映画鑑賞、再び
その日の夜は、大雨が降っていた。
「ねーねー! 最近はこんな映画が流行ってるんだって! さっそく借りてきちゃった」
満面の笑みのヨランダがレンタルDVDのケースを振りながら話す。プラスチックのケースは、リビングの天井の光を反射しているので、DVDのタイトルが見えない。
「早く観よう!」
しかしリビングにいる男ふたりは興味が無い様子。
「またスプラッターものか?」
以前、血塗れ場面が苦手なのにスプラッター映画を見せられたときの不快感を隠しもしないスペーサーに対し、ヨランダは否定する。
「違うわよ、別のジャンル! すごく流行ってるの!」
「恋愛ものか、それともコメディか?」
アーネストの言葉を、ヨランダは否定する。
「違うわよ! かといって、あんたの好きなアクションや戦争ものでもないわよ」
とにかく観ればわかるから、とだけ言って、彼女はデッキにDVDをセットした。
まもなくテレビに表示されたのは、大きな古いホテル。その上にかぶさる、不気味に歪んだ血文字。
「……なんだ、結局ホラーものか」
「でも、ホラーはホラーでも血塗れスプラッターものじゃないわよ、いいから観てなさいよ」
呆れたようなスペーサーの一声に、ヨランダはぴしゃりと返した。
映画の内容は、廃屋となったホテルに探検に来た若者グループがこの廃屋に棲み付く花嫁の幽霊に襲われる、というもの。典型的な、幽霊ものだ。
幽霊出没ホテルのうわさを聞いた若者グループがホテルの扉を開けて入るところから始まり、ストーリーが進んでいくと、視聴者のリアクションが分かれた。家具が勝手に移動したり、大きな厨房の複数のコンロがいきなり炎を吹き上げる怪奇現象が起こると、その演出に驚いてヨランダが小さく声をあげ、ソファの上でちょっと飛び上がってしまった。スペーサーは逆に淡々と画面を見つめ、アーネストはヨランダほどではないがちょっと驚いた様で、目を丸くした。
次に、怪奇現象の正体である幽霊があらわれて若者グループを襲撃する場面に変わる。コンピューターグラフィックとはいえ、壁の中から登場した幽霊はなかなか不気味に表現されている。ぼろぼろのウェディングドレスを着て両目をぎらつかせた不気味な幽霊の出現と同時に雷が轟いたのもあって、ヨランダは驚きのあまり悲鳴を上げた。ほかの二人も驚いたが、映画の演出にというよりヨランダの大きな悲鳴に驚いたというほうが正しかった。二人は彼女を挟んでソファに座っているのだから、彼女の悲鳴を耳元で聞かされ驚くのは当然。
「お前うるせぇよ!」
「だって、雷が鳴ってびっくりしたのよ! しょうがないでしょ!」
「どっちにしろ耳元で怒鳴るのは勘弁してもらいたいな」
「あなたまでそんなこと言うの!」
三人が言い合う間も、場面は変わる。花嫁の幽霊が徘徊するホテルから脱出するため、人数が半分に減った若者グループは玄関ホールに向かうも、玄関や窓はすでに幽霊によって封鎖済み。他の出口を探すしかないとわかり、どうすべきかと対策を練り始める。やがて、ぼろぼろのウェディングドレスをひきずりながらも幽霊が若者グループを見つけたが、閉まっていた扉を通り抜けて派手な効果音と共に幽霊が登場したところで、またヨランダが驚いて悲鳴を上げたが、雷が鳴ったときのものほど大きな声ではない。次に、幽霊の動かす大きな衣装ダンスで一人が下敷きになって潰され、血の池に転がるただの肉塊になる。そこではスペーサーが「げっ……」と嫌悪の声をあげ首をすくめた。やはり血塗れの場面は苦手なのだ。「わ」とヨランダは小さな声をあげて息を飲んだが、スペーサーほどは嫌悪を表していない。ただひとり、アーネストだけは平然として惨状を観ていた。
映画の終盤、グループは十人以上いたのに、生き残りはわずか二人。ふとしたはずみで、明かりをともそうと火をつけたライターを落としてしまい、積まれたボロボロのパンフレットの上に火元がおちた。油のしみ込んだパンフレットはまもなく炎上し、幽霊の力もあって火は瞬く間に周囲に広がっていく。生き残りの彼らは炎上するホテルの壁が崩れたところから火傷を負いながらも脱出、後ろを振り返ることなく走りさった。そこで画面がゆっくり暗転し、音楽とともにスタッフロールが流れる。
が、スタッフロールが流れ終わった後、再度画面が暗転し、焼け落ちたはずの廃ホテルが何事もなかったかのようにぽつんと建っているのが映される。そして、ホテルの玄関ホールの汚れた大きな窓がズームアップ、画面いっぱいに窓が映ったところで、その向こうには窓に手を当てて外をにらみつける花嫁の幽霊の姿が、何の前触れもなく、同じく画面いっぱいに映し出された!
