昔の話



 ある日の昼下がり。セラが、町外れの研究所の戸を叩く。戸口は開かなかったが、代わりに、研究所の主の使い魔であるカラスが、戸口の側の止まり木にとまる。
「ねえ、スペーサーさん、いる? おばあちゃんが、薬作って欲しいって」
 セラから用件を聞くと、カラスは止まり木から離れ、壁の一つに空けられた専用の窓口へと入っていった。数秒後、戸口が開く。セラは入った。
 研究所内は薄暗く、通路の先には、様々な種類の古文書や書物が山のように積み重なっている部屋がある。スペーサーの研究室だ。いつも彼はここで古代文字の解読の研究を行っているが、時には地下室で薬の調合をしていることもある。
 セラは周りを見回した。スペーサーの姿はない。きっと地下なのだろうと踏んで、セラは研究所を抜けた先にある階段を下りる。暗いので、壁に掴まりながら下りると、草や薬の匂いのする小部屋にたどり着く。壁には様々な種類の薬草が干され、棚には鍋がいくつも入っている。しかしここにもスペーサーはいない。
「留守かなー。しょーがない、帰ろうかな」
 セラが階段を登って研究室へと戻ると、いつのまにかそこに、見知らぬ老人がいた。濃い灰色の汚れたローブをまとい、顔は皺のために目鼻のパーツの位置がわからない。かなりの年寄りである。
 その老人は、セラを見ているようだ。
「あ、あの、ワタシどろぼうじゃないんです。ただ、ええっと」
 セラは慌てて弁解する。しかし老人は首をゆっくりと振った。
「わかっているとも、君は、泥棒じゃない」
 そして老人は言った。
「君は、どんな用事で来たのかね。ここの主は留守らしいがね」
「ええと、おばあちゃんが、お薬作って欲しいっていうから」
「どんな薬かね」
「おなかの調子が悪いから、マンドラゴラを使ったお薬が欲しいっていうの」
「ほお、マンドラゴラ。ならば、あの薬か」
「もしかして、おじいさん、作れるの?」
「もちろん……」
 老人はゆっくりと地下への階段を下りる。セラは慌てて後を追った。
「あのっ、勝手に入っていいの?!」
「大丈夫。この研究所の主の、知り合いだから」
 老人は地下へ降りると、重そうに鍋を釜戸にかけ、薬草を数種類と、別の小瓶に入っている赤い液体を入れる。火を起こすと、薬と草の変わった匂いが部屋に立ち込めた。老人はしばらく鍋を混ぜていたが、今度は別の小さな鍋を取り出して、別の種類の草をいくつか刻み、あるいはすりつぶして、新しく取り出した小さな鍋へと入れる。黄色い液体を鍋に注ぐと、この鍋も火にかけた。
「薬が出来るまでまだしばらくかかる。その間、話でもしようか」
 老人は、よっこらしょと階段に腰掛ける。セラは隣に座る。口を開いたのはセラだった。
「おじいさん、スペーサーさんの知り合いなの?」
「そう。奴のことなら嫌と言うほど知っている」
 その老人の目にはどこか懐かしむような光があった。
「寝食を削って研究に没頭するほど、知識欲は非常に旺盛な奴だよ、あの歳で。そして、いつもやりすぎる嫌いがある」
「へえ、そうなの」
 セラは首をかしげる。いつのまにかカラスがこの部屋の止まり木にいたが、彼女は気づかなかった。
「ある時なぞ、四日以上ほとんど寝ずに研究を続けていたものだから、一度限界が来て倒れてしまったことがあった。周りから笑われていたものだよ。やりすぎは余計に体に悪い、とな。しかし、あの若造はなかなか止めない。その無茶をした甲斐があってか、早くも各地の研究所から研究員になってくれという要請が来た」
「そうなんだー! すごーい!」
「しかし奴は変わり者でな、全部断っておる。研究所などに行けば、自分の好きなことが出来なくなる、と言ってな」
「でも、研究員になれるくらいすごいんでしょう、スペーサーさん」
「すごい、か。他の者からの目から見ればそうなのかもしれん。だが、こちらから言わすと、まだまだだな。魔術をひけらかすことはしてはならぬ。例え自分がどれだけ力があろうとな」
「どうして」
「魔術は自然界の力を用いる。だが時には自然界の法則をまげる。自然界の力なくしては魔法使いは存在できないのだ。魔術を扱うという事は、その力を提供する自然界に対しそれなりの感謝の気持ちが必要という事。わかるかね」
 しかしセラは首を傾げるだけだった。老人は続ける。
「だが奴はその感謝の気持ちを忘れていた。だから、あの時は天罰を食らったのだ」
「天罰……」
 その時、二つの鍋から奇妙な匂いが発せられた。
「おや、薬が出来たようだ。少し待っていなさい」
 老人はやっとのことで立ち上がり、大きな鍋に残った、ほんのわずかな薬草のエキスを瓶につめる。そしてもう一つの小さな鍋の黄色っぽい液体を瓶につめた。
「さあ、持って行きなさい」
「うん。ありがとー!」
 瓶を渡されたセラは駆けていった。
 老人は、鍋を片付け、瓶を手にして階段をえっちらおっちら登る。カラスがついてきた。
 研究所の扉が開いて、この研究所の主が戻ってきた。愛用の杖に薬草をいくつかさげている。これから洗って干すのだろう。
「ん?」
 内部から感じる魔力の波動に、彼は反応した。誰かいる。しかもこの波動は――
 研究所の奥から出てきた老人を見て、スペーサーは驚愕の表情を浮かべる。
「あ、貴方は――」
 手にした杖を落とす。驚愕で固まった彼の肩に、カラスがとまる。耳を嘴でつつくと、やっと彼は身をほぐせた。
「な、なぜ貴方が……。私とはもう――」
 スペーサーに最後まで言わせず、老人は机の上に瓶を置き、懐を探って水晶の首飾りを出す。
「お前に必要な薬を作りに来てやっただけのこと……。こちらも、もう老いた身の上。ともに、もう会うことはなかろうて」
 そして首飾りに魔力を込めると老人の周囲に魔方陣が浮き上がり、老人は転送された。
 スペーサーは、机の上に残された小瓶をとり、蓋を開ける。そしてその匂いをかいで気がついた。
「この薬は……!」
 服用すれば一年効果が続くが、並の魔法使いでは調合不可能と言われているものだ。これを調合できるのはよほどの腕利きである。スペーサーでさえ、この薬を調合するのに度々失敗しているのだ。
 あの老人が何のために薬を作ったのか、彼にはもう分かっていた。

「ありがとう、師匠――」
 頬を一筋、涙が流れていった。