白銀のフルート
目抜き通りを抜けて、町を奥まで通過した先に、その屋敷はあった。町一番の大富豪の豪邸は、つねに高い柵と番犬、それに見張り番に囲まれて、外敵から厳重に守られていた。
シーフギルドの面々は、この豪邸にあるという白銀のフルートをこの手に入れるべく、日々、豪邸の情報収集に努めていた。このフルートはただのフルートではない。退魔の効果があるといわれる、祝福を受けた銀で作られた楽器なのである。
ギルドの地下酒場で、ヨランダは一人、飲んでいた。ギルドいちの情報収集名人といわれる彼女も、フルートを手に入れるべく様々な方向からアプローチして情報を得ているのであるが、最近はやっと豪邸内部の様子がわかってきたので、一人ひそかに自身の功労を祝っているのである。
シーフの中には、時たま富豪に頼まれて薬を作りに行くスペーサーに豪邸の内部構造を聞きに行った者がいたが、いずれもヒキガエルや蛇に変えられて、まとめて瓶詰めにされて送り返されるという悲惨な結果に終わっていた。
背の曲がった酒場の主が、ヨランダに話しかける。
「なにやら嬉しそうですな。何かあったんで?」
「まあね」
ヨランダは空のグラスをカウンターに置くと、楽しそうに酒場を出て行った。
新月の夜。
富豪夫妻が別館でパーティーに出席している頃、廊下を足音もなく、何者かが走っていた。格好からするとこの豪邸のメイドである。だがこの時刻にどこへ行こうというのか。そしてその手に持っている蓋つきのカンテラは一体何なのか。
長い廊下を走りぬけ、階段を登る。さらに、ベルベットの絨毯を敷いた廊下を行くと、この富豪の部屋のドアが見えてくる。そのメイドは、周りに誰もいないか確かめた後、慎重にドアを開けた。
部屋に入ってドアをそっと閉める。一見すると誰もいないようである。それを確認すると、メイドはカンテラの蓋を開ける。蓋の下から光が漏れて、辺りをぼんやりと照らす。その明かりに照らし出されたメイドの顔は、紛れもなく、ヨランダであった。彼女はこの豪邸にメイドとして潜入し、豪邸の情報を集めていたのである。
(確か、この部屋のどこかに隠し扉があるはず)
所持品が重要なものであるほど、自分の身近な場所へ隠すものである。経験上、それを知っているヨランダは、まずこの豪邸の主人の部屋を探すことにした。主人の部屋にはビロードのカーテンが引かれ、カンテラの光を遮断している。そのため、明かりがついていることを悟られる危険性は少ないのである。彼女はそれもちゃんと確認しておいた。
一時間ほど経過した。
書き物机、豪華な天蓋つきベッド、本棚、カーテンの裏側と、思いつける範囲の場所は調べ上げた。だが、フルートの隠されていると思しい隠し部屋へ通ずるようなものはなかった。
「急がないと、そろそろ帰ってくるわね。でもちょっと疲れたなあ」
少し休憩するつもりで、窓の近くの壁にもたれた。途端に壁がぐるっと回り、彼女はその向こう側に投げ出される羽目に!
すんでのところで体をひねり、無様に体を打たずにすんだ。だがぶつけたショックでカンテラの火は消えてしまった。
「いたた……」
彼女は起き上がると、周りを見回した。カンテラの火は消えてしまったが、なぜか周りを見ることができる。それは、前方から光が漏れてきているためであった。
「ここが隠し通路みたいね」
立ち上がって、慎重に奥へ歩む。光の漏れる小さなドアがあり、大きさは彼女の肩くらいまでしかない。鍵が閉まっているようなので、隠し持っている針金を使い、鍵穴に差し込んでカチャカチャ回し、あける。そして、ドアの取っ手に手をかけてゆっくりと開けた。
この向こうに、白銀のフルートが……!
ギィィィ。
さび付いたような音を立て、ドアは開ききった。眩しい光が彼女の目を眩ませるが、それもすぐに治った。
「わああ」
彼女は思わず、小さく声に出した。
ドアの向こうには小部屋があり、魔法の光が部屋を照らす。その中央に、ビロードのクッションを載せた台座があり、さらにそのクッションの上には、光り輝くフルートが置いてあったのである。台座は周りをガラスで囲まれ、更にそのガラスの周囲にはいくつもの魔方陣が描かれていた。
(これはきっと、スペーサーが頼まれてやったのね)
魔法陣を踏まないように、慎重に陣と陣の隙間を踏み、何とかガラスの柵までたどり着く。懐から切り取り専用のナイフを出して、手を差し込むのにちょうどよいくらいの大きさの穴を、ガラスから切り出した。円形に切り取ったガラスを落とさないように細心の注意を払いながら、手でそっと掴み、エプロンのポケットへ押し込む。
ヨランダは、作ったガラスの穴の中に腕を差し込んで、そっと、フルートをつかんだ。フルートを自分の目の前に持ってきたとき、彼女は改めてそれを眺める。光を反射して眩しいくらいにまで輝くフルート。ついにこの手に入れることが出来た。
「いやあー、お見事!」
どこからか声が。続いて、小部屋の壁が一部移動して、そこにもう一つの続き部屋が現れる。そして、その続き部屋には二人の人物が。
ヨランダはその人物を見た途端、あっと声を上げた。一人はこの豪邸の主人、そしてもう一人は――
「ギルドマスター!」
シーフギルドの創設者にしてギルドの統率者。
富豪は、ギルドマスターに言った。
「いやあ、お宅のシーフの腕前はなかなかのものですな」
「いやいや。これくらい朝飯前」
「ちょ、ちょっと!」
ヨランダが口を開く。
「一体どういうことなの?」
「ヨランダ、こちらはな私の古くからの友人だ。つまり、陰のギルドの一員というわけだ。今回はギルドのシーフがどれだけ情報収集能力と盗みの技術に長けているかを調べるための、いわば試験だったのだよ。私が噂を流し、シーフたちの行動をあおったのだ」
「え? 試験?」
ヨランダは頭の中を整理するのに、しばらく時間を要した。
「つまり、アタシのやってきたことは、全部無意味なことだったってわけ……アタシ、一ヶ月も何をやって……」
そして彼女は床にへたり込んでしまった。今までメイドとして潜入し、様々な雑用をこなしながらも情報収集に努め、やっと手に入れた白銀のフルート。だがそれは、ギルド側に仕組まれていたことだった……。
「そんなあ〜……」
「がっかりすることなどないぞ。盗みの腕を披露してくれた礼に、そのフルートをやろう。司祭の祝福を受けたわけではないが、本物の白銀で作られているのだからな」
白銀のフルートは確かに本物であり、ギルドのシーフたちはこぞって彼女をうらやんだ。だが彼女は全然嬉しくなどなかった。富豪の夫妻に散々用事を言いつけられ、これも情報収集のうちと耐えてきた。そして少ない情報を元にしてやっとフルートを盗めたと思ったら、それが全部ギルドマスターが仕組んだ、シーフに対する「試験」だったのだから。フルートが本物の白銀で出来ていることが、唯一の慰めになった。
「もうメイドなんてこりごりよぉ〜……!」
その泣き言は一週間、ギルド内のあちこちから聞こえてきた。