女の子
「昔あったわよねー、学校の七不思議」
ヨランダは懐かしそうに言った。
「トイレに幽霊がいるとか、階段から落ちたら地獄へいっちゃうとかそんなの。で、このへんにも一つあったわよね、池に近づくなってやつ」
子供がおぼれ死んだ後、その子供が幽霊となって誰かを引きずりこもうとしている、そんな話だ。
「で、あんたが池に昔遊びに行って、怒られたのよね。雨の日に行くなって」
「うるせーなー」
アーネストは赤くなった。
「あそこはいろんな魚が取れるから――」
「池の中まで入って行っちゃったわけ?」
「そこまでするか!」
そこで、ヨランダは首をかしげた。
「そういえば、不思議ね」
「なにが」
「あんたが雨の日に池に遊びに行った後、たしかスペーサーも池に一人で遊びに行ってたのよね。池の水草に脚をとられて溺れそうになったところを助けてもらってたのを見たけど」
「溺れてた?」
「あんたも見てたでしょ。アタシは覚えてるわよ」
アーネストは思い出そうとしたが、思い出せない。もともと物覚えが悪いせいもある。だが、じっくり時間をかけると徐々に思い出してきた。そうだ、あの女の子の元から逃げ出した後のことだ。始終、誰かが傍にいるような気配がした。だがスペーサーが池でおぼれた日の後から、その気配はぷっつり。またいつも通りの日々となったのだ。
(そういえば……)
ふと思い出した。池から助け出された彼の足首には水草がからまり、まるで彼の足をつかんで離さないかのような……。
あの池に伝わる子供の話は――おぼれ死んだその子は、さびしくて、誰かを池に引きずり込んでしまおうとしている――というものだった。まさか……
アーネストは弾かれたように駆けだし、階段を上ってドアを乱暴に開けた。
部屋の主はいた。
「……何の用だ」
迷惑そうに、新聞の切り抜きから目をはなして、スペーサーはアーネストを見た。アーネストはほっとした。いてくれた。が、すぐに大股で部屋を横切り、
「お前、昔、池でおぼれたろ」
「……それがどうした」
「話せよ、なんでお前が池に行ったのか」
相手は渋っている様子。アーネストが執拗に促すと、やっと口を開いてくれた。
「……君からあの女の子を引き離すには、誰かがあの池でおぼれるしかなかったんだ」
「何だって?!」
くすくす。
女の子の声が聞こえた。くすくす、エコーしている。
あ、また会えたね。でも……。
部屋の空気が急激に凍りついた。二人は身動きすらできなくなった。傍に、あの女の子がいる。すぐ傍にいる。だが二人とも、その女の子がいるであろう場所を、見たくなかった。
部屋の明かりが突然消え、またついた。
気配が一気に遠ざかった。
やっぱり、そのひとは嫌い。いっしょに遊ぶの、いやだ。だって、そのひとがいると、消えちゃうから……。
.
声はか細くなり、消えてしまった。あの気配はもうなかった。
時が再び動くまでにどのくらいの時間を要しただろう。外から聞こえてきた野良猫の激しい喧嘩で、やっと二人は動きを取り戻した。
脱力した二人は、椅子の背と床に、へたりこんでしまった。そして二人とも、自分の全身が、ずぶぬれになっている事に気付いたのだった。
「行ってしまった……助かった、はは……」
スペーサーは力なく笑った。アーネストは反対に、青ざめた顔をしたまま、床の上で震えていた。
「あの幽霊は、池に戻って行ったよ」
服を着替えて落ち着いたところで、スペーサーは言った。アーネストはベッドにどっかりと腰掛けていたが、身を前に乗り出した。
「戻って行った? どういう事なんだ?」
「君を引きずりこめないと判断したせいだろう。あの幽霊は、私が近くにいると消されると思ったんだ。もう私も子供のころとは違うしな」
「消される?」
「……昔、私があの池で助けられたのも、あの幽霊がそれ以上私を引きずりこめなかったからだ。でなければ、とっくに溺死していたさ」
「で、お前結局何のために池に行っておぼれてたんだよ?」
「さっきも言ったろう、君に憑いた幽霊を引き離すには、他に誰かが池に行かなければならなかった。誰かが近くにいれば、あの幽霊は満足する、そう思ったんだ。今思うと、子供ならではの浅い考えだったなあ」
ため息一つ。
「まさか引きずり込もうとするとはなあ。あの幽霊の執念を甘く見すぎていた。一緒にいてくれる誰かを欲していたのは確かだが、幽霊として存在してくれる誰かがほしかったんだな」
スペーサーはアーネストに、新聞の切り抜きの入ったフォルダを投げてよこす。アーネストはその切り抜きを読んでみた。彼が生まれる三十年前の日付で、池で女の子が溺死したという記事だ。その女の子の写真は、あの幽霊の女の子の姿そのものだった。次の切り抜きを読んでみる。複数の切り抜きには、時にはオカルトチックに、時には真面目に、その池での溺死を報道している。そしてその日付を見ると、少女の溺死した日となっていた。
「おい、この日付――」
「たぶん、君が雨の日に池に行った日じゃなかったか?」
そこまではさすがに覚えていない。
「じゃあ、俺もヘタすりゃ池に引きずり込まれて……?」
「たぶん」
「サラリと言いやがるな、お前……」
「己の好奇心が招いたことだろ」
スペーサーは立ち上がった。
「とにかく、もう二度とあそこには行くなよ! 次にあの幽霊を連れて帰っても、あれだけの数を祓ってやれる保証はないんだからな!」
「あれだけって、おい!」
アーネストも立ち上がった。
「あれだけの数って、あの幽霊は一人しかいなかっただろ!」
「はん、《見えない》ってのはある意味損だな。気がつかなくても当然か、あの少女の力が一番強かったんだから……」
アーネストのわきをすりぬけ、スペーサーは部屋を出る前に振りかえり、言った。
「あの少女の周りには、彼女に引きずり込まれた溺死者の幽霊が大勢いたんだよ」
稲光が空を切り裂いた。大雨で水量の増した池の周りで、少女は踊っていた。
これまでに引きずり込んできた、たくさんの「友達」と一緒に。