「ひゃああっ!」
なんとも間抜けな悲鳴を上げたヨランダの体が、一瞬宙に浮いた。エンドロールを観てすっかり緊張を解き油断していたのだろう、心臓にダメージを受けた彼女の顔は少し青ざめていた。
映画は、終わった。
「あー、こわかった……」
己の心臓の鼓動をはっきりと聞きながら、ヨランダはやっと安堵の息を吐いた。
「心臓とまるかと思っちゃった……脅かしの仕方がすごかったわあ」
「おう、お前の悲鳴のせいで俺も心臓止まるかと思ったぜ。……DVD出さねえのか?」
アーネストの言葉に、ヨランダはふくれっつらで答える。
「だって怖かったんだから仕方ないじゃない! あんたがDVD出してよ、ちょっと腰ぬけちゃったかもしんないから」
「腰抜かしたって、なんだそりゃ。前のスプラッターのときには平気でいたくせに」
「うるさいわね! とにかく早く出してよ!」
ソファのクッションをぎゅっと抱いた彼女に、わかったわかったといい加減に答えながらアーネストは立ち上がり、デッキからDVDをとりだした。なんやかんや言っても結局甘い男だ。
「ううー、幽霊ものってやっぱ脅かしがすごいわね」
「そりゃあ。肉体があるせいで壁やドアをぶち破らなければならない殺人鬼と違って、肉体のない幽霊には壁を通るなりしてどこから現れるかわからない利点があるから、脅かしの演出には凝るだろう。ただ単に現れても怖くはないからな」
ヨランダがまだ青ざめている一方で、スペーサーは顔色を変えることなく淡々と言った。そこでまた稲光がひらめき、続いて大きな雷鳴がとどろいたので、ヨランダはまた悲鳴を上げた。
「なんだよ、お前。幽霊の次は雷が怖いのかよ」
「こういう突然の脅かしは苦手なのよ!」
アーネストの言葉に、ヨランダは叫ぶように反論した。そしてソファから立ち上がる。
「幽霊なんているわけないじゃない! 何かの見間違いと聞き間違いがこんなふうに発展して、恐怖をあおる存在として定着しただけよ」
「その見間違いと聞き間違いにやたら悲鳴を上げていたのは?」
「なんであなたまで茶化すのよ、スペーサー! とにかく、幽霊なんてのは、概念としてはあるんだろうけど、アタシは信じてないから。だから、単に幽霊の出る演出が怖かっただけ!」
そう言って、クッションを抱きしめたままヨランダはリビングを出て行った。
その後姿を見送った後、スペーサーはため息をついた。
「見えないというのは、本当に得だな」
それを、リビングを出ようとしたアーネストが聞きつけて振り返った。
「は? 見えないってどういうことだ?」
「私たちがここで映画を観ている間、すぐ近くで別のやつが鑑賞に加わっていたんだ。今はもうどこかへ去ったが」
スペーサーはソファの後ろを肩越しに指さしながら言っている。しかし、アーネストがその指がさす先を見ても、壁があるばかりで何もない。彼の怪訝な顔を見て、スペーサーは再びため息をついた。
「……信じたくなければそれで構わない」
「別に俺は信じねえなんてひとことも言ってねえだろ! 何がいたんだよ、そこに!」
アーネストの詰問に、スペーサーは素直に答えた。
「映画の鑑賞中に君の背後に、女の子の幽霊がいた――いや、後ろを向いても無意味だ。もういないとさっき言っただろう」
「なんで俺の後ろに……!」
「さあ? とにかく、危害を加えるようなモノじゃなかったのが救いだな」
呆然としているアーネストをほっておき、スペーサーはあくびを一つしてリビングを出て行った。
自室に戻ったヨランダは、しとしと降っている雨音の中、ベッドに寝転がっているのだが、部屋の電気はつきっぱなしだ。
「うう、こわい……」
あのホラー映画のいくつもの恐怖場面を思い出してしまい、電気を消せないし、眠れないのだ。窓をたたく雨の音や風の音さえも、彼女の恐怖心をあおってくる。幽霊などいない、彼女はそう思っているが、映画の演出は別だ。怖がらせるための演出なのだから、恐怖心を刻み付けられるのは当然。おかげで全然眠れない。
「寝る前に観るんじゃなかった……」
どうしよう、二人に一緒に寝てくれと頼むべきか。いや、そんなことをしたら笑われるに決まっている、幽霊などいないと言った手前、映画の演出が怖くて眠れないなどと言えるわけがない!
「寝たいけど、でも怖い……!」
目を閉じたくない。明かりを消したくない……。ヨランダの夜はのろのろと過ぎていき、結局彼女がやっと値付けたのは、カーテンの隙間から太陽の光が差し込むころだった。