薬草摘み



「薬草つみ?」
 アーネストは、目の前の小さな依頼者に、聞き返した。
「うん」
 目の前の依頼者、呪術師見習いのセラは、こっくりとうなずいた。
「おばあちゃんがね、必要だから摘んでこいって。こんなのが森に生えてるの」
 セラは羊皮紙を広げる。そこに描かれているのは、何の変哲もなさそうな雑草。単子葉類で、花はなく、背丈は低め。
「でも森に入るのヤだからスペーサーさんに分けてもらおうと思ったんだけど、乾燥させた薬草ばっかりだったの。摘みたての草じゃないと駄目なの」
「で、何で俺に草取りの依頼なんかするんだよ」
「紹介してもらったの。自分は忙しいからって。それに、『あいつなら無報酬でも子供の頼みは絶対に断らない甘い奴だから』って」
 戦士ギルド専用の紹介状に、確かにアーネストを希望するサインがあった。

 こうして薬草の生える森へ出かけることになった。町外れの門を通り抜け、そのすぐ脇に目当ての森はあった。薄暗く、野獣や魔物が時折旅人を襲う。確かにここは子供一人が来るには危険すぎた。
「ホントにこんな森に薬草なんか生えてるのか?」
 背中の鞘から長剣を抜き、アーネストは疑わしげな視線をセラに向ける。だがセラは、ここに生えてる、と強く言った。
「前におばあちゃんにつれてきてもらった時には、ちゃんと生えてたの見た!」
 そうしてセラに引っ張られてしばらく奥へ歩くうち、辺りはだんだん暗くなり、足元を見るのにも不自由するほどになってきた。やたら生臭い臭いが鼻を突く。ここまでくると野獣が獲物を食い散らしている場所だという事が分かる。だいぶ奥まで来てしまったのだ。だがセラは目当ての薬草を見つけ出せないでいた。時々止まり、生えている草をかきわけては薬草を探すが、どこにも見当たらないらしかった。アーネストは、セラが草を探している間に、短剣で近くの木に目印をつけていたが、そのうち不安になってきた。もちろん彼は森の通り道を知らないわけではないし、野獣と互角に戦う自信はある。だが最大の問題は、この森に出ると噂される、幻惑使いの魔物である。人に幻を見せて迷わせるといわれる。アーネストはまだ遭遇したことはないが、道の外れたこの場所でそんな魔物に出会ったらどうなるか、考えただけで背筋がぞっとする。
 セラが嬉しそうな声を上げ、手にした草を引き抜いた。
「ほらこれ!」
 嬉しそうに薬草を見せにきた。が、アーネストには、やはりただの雑草にしか見えなかった。魔法使いには重要な草なのだろうが……。
「良かったな。じゃ、戻るぞ」
「うん」
 大人しくアーネストの後についてくる。木につけた目印をたどれば、そのままもとの道まで帰れる――
 はずだった。
 木につけた目印をたどっても、いっこうに前方は明るくならない。それどころか、同じ景色の場所、セラが薬草を摘んだ場所にばかり出てくる。ループしているかのようだ。
(まさか、これは幻惑か?)
 アーネストが幻惑に気づくのと、背後から邪な気配を感じたのはほぼ同時。脇を歩いているセラを片手で抱きかかえ、そのまま跳ぶ。先ほどまで彼がいた場所に異臭のする液体が落ちると同時に、液体の落ちた場所がドロドロに溶かされた。
「現れたな!」
 セラを抱えたまま、長剣を構えなおす。本来は両手で持つための剣だが、怪力の彼は片手でも何とか扱うことが出来る。ただし、剣が長いので片手ではバランスが取りにくい。
 彼の前方に姿を見せたのは、狼を一回り大きくしたような、紫の毛皮を持つ魔物。巨大な尻尾を振っており、その尾が振られるたびに粉のようなものが辺りを覆う。そして粉に覆われた場所は、景色が変化している。尾から出る粉が幻惑の正体なのだ。
 狼にも似た姿の魔物は、短剣を思わせる鋭い牙をカチカチ言わせ、涎を滴らせる。その涎は、地面に落ちると、落ちた場所をドロドロに溶かした。
 アーネストはセラを一旦おろす。
「そこから離れるな」
 同時に魔物がとびかかる。その迫力でセラは悲鳴を上げた。両手で長剣を握り直し、アーネストは魔物を迎え撃つ。大上段に振りかぶった長剣は、相手が避ける間もなく、その獣の眉間をあっけなく叩き割る。
 手ごたえがない。それどころか、魔物の姿は煙のように掻き消えた。
 幻惑だ。
「!」
 側面から感じた気配。反射的に剣を横へとなぎ払う。
 獣の悲鳴が聞こえると同時に、剣を振った勢いでアーネストは体を半回転させ、切られて怯んだ魔物の胴を蹴りで更になぎ払う。脇をしたたかに蹴られた魔物は、側の老木にぶつかり、僅かに身を痙攣させた。そこを長剣の一撃が見舞い、魔物の首を切断する。完全に止めを刺された魔物は、首を切られると同時に事切れた。
「た、助かった……」
 アーネストは魔物の血で濡れた剣を振り、血を落とす。それと同時に、セラが駆け寄ってきて抱きついた。
「怖かったよおおお……」
「わかったわかった、もう大丈夫だから」
 アーネストはなだめてやり、それからまた目印の木をたどった。今度はループすることなく、無事に帰ることができた。

「おばあちゃん、ただいまー!」
 セラは家に帰るなり、元気一杯になった。家の奥から彼女の祖母である呪術師が出てきて、彼女を出迎えた。
「セラ、薬草は取ってきたのかい? うん、それじゃそれじゃ。しかし遅かったのお……」
 それから呪術師はアーネストに気づく。
「ん? 何でお前がここにいるんじゃ?」
「頼まれたんだよ。薬草、一緒に摘んでくれって。だから森まで行ってきたんだ」
 アーネストの言葉に、老婆は目を丸くした。
「森? 何で森まで行くんじゃ? うちの裏手にある菜園で栽培しておるのに」
「えええっ!?」
 アーネストもセラも同時に声を上げた。
「でもおばあちゃん、この薬草はおばあちゃんが取ってきてくれて、それで……」
「わしはあの時言ったはずじゃ、この薬草を採ってから、家の裏手で栽培する、とな。まさか、忘れておったのではあるまいな」
 セラの表情からして、祖母の言葉を忘れていたことに間違いはなさそうだった。
 アーネストは、一体何のために森まで行って、幻惑を見せる魔物まで退治して、セラを護衛していたのかと、しばらくの間自問自答を続けていた。

 儲けにも何もなりゃしない、ただの骨折り損だと、アーネストが失意の中、ギルドに戻ろうとすると、セラがまた顔を出してきた。
「あの、ごめんなさい……」
「もういいって」
「だから、これ! 受け取ってほしいの……」
 セラが差し出したのは、小さな包み。
 断るのもなんだからと、アーネストはそれを受け取る。セラは、顔を真っ赤にしながら家の中へと駆け込んでいった。
 ギルドへの帰り道、セラから貰った包みを開けてみる。ほのかに薬草の匂いがする、ビスケットだった。
 甘いものはあまり好きではなかったが、捨てるのもなんだからと一枚食べてみる。砂糖の甘さと薬草のほろ苦さが混じった、ちょっと変わった味だった。
「俺、ほんとに甘いよなあ……」
 セラの頬のように真っ赤な夕日に照らされながらも、アーネストは笑っていた。