IDを返せ!



「全く……だから君と組むのは嫌なんだ。しょっちゅうこんな目に遭う」
「俺だってお前と組むのはヤなんだ! それより、これ全部が俺のせいだってのか?!」
 アーネストの憤慨した言葉を、スペーサーは鼻先であしらう。
「違うか? 君と組むと、必ず仕事にトラブルが起こるんだ。おまけに、IDまで盗まれるとは……」

 事の起こりは数時間前。アーネストを指名する依頼書が届いた。彼は警護、護衛、戦闘の専門であり、依頼内容も危険が伴うため、ほかの専門よりも報酬の額が多い。
 彼の受け取った依頼書には、依頼人自身の警護と記されていた。だが、同じようにスペーサーも同じ依頼人から依頼書を受け取っており、彼の場合は依頼人の遺失物探索であった。それゆえ二人は仕事上、一時的に組むことになったわけである。
 そして二人は依頼書にあるとおり、月面居住区の片隅にある倉庫区間までやってきた。そこで依頼者が待っているという。もう使われていない倉庫の一つへ入ると、依頼者らしき風情の上がらぬ男がいたものの、突如出入り口が閉められ、続いて倉庫内にガスが充満した。罠だと分かったときにはもう遅かった。二人はガスで眠らされ、その間に、二人の身分証明書たるIDカードは盗まれてしまったのである。
 そして、眼が覚めたときには、背中合わせで硬質銅線を使って縛り上げられていた。
「まさかアイツが、IDのバイヤーだったなんて思わなかった。今までなら基地の機械がニセのIDを全部はじき出してくれてたんだけどな」
「セキュリティシステムを信頼しすぎたゆえのしっぺ返しか。おおかた、スキミングした誰かのIDを使ったんだろう。基地のセキュリティをもっと強化すべきだな。それより――」
 背中合わせで縛られている状態だが、スペーサーはたやすく、ベルトの裏側に隠し持っていたレーザーナイフを取り出し、スイッチで刃先を出すとそれで硬質銅線を切った。《危険始末人》の誰もが、戦闘訓練や脱走訓練などを一通り受けているため、万が一身の危険にさらされても、ある程度は自力でどうにかすることはできる。それが戦闘の専門ともなれば尚更だ。だが、アーネストはかなり不器用な男である。戦闘能力はずばぬけて高いものの、手先を使うことは苦手で、脱走訓練の成績はいつも最下位だった。
 体を縛り付ける銅線を切って、自由になった二人は、ほこりだらけの床から立ち上がる。
「反撃といくか」
「ああ。この礼はたっぷり返してやらあ」

 様々な場所で、IDバイヤーは指名手配されている。個人の認識から買い物にいたるまであらゆる場面で使われるIDカードを盗み、それを別の人物に高額で売り渡す。盗まれたIDカードの持ち主が重要人物であるほど高額で取り引きされ、あるいはIDが脅迫の材料にもされるという。
「まさか《危険始末人》のIDが欲しいとはな。それで何をしたいかは知らんが」
 アーネストは、レーダーの範囲を最大に広げて車を走らせている。自分達が乗ってきた車をバイヤーに盗まれたので、倉庫の近くで寂しく土埃をかぶっていた中古の電動自動車に乗っている。中古品であるため、時速の限界はせいぜい六十キロ。
 タイヤの跡をずっと追ってきているのだが、徐々に町へと向かっているためか、ほかの車のタイヤ跡が目立ち始める。
「くそっ! あんにゃろお、どこ行きやがった。俺達の乗ってきた車で逃げやがって!」
 月面居住区は、重力が地球と同じになるよう設定されている。そのため、地球から輸入された電動自動車でも楽々と走れるのである。ただし、最高速度は九十キロ。
 レーダーに赤い点が映る。《危険始末人》の使用する車は、反重力モーターで動くものであり、盗難防止装置が取り付けられている。それが、このレーダーの赤い点。車が盗まれても、場所が分かるようになっている。
 おいついた。向こうも彼らに気づいたようだ。だが、車体がこれ以上加速しない。
「やれやれ。どうやら奴さん、我々の車の制御装置に気づいたらしいな」
 スペーサーは涼しい顔。
 町が前方に見えてくる。急がなければ、居住区に逃げ込んでしまう。複雑に入り組んだ道路に入られでもしたら――ましてや《危険始末人》のIDカードを奪われている今なのだから、居住区の警察に応援を要請することも出来ない。自分達で何とかするしかない。
 一方、追われているバイヤーは、あせっていた。さっきからアクセルを踏んでいるのに車はいっこうに加速しない。カードを使って走らせることには成功したのだが。
「な、なぜだ、どうなってるんだ!?」
 バイヤーは慌てた。それもそのはず。《危険始末人》の車は、IDカードだけでなく、時速五十キロ以上を出した後は、彼らの指紋の認証も必要なのである。ボタンで指紋を認識するのだが、明らかに別人だと判断されたため、車は加速しなかった。
 アーネストはいったんバイヤーを少し追い越した後、車の屋根を押し上げ、運転席から離れる。
「ハンドル頼むぜ!」
「OK」
 アーネストが車の屋根から跳ぶと同時に、スペーサーは運転席へ滑り込み、ハンドルを取る。減速して車を止めた。
 一方、飛び移ったアーネストは、車の屋根を無理やりこじ開ける。本当はあけてはいけないはずなのだが、今は四の五の言ってはいられない。
「カードを返せっ!」
「ひえええ!」
 バイヤーは懐からレーザーガンを取り出すが、戦闘のプロであるアーネストは慌てもせず、相手の手首を素早くつかんでグイと捻り、へし折った。バイヤーが痛みで悲鳴を上げると、アーネストはすぐに相手のこめかみを強打して気絶させた。そしてそのままバイヤーを押しのけ、運転席へ体を滑り込ませ、ブレーキを踏んだ。

 IDカードのみならず、スキミング用の機械もバイヤーから取り上げた後、二人は月面居住区の警察へバイヤーを突き出した。それからスキミングのデータを調べたところ、三十人以上もの人物のデータが見つかった。いずれも政治家や財閥の跡取りなどの重要人物ばかりである。そんな中で《危険始末人》のIDだけが、スキミングエラーとなっていた。なぜなら、《危険始末人》のIDカードは彼らの基地内でのみ通用する仕組みとなっており、他所からの機械のスキミングや認証は不可能であるからだ。
 バイヤーが彼らのIDカードを取ろうとしたのは、彼らのIDカードに依頼客のデータが入っているかどうか知りたかったからであるという。公に出来ない依頼を《危険始末人》に任せることの多い人物はそれなりに高い地位についていることが多く、バイヤーはそのIDデータを取って依頼者本人を脅迫し、強請るつもりだったのだろう。あるいは、《危険始末人》をよそおって依頼人の情報収集を行うつもりだったのかもしれない。だがあいにく、スキミング不可能な仕組みのカードだったために、データを取ることはできなかったのである。

 無事IDカードを取り返した二人だったが、バイヤーにカードを盗まれたことが基地内で知られてしまい、しばらくは笑いの的になったのであった。