深酒
「これでよし」
スペーサーは満足そうに軽くうなずいて、ミニコンピューターの蓋を閉じた。
彼は裏世界に《危険始末人》の依頼情報を流す事がある。《危険始末人》と裏世界との接触を可能な限り避けるためだ。《危険始末人》は依頼者の個人的なことにも立ち入って依頼を遂行するので、この依頼者が裏世界とどれだけつながりを持っているかで、スペーサーの流す依頼情報の内容がかわる。裏世界の住人である事が知られても、特に影響の無いような末端の者ならば、スペーサーは依頼情報をほとんど渡さない。だが政治家など特に《ファミリー》とのつながりが強い者ならば、彼は細部にわたって依頼内容や現地へ向かう《危険始末人》の情報を渡すのであった。《ファミリー》を抜けたスペーサーが未だに消されずにいるのも、このおかげかもしれない。
彼は《ファミリー》を抜けて《危険始末人》となった後、裏世界の情報をこちらに流させる、あるいは依頼情報を渡す《連中》を数名雇っている。いずれも彼が《ファミリー》を抜けてもなお彼を慕って付いてきた者たちだ。消されるのを覚悟で《連中》は彼から情報を受け取り、あるいは情報を流している。彼らも裏世界に属するもの、《ファミリー》の事が表ざたになってはこまるのだ。彼は仕事のたびに、《連中》に目玉の飛び出るほど高額の報酬を支払い、その額は最低でも千万クレジット、最高で五千万クレジットにもなる。《連中》の仕事内容にはそれだけの金を渡す価値があるのだ。
スペーサーが情報を裏世界に流す或いは受け取っている事は、ほかの《危険始末人》は誰一人として知らない。もし知ったとしても、スペーサーは秘密を守るためならば《仲間》の《危険始末人》を己の手で消すことすら躊躇わぬのだから、当然知った段階で消されてしまう。己の命以外は、皆虫けら程度の価値しかない。それが、二十年以上も《ファミリー》の中で生きてきた間に築き上げられた、彼の生命観であったから……。
裏世界の者がスペーサーに直接依頼を出すことは、珍しい事ではない。その場合は《連中》に情報を渡す必要はないので、仕事は多少楽になる。
「お久しぶりねえ」
上等の水煙草をふかしながら、妖艶な美女は言った。ハリのある浅黒い肌ときちんと手入れされた黒髪のボブカット。化粧は濃すぎず薄すぎず。歳の頃三十をやや過ぎたと言ったところか。上等の布地で作られた薄手の黒服を着ている。デザインは喪服そのものであるが……。
「まずは、一言。ご愁傷様」
スペーサーはその美女に心を奪われた様子もなく、しれっと言った。
今回の依頼人は、この黒衣の婦人。一週間前に、夫に病で先立たれたばかりだ。黒衣の婦人は、表世界では、やり手のスーツブランド会社社長として知られている。裏世界でもそのスーツの上等さはよく知られており、《ファミリー》の幹部たちのスーツをしたてているのも、彼女の会社である。彼女自身もスーツを仕立てる事があるが、それには高額の報酬が必要。なぜなら、客の注文に応じて、武器を仕込んでおくための専用ポケット等をつける完全オーダーメイド品だからだ。《ファミリー》にいたころ、スペーサーも何着か彼女にスーツをしたててもらった事がある。もっとも、《ファミリー》を抜けた後にそれらは破棄してしまったが。
「依頼達成の暁には、報酬として、《危険始末人》の『新しい』制服を作って差し上げてもよろしくてよ。莫大過ぎる資産をお持ちのあなたに、ほんの数千万クレジットというはした金を差し上げるわけにはまいりませんもの、フフ」
「この制服自体、特注のものだからなあ。基地に置かれた、認証の機械が通してくれるかどうか」
「手に入らない素材はないわ。そのくらい御存じでしょう？ そして、《危険始末人》の制服を作っているのが誰なのか、私はちゃーんと存じておりますわよ」
「あー、そうだったなあ。それなら《連中》が新しいスーツの注文をそろそろ出したいと言っていたからな、私への報酬はそれにしてくれ。《連中》の注文を受けてやってほしい。仕立て代は私が払うから」
「忠実なる部下へのプレゼントとは、いい上司ですわねえ」
「いつ命を奪われるか分からん仕事をさせているんだから、たまにはわがままも聞いて労ってやらんとな」
それから依頼人は依頼の内容を述べた。
「実はねえ、わたくしを慰めていただきたいの」
「はあ？」
「いえね、体の関係を求めているわけではないのよ。一晩一緒にいて下さるだけで結構。夫が亡くなってから色々とため込んでしまってねえ、吐き出し口がほしくて仕方なかったんですのよ」
「なるほど」
身近に悩みを打ち明けられる、ちょうどいい相手がいない。そういうことであろう。夫に先立たれ、子供はまだいないのだし……。
「まあ、一晩だけなら」
「ありがとう」
つややかな声で、依頼人は礼を言った。
「うええ……」
《危険始末人》の基地に戻ってきた時、スペーサーはひどく酔っぱらっていた。上等の蒸留酒を飲みながら、依頼人の愚痴や想い出話に付き合っていたのだが、うっかり飲み過ぎて、帰るころには立てなくなっていたくらいだ。結局、宇宙艇を自動操縦にして基地に戻ってきたのだが、酔いが抜け切っておらず、歩き方は異様にふらふらしていた。
それでもどうにか部屋にたどりつく。さいわい《危険始末人》たちは皆出払っていて、酔っぱらった彼の姿を見た者は誰もいなかった。ゆがんで見える視界の中、部屋のドアにかかっているデジタルの表札が自分の名前であることを確認し、指紋認証用パネルに手を当てるも、うまく狙いを定めきれず、三回は失敗した。やっとドアが開き、彼はふらついたまま部屋に入るも、足をもつれさせて倒れてしまった。ドアが勝手に閉まる。
（いかん、これでは、二日、酔いどころでは――）
その後、アシスタントロボットが、彼の吐いたものを掃除した。
「くそー、頭痛が……」
デスクで書類の処理をしながらも、スペーサーは頭痛に悩まされていた。深酒したために酔いが抜け切らないのだ。酔いざましを飲んだのになかなか効果が現れない。
「半日以上も寝ていたのに、まだこれか――」
他の皆からは酒臭いと言われる始末。ひどくよごしてしまった自室はアシスタントロボットに掃除させている。
「いかん。今日はもう仕事を切り上げて――」
その時、デスクの上に書類が一枚、機械から吐き出された。一体何の通信だと思って、頭痛をこらえながら目を通す。
《連中》からの通信文。もちろん《危険始末人》たちにはわからないように、《ファミリー》の者だけが知っている隠語や暗号を用いて通信文を書いているのだ。それによると、彼の依頼人に新しいスーツを注文した事やその請求額について書いてあるだけだった。請求金額は十億クレジット。目玉の飛び出る金額だが、それに見合うスーツを注文したのだろう。金に糸目はつけないから好きなものを注文しろと事前に《連中》に伝えてあったのだ。
「十億か。さっさと振りこんでおくか」
莫大な請求書なのに顔色一つ変えず、スペーサーは書類をシュレッダーにかけた。十億など、彼にとっては小遣い同然の金額なのだから。
「うええ……。さっさと、振りこんで……」
巨額の振り込みを終えてから、こみあげてくる吐き気を何とか我慢しながら、彼は何とか部屋に引き取った。
（や、やはり、深酒は、駄目だな……）
トイレで吐き、氷枕を冷凍庫から探しだしながらも、彼は思ったのだった。
「もう寝よう……」