廃墟の幽霊



 森の奥に、かつて城があったと思われる、廃墟がある。もう元の形をとどめていないが、城壁の名残であった石垣はわずかに残されている。その石垣の内部には地下道があり、王族が逃げるのに使ったと思われる通路がある。
 その通路に、夜な夜な、すすり泣く声と共に少女の幽霊が現れるという。
 森番から、戦士ギルドにその幽霊を退治してほしいという依頼が舞い込んだ。

「幽霊が出るってのか?」
 アーネストは、廃墟の内部をカンテラで照らしながら、一人ごちた。
「でも、何で幽霊なんてもんが出てくるんだ? 体はとっくに死んでるんだろ?」
 彼の少し後ろから、スペーサーが言う。アーネストが無理やり引っ張ってきたのだ。
「霊的存在は基本的に、現世に未練を残して死亡したがそのまま来世へ行く事ができずにさまよっているというケースが多い。友好的な者は話を聞いてくれる事もあるが、たいがいは頑なで、こちらの話を聞こうともしないから、やっかいだ。生者を死の世界へ道連れにしようとしたりするからな。が」
 一度言葉を切る。
「中でも一番厄介なのは怨霊だ。恨みや怨念の塊のようなモノだからな。自分を死に至らしめた相手を呪い殺すだけならまだしも、誰彼構わず祟ることもあるから――」
「何だよ。お前オバケなんかと戦ったことあるのか?」
「何度か。戦ったというより、何とか成仏させたというほうが正しいかな。ここ十年くらいは一度もないな、いや二十年か」
 スペーサーはそれだけ答え、手の中に持った奇妙な羅針盤を見る。淡いグリーンの光を放つ羅針盤は、ゆっくりとだが、右に左にと針を動かしている。
「こっちだな」
 じめじめした通路の分かれ道を、左へ曲がる。そして、しばらく歩いていくと、少し広めの部屋に突き当たる。どうやらこの通路はここでおしまいのようだ。
「ただの部屋じゃねえか、それに何もいない――」
 アーネストが言いかけるのを、スペーサーは静かにとジェスチャーで伝える。大人しくアーネストが黙ると、辺りは沈黙で満たされる。
 どこからか、かすかな、すすり泣きの声が聞こえてきた。同時に、スペーサーの手の中の羅針盤の光が強くなり、部屋の中の一点を針がさした。針の指す方向に、何かいるらしい。
 すすり泣きの声が少しずつ大きくなり、二人の少し離れた所、羅針盤の針の指す方向に、青白い光がボヤーッと現れる。その光は少しずつ形をとり、やがて、少女の姿に変わった。
 すすり泣く少女。
 歳は十歳ごろ。かつて着ていたと思われる高級な材質の寝間着は泥にまみれ、きれいな髪飾りは壊れている。
 すすり泣いている少女は、そのまま歩いてくる。アーネストは思わずたじろいだが、スペーサーは幽霊をじっと見つめたまま、微動だにしない。怖いのではない。相手に刺激を与えないように動かないだけなのだ。
 幽霊は、ゆっくりと二人の目の前まで近づいてくる。だが、二人の事は全く眼中に入っていないかのように二人の体をすり抜けていった。
 なおもすすり泣きながら、幽霊は小部屋を出て通路を歩いていく。スペーサーは、幽霊に接触されて固まっているアーネストを引っ張り、幽霊の後をついていく。幽霊は二人を振り返る事無く通路を歩く。先ほどの分かれ道を、今度は右に曲がっていく。しばらく行くと、行き止まり。幽霊は行き止まりの壁に触れて、続いてむき出しの地面に触れた。そうしてしばらく地面を撫でた後、幽霊は消えていった。
 辺りは静寂に包まれ、カンテラの明かりは弱まっていた。
「……掘るぞ」
 スペーサーは、アーネストに言った。アーネストはまだ体が固かったが、スペーサーに言われてやっと体をほぐせたようだった。

 幽霊の触れていた地面を掘り返してみる。通路用に整備されていたのか地盤がかなり固いため、術で土を柔らかくしようかとも考えた。が、土の中にあるものも柔らかくしてしまうかもしれないので、それは避けた。
 カンテラと、杖の先にともされた術の明かりを頼りに、二人は地面を掘り続けた。夜は少しずつ明け始めていたが、森の奥までは光が十分に届かないので、今が早朝なのか夜間なのか、二人にはわからなかった。
 それでも地道に掘っていった結果、深さ一メートルほどの穴が掘れた。そしてその穴の底を見て、二人は、「ああ……」と溜息ともつかぬ声を上げた。
 泥で汚れた寝間着を着た、子供の白骨死体。あのすすり泣いていた幽霊と同じ寝間着。
 スペーサーは呟いた。
「掘り出したかったんだな……自分の体を」
 アーネストは、その白骨死体の頭部に、折れた髪飾りがつけられているのを見た。

 廃墟の側に小さな墓標が立てられ、折れた髪飾りが供えられた。
 その後、すすりなく少女の幽霊は姿を見せなくなった。

 アーネストが大慌てでスペーサーの研究所に駆け込んできたのは、幽霊騒動から一週間ほど経過した後のこと。
 今朝、妙に体が重いと思って目を覚ましたのだが、何も体の上に乗っていなかった。いつものようにギルドに顔を出すと、ギルドの面々から怖がられる。何かと思って理由を聞くと、その肩に、泥だらけの女の子がいるというのだ。しかし自分の手で肩に触れても何もなく、鏡を見ても自分以外には何も映らないため、本当に女の子が見えるのかを聞きに来たようだ。
 スペーサーは、羊皮紙から顔を上げて、アーネストの肩を見る。確かに、にこにこと機嫌の良さそうな顔をした泥まみれの少女がアーネストの肩にしがみついているのが、スペーサーにも見えている。その少女は、一週間ほど前に廃墟で見た幽霊だ。が、アーネストには見えないようだ。
「なあ、どうなんだよ? 見えるのか、見えないのか?!」
 アーネストは切羽詰った表情で訴える。その表情を見て、スペーサーは危うく笑うところだったが、軽く咳払いして笑いを抑え、アーネストに言った。
「確かに、見えるとも。あの時の、幽霊の少女だ」
 アーネストの顔は見る見るうちに青ざめる。
「何だよそれ! 俺は一体どうして幽霊なんかにとり憑かれて――」
 彼の肩にしがみついている少女は泣きそうな表情になる。スペーサーは少女の顔を見て、アーネストに視線を移す。
「理由はわからんが、どうやら君を気に入っているようだ。君の側にいる以上の悪さはしないだろう」
「気にい――」
 言いかけて言葉を失うアーネストに、スペーサーは言う。
「で、どうする? 嫌なら祓ってもいい。祓うなら、それなりの手順は要るが、やってもいいぞ。祓わないのも、もちろん自由だ」
 アーネストは、少し口を開けたまま、固まっていた。

 幽霊の少女は、にこにこと笑いながら、アーネストの肩に乗っている。結局彼は、幽霊を祓わなかった。肩の重さは感じるが、何の悪さもしないとわかったので、そのままにしているのだ。が、誰かの目に触れられると困るのはアーネストである。幽霊憑きだと騒がれるからだ。幽霊の少女は、事情を察したのか、彼一人のときだけ、姿を見せるようになった。
「かみかざり、ありがと」
 幽霊の少女は、肩の上で、アーネストに礼を言った。