不養生



 地球外銀河第二ステーション。通称セカンドギャラクシー(S・G)。
 ステーション経営課の事務職に就いているヨランダは、毎日大量の書類と格闘していた。管理課の運んでくる書類だけでなく、一日にこなさなければならない仕事の量は半端ではなかった。経営課の人数は割りと多めで、ヨランダの受け持っている仕事はわりと楽な部類に入るのだが、それでも毎日渡される書類に目を通し、必要があればややこしい手続きを済ませなくてはならないのだ。
「ちょっとお医者さ〜ん」
 ヨランダが医務室に足を運んだのは、仕事の疲れがたまったある日のこと。
 医務室の奥では、このステーションに勤務している唯一の医師スペーサーが、デスクに向かってなにやら作業中。カルテの整理をしているらしい。
「ん?」
 ヨランダが近くまできて初めて、彼は応じた。彼女が大声を出して入ってきたにもかかわらず、作業に夢中で気づかなかったようだ。
「ん、じゃないわよ。人が入ってきたんだから、いらっしゃいとか何とか言ってくれても」
「ここは店じゃない。医務室だ。で、何の用なんだ」
「ちょっと疲れ気味だから、ビタミンの注射でもしてもらおうと思って」
「注射ねえ」
 腕は確かだが愛想がなくて怒らせると何をされるか分からない、と陰で噂されているこの医師だが、ヨランダにはただやる気のなさそうな感じに見えた。まだ彼女はこの医師の診断を一度も受けていないので、その様な印象を受けたのである。
 スペーサーはヨランダを値踏みするかのように上から下まで眺める。
「そう疲れているようにも見えないがね。カルシウムは足りているのか?」
「足りてると思うけど」
 ヨランダが診察用の椅子に座ると、スペーサーはデスクのパネルにあるボタンの一つを押す。すると、医療アシスタントロボットが音もなく奥の部屋から現れた。腕に色々な薬の入ったアンプル入りのトレーを持っている。スペーサーはその中から一つを選び出し、続いて小型の注射器を取り上げて、アンプルの中の薬をそれに注入する。それから注射器の空気を抜く。
「腕、出してくれ」
 ヨランダが制服の袖をまくって腕を出すと、スペーサーは、出された二の腕の一部を消毒してやり、素早く注射針をさした。そして針を抜くと消毒をしなおした。わずか四秒足らずで作業を終え、彼は空の注射器をアシスタントロボットの持つトレーに戻した。
「はい、終わり」
 あまりにもあっけらかんとした終わり方に、ヨランダは少し驚きを覚えた。
「終わりって……それだけ?」
「ほかに何かしてほしいのか?」
 スペーサーは意外そうな表情を向けてくる。無表情とも無愛想とも受け取れたさっきの表情がうって変わって、驚きを示すものに変わった。
「大概の連中は、私の診療を死ぬほど嫌がるんだが」
 言われてヨランダは思い出した。先日、管理課の連中が医務室での晩い健康診断を終えて出てきたとき、まるで地獄を覗いたかのような有様であった。作業服は医薬品でぬれており、皆、顔面蒼白で体を震わせていたのである。この医師は管理課の面々を目の敵にでもしているのだろうか。
「あの、してほしいっていうか……、もうちょっと何か言ってくれるとか」
「いう事といえば、きちんと食事を取っていないようだな」
 つっこまれてヨランダはぎくりとした。仕事が忙しいのと、ダイエットを兼ねるのとで時々食事を抜くことがあるのだが、見抜かれたらしい。
「な、何でそう思うのよ……!」
「まあ、その肌を見れば」
 更に言われたヨランダははっとして顔に手を当てた。忙しさであまり気をつかわなくなっていたので、事務職に就く前と比べると、ずいぶんうるおいが落ちているようだった。手触りが良くない。
「やだあ……」
 ヨランダの口から思わず言葉が漏れた。
 スペーサーは、デスクの小さなコンソールパネルを叩く。すると、ヨランダのすぐ側にあるガマ口の機械から、ポンと小さな袋が吐き出され、ヨランダの手の中に落ちた。
「これは?」
「栄養剤五種類を一週間分だ」
 返答を聞き、ヨランダの顔が晴れた。
「わー、ありがとー」

 数日後。
 医務室に経営課の面々が大勢訪れた。全員女性である。なんでも、ヨランダが服用している栄養剤の効き目が満点で、彼女は見る見るうちに肌のつやを取り戻して綺麗になったというのである。これを知った事務員たちはこぞって医務室を訪れ、薬を貰おうとしたのである。
 が、スペーサーは甘くない。美容のためだけに医薬品を使われては困るのだ。ヨランダに栄養剤を渡したのは、彼女が明らかに栄養不足だからであり、肌のつやを取り戻してやりたいと思ったからではないのだ。大勢の事務員を相手にするのも疲れるが、診る限りでは、ほとんどの事務員が栄養不足という事はない。もちろん特定の栄養素を摂取しすぎていたり、足りなかったりする場合もあったが、それでも栄養剤を出してやるほど栄養不足というわけではないので、彼は診察を終えたあと、そのほとんどを追い返した。医務室で美容の栄養剤をもらえると期待していた事務員たちは、何も貰えずに追い返されたので、不平不満をこぼした。
 それでも、医務室を訪れる事務員は後を絶たなかった。意図的に食事を抜く事務員もいたが、断食しすぎて医務室へ担ぎ込まれ、その時は栄養剤ではなく点滴をもらうことになった。
 さて、こんな診察が何日か続いた後、日夜百人近い事務員を相手にし続けてきたスペーサーはすっかり寝不足となっていた。加えて、何度も何度も訪れてくる事務員までいるため、何度かアシスタントロボットを使って追い出したこともあった。それでも懲りずにやってくるのだから、スペーサーの我慢も疲労もストレスも、限界に達していた。
「……もう我慢ならん!」

 後日。渡された栄養剤ですっかり肌の美しさを取り戻したヨランダが、小用で医務室の近くまで来ていた。その時、医務室の前に人だかりが出来ているのが見えたので、彼女はそちらへ行ってみた。背伸びして、人の頭越しに医務室を見ようと努力したが、ドアは閉められており、そのドアには紙が貼られていた。

『地球時間で一週間、緊急患者以外の立ち入りを禁止』

「何があったのかしら」
 医務室に大勢の事務員が訪れたことは、知っていた。だがなぜスペーサーは緊急患者以外の診察を中止してしまったのだろうか。
 やがて医務室の人だかりは四方八方へ散っていき、ヨランダもまた、用事のためにそこを離れた。

 医務室で、アシスタントロボットは命令されるわけでもないのに、医務室を掃除し、空いたベッドを整えている。そしてその診療用のベッドを一つ使って、スペーサーが熟睡していた。
 医者の不養生とは、よく言ったものだ。