喫茶店で休憩



「あなたが来てから、医務室からの怒鳴り声が今まで以上に頻繁に聞こえてくるようになったわねえ」
 ヨランダは、イルシアに言った。イルシアは、三十分ほど休憩して来いとスペーサーに言われたので、それをステーションのカフェで実行中。同時にヨランダも休憩中。
「医務室のドアにもう少し防音性があったらいいんだけど」
 ヨランダの向かいに座っているイルシアはホッと息を吐いた。
「ごめんなさい。まだ大学出たばかりなものですから――」
「いいのよ、そんなこと。それよりあの怒鳴り方はどうにかならないものかしら?」
「どうにかって、どういうことです?」
「以前にもまして、怒鳴り方が強烈になったってこと。医務室の側を通るだけでも耳が痛くなるわ」
「あら、そうなんですか?」
 イルシアは平然としている。
「だって、先輩は大学時代から、ああでしたよ?」
「えっ」
 ヨランダは目を丸くした。
「大学時代から、あんな風に怒ってたの?」
「ええ。ズケズケと遠慮なく言うし、怒ってました」
 イルシアはサラリと言ってのけた。スペーサーが怒りっぽい事はステーションの住人なら誰もが知っている事だが――
「あなた大変だったんじゃない? 怒鳴られっぱなしで……」
「ええ、毎日。でも」
 イルシアは言葉を切った。
「先輩のいう事はいつも正しかったし、わたし昔から勘違いとか誤解とか多くって――。最初、わたしがステーションに来た頃は結構色々と間違った治療してましたし……でも先輩のおかげで間違いも少しずつ減ってきました」
 照れくさそうに言葉を続ける。
「それに感情表現に関しては、先輩はちょっと不器用なんじゃないかと思ってますの。怒ることしかできないから」
「気に食わないから怒鳴ってるようにしか見えないけど……」
「そこがかわいいんですよ」
 イルシアは眼鏡の奥で笑った。ヨランダは思わず、手のティーカップを落としそうになった。
「か、かわいいの?!」
「ええ、そうです」
 イルシアは悪びれもなく言った。
「大学時代から先輩はかわいらしい人でしたよ? あ、キュートとかプリティとかの意味ではなくて」
 そりゃそうだ。
「怒るんじゃなくて、皮肉や嫌味しか言わない先輩だったら、わたしとっくに大学辞めてますわ。先輩がいつも怒りっぱなしなのがとってもかわいくて仕方なくって」
 イルシアは笑っている。
「講義中はいつも無表情でだんまりの先輩でしたけど、わたしを指導するときには必ず怒ってました。わたしでストレスを発散させていたんでしょうね。周りの人はその怒り方に少し引いてたみたいですけれど」
「あなた、自分がストレス用のサンドバッグにされてよく平気だったわね」
「はい。最初は、『何で怒ってばっかりなんだろう』って思ってましたけど、講義のときの先輩と私を指導するときの先輩の『ギャップ』を見つけてから、平気になったんです。それどころか、かわいいって思えるようになったんですの!」
 ヨランダは口をぽかんと開けたまま、何も言えなくなった。あのお医者が、かわいい……? 目にする限り、いつも不機嫌そうな顔をするあのお医者が? かわいい?
 イルシアは壁の時計を見た。
「あ、いけない! あと十分しかないわ」
 紅茶を飲み干し、立ち上がった。
「あまり遅いと先輩が怒るんです。遅くとも十五分前には準備を終えるのが先輩の主義だから」
 そう言って、伝票をぱっと取ってレジに向かった。
 ヨランダはテーブルに一人取り残されていた。
「あのお医者が、かわいいの……?」

 勘定を払って大急ぎで医務室へ戻ったイルシアは、やはりスペーサーから怒鳴られた。遅い、何をやってた等など。しかし彼女は彼の怒鳴り声など何処吹く風。
(わあ。やっぱり怒ってる先輩ってかわいいわあ)
 怒鳴っているスペーサーの顔に目を向けたまま、心の中で彼女は彼の怒りの表情を楽しんでいた。