで入れられたのだ。無事ですむはずがない。背骨が無事だったのは不幸中の幸い。
 全身から力が抜け、意識が遠のく中で、スペーサーは思った。

 私も体を鍛えるべきかなあ……。